川越雑記帳2(川越見て歩き)

40-6 大野旭山の生家

 「この先一〇〇㍍ほど進むと大野家である。現在大野福治氏の所蔵する古文書は、後北条氏関係文書五点、江戸時代の年貢割付状六通など、きわめて貴重な資料である。本家の大野氏は大野内膳頼品と称し、川越城主上杉朝定の家臣だったが、天文一五年(1546)の川越夜戦で敗れたため、石田本郷に土着し後北条氏の給人となったといわれている。
 大野家のすぐ南に、和算家として有名な大野旭山の生家がある。石田本郷折戸の塩野範頼に最上流算法を学び、川越藩主松平大和守家の命を受けて、河川堤防道路などの工事を設計した。また、川越藩の算法家宮沢熊五郎から三角法測量術を伝授され、各地から招かれて田畑耕地の測量を行った。門人は埼玉県はもちろん、東京、群馬、栃木、茨城、長野の広範囲に及び、五三五人を数えている。明治一六年(1883)八二歳で他界している。現在大野家には、最上流算法記、最上流算法秘伝書、最上流天元術指南など多数の遺物が残されている。」

  ★河越夜戦(1)
  ★河越夜戦(2)
  ★河越夜戦(3)

  ◆川越の算額・和算

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