キバナコスモスを見ながら参道を上ると、奥に愛宕神社の石鳥居が見える。
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10月のはじめには、彼岸花も咲いていた。
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手前の左側にある、石斧のような碑は芭蕉句碑である。
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写真では句がよく読めないが、いつのころからか、脇に説明板が立てられている。
松尾芭蕉 句碑
は せ お
明 月 に 麓 の
霧 や 田 の 曇
元禄七年 一六九四年 八月十五日
芭蕉が伊賀国上野赤坂 今の三重県で
月見した時の作品といわれている
伊賀の赤坂も川越の仙波も ともに
台地の突端で 眺望が良いところから
選句されたといわれている
ここ川越の仙波地域は江戸後期から
俳句が盛んで 愛好する人たちが
安政四年 一八五七年 に建てたもの
である
芭蕉は この句を詠んだ日から
一ヶ月に満たない十月十二日に亡く
なってしまったといわれている
この句碑については、色々な本で紹介されている。→芭蕉句碑
しかし、この境内にはもう一つ芭蕉の句碑がある。
塚に上る石段の手前左側にある、細長い石柱がそれである。
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こちらにも、説明板がある。
松尾芭蕉 句碑
は せ お
蓬 莱 に 聞 ば や
伊 勢 の 初 便 り
元禄七年 一六九四年 元旦に江戸で
詠んだ作品といわれている
床間のめでたい蓬莱飾りをみていると
伊勢からの初便りが来たようだ
と解されている
蓬莱は 関西で新年の祝儀の飾りもの
のしあわび かち栗 昆布 野老
ほんだわら だいだい エビ などを
飾り祝う
東京新宿の花園神社 滋賀県長浜市の
慶雲館などにも句碑が建立されている
芭蕉は この句を詠んだ年の
十二月十二日に亡くなった
実際には破損しているので、( )内を補う必要がある。
(蓬莱に聞)ばや伊勢の初便り
裏には庚子とあり、天保十一年(1840)と推定されているようだ。
そうであれば、17年後に大きな方の句碑を建てたことになるが、この句の方がこの場所にふさわしいと思ったのだろうか。