川越雑記帳2(川越見て歩き)

26-13 砂久保共同墓地

 小泉功著「川越歴史散歩」を読んでいたら、「農兵反対の一揆」のところに、石川源五右衛門は
「77歳で永眠され、砂久保地域の共同墓地に埋葬されている。」と書かれていた。

 後日、その墓地を探しに行ってみた。
砂久保橋を渡り、最初の右折路に入った。
道は左にカーブしたあと右に曲がり、畑と住宅の間を南に進んでいた。
その道を進むと、一本南側の細い道に出てしまった。
住宅の東側には、畑が広がり、墓地らしいものは見えなかった。



 また砂久保橋に戻り、一つ先の道を右折して少し行くと、右前方に墓地があった。
ブロック塀の先に門があり、そこに四角いコンクリートの建物が見えた。



 墓地の門から中を見ると、正面い赤い屋根のお堂があった。



 門の左側に、先ほど見えたコンクリートの建物があった。
中を見ると、大きな石仏が立っていた。
後ろの壁はなく、側壁と屋根だけのお堂であった。



 門の右側を見ると、こちらにもコンクリートのお堂があった。
こちらも後ろの壁はなく、中央の壁を挟んで、石仏が二体ずつ並んでいた。
右端側は、台座にのった丸彫りの半跏思惟像で、その隣りは庚申塔であった。

 左側の二体のうち、右側は馬頭観音であった。
左端の石仏には奉納念仏供養と彫られていた。

 年号を見ると、四体とも江戸時代のものと思われた。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「川越散歩」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事