今年も6月の晦日を迎えました。
夏越の祓い、茅野輪をくぐりに
毎年初もうでをしている近所の神社(小さいけれど古い神社のようです)矢先稲荷神社にを訪ねました。
思いのほかひっそり。
夕方5時から、払いの儀式があるようなので、その時間は人が来ているのでしょうか。
昨年も夏越の祓いに行きました。
去年は小野照先神社、こちらは富士塚があり(けっこう大きい)夏越の祓いに合わせて「山開き」が行われていました。
山開きの日だけ、富士塚登山が出来るのです。
それも一興でしたが、
今年は、ひっそりお参りしたかったので、よりこじんまりした矢先稲荷へ。
矢先稲荷神社
「寛永19(1642)年11月23日、時の三代将軍徳川家光公が国家の安泰と市民の安全祈願ならびに武道の練成のために、江戸浅草のこの地に三十三間堂を建立。
京都の三十三間堂にならって建立されたこの堂の守護神として稲荷大明神を勧請し、その場所がちょうど的の先にあたっていたので「矢先稲荷」と名づけられました。
ご祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと) を祀りります。ご神体は上野東叡山寛永寺の祖慈眼(じげん)大師(天海大僧正)によって寄進され、「御府内寺社備考」によると「木造で翁の型をして稲を荷い、7寸8分、弘法大師作」となっています。
創建以来、創業、学業、人徳の成就と武運長久の神徳に、武士、町人を問わずに尊信を篤くしました。
ところが約60年後の元禄11(1698)年9月6日、浅草を中心として大火で焼失してしまい、三十三間堂の方は深川に移転を命ぜられてしまいましたが、その鎮守である当社は信仰心の篤い町民の要望で当地の産土神として再建が許されました。
その後も関東大震災、東京大空襲などで幾多の困難に遭いましたが、いずれも難をくぐりぬけて現在に至っています。」
(浅草名所七福神 から抜粋)
昨年の夏越の祓いから、一年、世の中も私個人も周りでは様々なことが起こり過ぎて
いささか疲れました。
毎日毎日、現在進行形で増大している不安をニュースで煽っていますから、世の中のけっこう多くの人が疲れているのではないかと思います。
矢先稲荷神社は、ひっそりしていて、心落ち着きました。
梅雨の晴れ間、妙に暑くて夏がそこに居ることを感じることが出来ました。
茅の輪をくぐると、嫌な気分がスッキリ取り払われて、ひょっこり爽やかな夏が目の前に現れそうな気がしましたが
そうそう簡単なものでもないです。
ただ、茅の輪を三回行ったり来たりくぐっていると、なんだかそれは黄泉の国に向かる地下世界へ繋がっているような気がしました。
夏越の祓いには、「水無月」を食べないと。
そう思って、神社の周りの和菓子屋さんへ行っても、ない。
そうか…水無月を食べるのは、宮中の習わし。京都の風習だったのでした。
京都に住んでいた時、6月晦日に、仕事中に、同僚の女性が「今日はみんなで食べようと思って」といって水無月を買ってきてくれたことを思い出しました。京都人には当たり前の習慣だったのですね。
ここはお江戸の下町でした。水無月、下町の古い和菓子屋さんにはなかったのです。
夏越の祓い、茅野輪をくぐりに
毎年初もうでをしている近所の神社(小さいけれど古い神社のようです)矢先稲荷神社にを訪ねました。
思いのほかひっそり。
夕方5時から、払いの儀式があるようなので、その時間は人が来ているのでしょうか。
昨年も夏越の祓いに行きました。
去年は小野照先神社、こちらは富士塚があり(けっこう大きい)夏越の祓いに合わせて「山開き」が行われていました。
山開きの日だけ、富士塚登山が出来るのです。
それも一興でしたが、
今年は、ひっそりお参りしたかったので、よりこじんまりした矢先稲荷へ。
矢先稲荷神社
「寛永19(1642)年11月23日、時の三代将軍徳川家光公が国家の安泰と市民の安全祈願ならびに武道の練成のために、江戸浅草のこの地に三十三間堂を建立。
京都の三十三間堂にならって建立されたこの堂の守護神として稲荷大明神を勧請し、その場所がちょうど的の先にあたっていたので「矢先稲荷」と名づけられました。
ご祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと) を祀りります。ご神体は上野東叡山寛永寺の祖慈眼(じげん)大師(天海大僧正)によって寄進され、「御府内寺社備考」によると「木造で翁の型をして稲を荷い、7寸8分、弘法大師作」となっています。
創建以来、創業、学業、人徳の成就と武運長久の神徳に、武士、町人を問わずに尊信を篤くしました。
ところが約60年後の元禄11(1698)年9月6日、浅草を中心として大火で焼失してしまい、三十三間堂の方は深川に移転を命ぜられてしまいましたが、その鎮守である当社は信仰心の篤い町民の要望で当地の産土神として再建が許されました。
その後も関東大震災、東京大空襲などで幾多の困難に遭いましたが、いずれも難をくぐりぬけて現在に至っています。」
(浅草名所七福神 から抜粋)
昨年の夏越の祓いから、一年、世の中も私個人も周りでは様々なことが起こり過ぎて
いささか疲れました。
毎日毎日、現在進行形で増大している不安をニュースで煽っていますから、世の中のけっこう多くの人が疲れているのではないかと思います。
矢先稲荷神社は、ひっそりしていて、心落ち着きました。
梅雨の晴れ間、妙に暑くて夏がそこに居ることを感じることが出来ました。
茅の輪をくぐると、嫌な気分がスッキリ取り払われて、ひょっこり爽やかな夏が目の前に現れそうな気がしましたが
そうそう簡単なものでもないです。
ただ、茅の輪を三回行ったり来たりくぐっていると、なんだかそれは黄泉の国に向かる地下世界へ繋がっているような気がしました。
夏越の祓いには、「水無月」を食べないと。
そう思って、神社の周りの和菓子屋さんへ行っても、ない。
そうか…水無月を食べるのは、宮中の習わし。京都の風習だったのでした。
京都に住んでいた時、6月晦日に、仕事中に、同僚の女性が「今日はみんなで食べようと思って」といって水無月を買ってきてくれたことを思い出しました。京都人には当たり前の習慣だったのですね。
ここはお江戸の下町でした。水無月、下町の古い和菓子屋さんにはなかったのです。