ホウジョウキ  ++ 小さな引籠り部屋から ~ ゆく川の流れは絶えないね

考えつつ振り返り、走りながらうずくまる日々。刻々と変わる自分と今の時代と大好きなこの国

同潤会上野下アパート 取り壊し

2012-07-20 10:25:06 | 日本文化

上野の駅近く、突然異次元に迷い込んだかのようなスポット「同潤会上野下アパート」 とうとう、取り壊しが決まったようです。

今は「表参道ヒルズ」となってしまった、「原宿同潤会アパート」。見る影もありません。

上野下アパートは、上野の裏手、という「取り残された感」いっぱいの場所に、されに「時間が逆転した?」かのような建ち方をしています。

広い通り(清洲橋通り)をちょっと入ると、そこは異空間。

 

 

 

 

取り壊しの後は、マンションが建つようです。

上野周辺も、古い建物が、すごい勢いでマンションに建てかえらています。

ぼろぼろのアパート、昔ながらの「蔵」まだありますが・・・消滅も時間の問題なんでしょうね。

なんとかリノベーションの再利用でもいいので、残ってくれた方が、町の景色は魅力的なのに、と私は思います。

この歴史的アパートは「都市徘徊blog」でも紹介されています。 http://blog.goo.ne.jp/asabata/e/e65ca7b78cd1598a08df4cad336052a7

 

◆朝日新聞デジタル 7月1日配信記事より

 

最後の「同潤会アパート」、解体へ 東京・上野下 関東大震災の復興時に東京や横浜で建てられた同潤会アパートで唯一現存する「上野下(した)アパート」(東京都台東区)が、来年にも解体されることになった。 1929年完成、2棟計76戸の鉄筋コンクリート4階建て。約20人の居住者がいるが、権利者間で今年4月末に解体の合意に至った。14階建てマン…

 

強者どもが夢のあと・・・そんなところです。


『スマイルは0円』 は限界だ

2012-07-20 09:25:25 | 日本文化
最近気になっていることがある。

お店で買い物をすると、包装やショッピングバッグ(紙袋)に入れてくれるときに、セロテープを使う。
小洒落たお店なんかだと模様入りマスキングテープなんかで、ステキに貼ってくれる。

そのテープをベッタリと貼らずに先端をちょっと折り曲げて、はがすときの手掛かりを作ってくれる貼り方、をするところが、最近すごく増えた。
それって、いつからだろう?
少し前には、ベッタリと貼られたテープをはがすのにまずヒト苦労、包装紙を破きたくない主義の私はいつもイライラしていた。
かなり前、女性向けの雑誌なんかで、啓蒙?ビジネスマナー?のコラムなんかで、
「剥がすときの人のことを考えて、心配りしてテープが貼れる女性ってなんてステキ(もしくは仕事が出来る)」
ような記事を読んだ記憶がある。
その時は「ふーん、心配りって大事なのね」と思ったのだが、
今やそれは「気の利いた心配り」というより、接客業のマニュアルに近くなったのかもしれない。

そんなにオシャレでもなく、安いものを買って、こんな風に剥がし安く先を折り曲げたテープを貼ってもらうと
なんだかとっても申し訳ない気持ちになる。このお店に、この買い物に、この人に、そんなサービスをしてもらうのは
普通なことと受け取っていいのだろうか?それとも、このお店この人はステキだな、と感謝するべきなんだろうか。

家に帰って、幾重にも丁寧に包まれた綺麗な紙の包装紙を開けて、悩んだ挙句、結局その素敵な包装紙や紐をゴミ箱に捨てるときに感じる罪悪感に似ている。

…サービスが過剰。
今の日本のサービスは、病気の域に入ってる、という気がする。

美しい過剰包装、いらっしゃいませ、こんにちは+笑顔、割り箸、水、
そして行きついた「心遣い」というサービス。

とはいえ、数年前までは私自身「なんだこのサービスは、プロの仕事か?」と怒ってばかりいた。
接客の言葉遣いとか、たらいまわしの対応とか、品切れを把握していないとか、コールセンターに電話して待たされた時間が長すぎるとか…様々に

段々、そうかな?と思えてきた。
このサービスに従事している人は、一体いくらくらいのお給料なんだろう。
私の要求する「プロの仕事」をすることに見合ったお給料をもらっているのだろうか?イヤ、絶対に貰っていない。
それなのに、客のサービスへの要求はどんどん高くなり、雇い主は他社との競争に勝つための最終手段として「良いサービス」を投入しようとする、もう価格競争では疲れきっているから。
現場の一番声の小さい働き手は、対価に見合わない「心遣い」のサービスを、(無償の労働サービスとして)提供せざるを得なくなって、どんどん追いつめられる。

「気の利いた」「心遣い」は魔物だ。日本人なら誰でも持っているはずの美徳メンタリティーとして、社会的に認知されているものだ。出来なければ「日本人のくせに」「気が利かない」「無粋だ」と揶揄され、人間性にマイナスポイントをつけられる。
そうなったら、もうそれは人格問題だ。

そんなエスカレートが、もう行きつくところまで行きついて、サービスの現場の人がどんどん過労死したりしているのだと思う。


結論

もっと大らかに、ルーズになる努力をしよう。自分に対しても相手に対しても。日本社会全体が。

もしくは、日本人が得意とする「心遣い」を要求し、また提供する側もそれを武器にするなら、それ相応の対価を払おう。
日本人のメンタリティーや伝統としての「心遣い」は、それが出来る「余裕」があってこそ。
それが得意ならば、その対価を堂々と要求したい、世界に対して。

私個人的にはバランス主義なので、もう少し社会全体がルーズでいい加減を許容するようになり、いいサービスにはちゃんとした対価が支払われる社会、が好きだ。

電車やバスは、もうちょっと遅れても文句を言わないし、「いらっしゃいませ」に「こんにちは」と笑顔はついていなくてもかまわないし、テープはベッタリ貼ってもらって結構だと思う。

サービスへの過剰な要求と、社会全体の疲弊具合は比例しているのかもしれない。
時給850円の仕事に対して、1200円の見返りを求めることは、もう止めたいと思う、私自身も労働者の一人として。