7月12日 毎日新聞の朝刊 全国版 16面 15段(一面)にこの意見広告が載りました。
広告主は #CIVILACTIONJAPAN(シビルアクションジャパン)
事の起こりは5月に、センセーショナルに報道された
「芸人河本氏の親族が、河本氏が高給を得ているにもかかわらず扶養義務を果たさず、生活保護を受給している」
事件でした。
人気芸人である河本氏は、涙の謝罪記者会見を開くに至り
大物政治家が、この顛末を煽り、
政治の場での生活保護受給資格の改正論議となりました。
私は、この河本氏一連の報道からおきた「ざわざわした動き」「様々な意見や価値観のぶつかり合い」がtwitter上で激しく飛び交うのを見ていました。
そのうち、煽った政治家やマスコミに対して『こういう下衆いやりかたはおかしい』(この広告を企画実行した匿名の「twitter上では#oiehoie氏」の言葉によると)という意見を発しよう
ネット社会の対岸にある報道機関である「大新聞社」に意見広告を載せよう
広告費を募金で募ろう
という発案がされるさまを、twitterのタイムラインで、見ていました。
その後、募金の為の口座が開設され、募金が開始され、次々と募金が入金がされ、批判や新手の募金詐欺だという意見が多く発せられ、開設されたHPはロクに運用されず、広告案をデザインする(ボランティアの?)デザイナーが手を上げ、広告代理店との交渉が始まり、新聞社の選定と交渉が行われ…ているらしい様子を日々twitteri上で、かなりつぶさに見ました。
「ているらしい様子」というのは、すべてtwitterでの当事者のツウィートを読んで知る、というだけで、本当に実際何が行われているかを、確かめる術は何もないからです。
ただ、すべての証明が、「意見広告が大新聞社の15段に載る」というの最後の結論一点のみによってされる、という図式でした。
そして、7月12日毎日新聞15段の意見広告が出たのです。
私自身は、
主宰の#noiehoie氏について
何者だかはっきりしない、けれど自らを右翼と称し(本当にその思想が右翼かどうかは疑問)、反原発デモ等の先頭に立って活動している、ある種の市民政治活動家の部類の人だろう
tweet内容を見ている限り、賢そう(知識水準が高そう)だし、発言に一貫性はあり筋は通っている
という印象を持っていて、
賢い彼の活動キャリアの一端をまんまと担がされたくはないし、頑なに自ら匿名を貫くことに違和感を持っていたし、
なにしろこういうお祭りのような流れに乗じることへのある種の違和感を持ちつつ、でも相当な興味を持ってことの推移を見ていました。
「制度を改正するために個人を攻撃する必要はありません」という意見に対しては同意していたからです。
結局参加しないで傍観しているのもなんだか高みの見物的で嫌だし、きっと私自身が後からなんやかや言いたくなるのだから参加しないのはたぶん卑怯だろう、と思い募金に参加したので広告主の一人でもあります。
多くの実名著名人(文化人・知識人)アカウントは、ほとんど沈黙を守っていました。
賛同、応援の態度を示しつつも傍観を守っていました。
私も、自分が参加したことを公開しなかったので、彼らの気持ち(危惧や保身)はわかる気がします。
フォロワーの多い著名人アカウントが、せっせと協力したならば、また違った活動になり結果も違ったかもしれません。
#noiehoie氏も、ここまで著名人アカウントに「無視」の態度を取られるとは、予想外だったのかもしれません。
広告が掲載された後、一連の活動と広告趣旨を評価する意見があちこちで見られました。
著名な文化人の方々にも。
意見広告がでたことで、この動きは終息するのか、それともwebの発信力が従来のマスメディアを動かしたということが
何かを起こすのか、引き続き見続けて行きたいと思っています。
web上では、匿名、実名入り混じり、様々な価値観や意見が存在し、ぶつかり合っています。そのさまは、テレビ・新聞・雑誌のような従来マスメディアが捨て去ってしまったことのように思います。目を覆いたくなるような誹謗中傷や自分にとって受け入れがたい意見も、否応なしに目に入ります。そこに世の中がある、気がします。
広告主は #CIVILACTIONJAPAN(シビルアクションジャパン)
事の起こりは5月に、センセーショナルに報道された
「芸人河本氏の親族が、河本氏が高給を得ているにもかかわらず扶養義務を果たさず、生活保護を受給している」
事件でした。
人気芸人である河本氏は、涙の謝罪記者会見を開くに至り
大物政治家が、この顛末を煽り、
政治の場での生活保護受給資格の改正論議となりました。
私は、この河本氏一連の報道からおきた「ざわざわした動き」「様々な意見や価値観のぶつかり合い」がtwitter上で激しく飛び交うのを見ていました。
そのうち、煽った政治家やマスコミに対して『こういう下衆いやりかたはおかしい』(この広告を企画実行した匿名の「twitter上では#oiehoie氏」の言葉によると)という意見を発しよう
ネット社会の対岸にある報道機関である「大新聞社」に意見広告を載せよう
広告費を募金で募ろう
という発案がされるさまを、twitterのタイムラインで、見ていました。
その後、募金の為の口座が開設され、募金が開始され、次々と募金が入金がされ、批判や新手の募金詐欺だという意見が多く発せられ、開設されたHPはロクに運用されず、広告案をデザインする(ボランティアの?)デザイナーが手を上げ、広告代理店との交渉が始まり、新聞社の選定と交渉が行われ…ているらしい様子を日々twitteri上で、かなりつぶさに見ました。
「ているらしい様子」というのは、すべてtwitterでの当事者のツウィートを読んで知る、というだけで、本当に実際何が行われているかを、確かめる術は何もないからです。
ただ、すべての証明が、「意見広告が大新聞社の15段に載る」というの最後の結論一点のみによってされる、という図式でした。
そして、7月12日毎日新聞15段の意見広告が出たのです。
私自身は、
主宰の#noiehoie氏について
何者だかはっきりしない、けれど自らを右翼と称し(本当にその思想が右翼かどうかは疑問)、反原発デモ等の先頭に立って活動している、ある種の市民政治活動家の部類の人だろう
tweet内容を見ている限り、賢そう(知識水準が高そう)だし、発言に一貫性はあり筋は通っている
という印象を持っていて、
賢い彼の活動キャリアの一端をまんまと担がされたくはないし、頑なに自ら匿名を貫くことに違和感を持っていたし、
なにしろこういうお祭りのような流れに乗じることへのある種の違和感を持ちつつ、でも相当な興味を持ってことの推移を見ていました。
「制度を改正するために個人を攻撃する必要はありません」という意見に対しては同意していたからです。
結局参加しないで傍観しているのもなんだか高みの見物的で嫌だし、きっと私自身が後からなんやかや言いたくなるのだから参加しないのはたぶん卑怯だろう、と思い募金に参加したので広告主の一人でもあります。
多くの実名著名人(文化人・知識人)アカウントは、ほとんど沈黙を守っていました。
賛同、応援の態度を示しつつも傍観を守っていました。
私も、自分が参加したことを公開しなかったので、彼らの気持ち(危惧や保身)はわかる気がします。
フォロワーの多い著名人アカウントが、せっせと協力したならば、また違った活動になり結果も違ったかもしれません。
#noiehoie氏も、ここまで著名人アカウントに「無視」の態度を取られるとは、予想外だったのかもしれません。
広告が掲載された後、一連の活動と広告趣旨を評価する意見があちこちで見られました。
著名な文化人の方々にも。
意見広告がでたことで、この動きは終息するのか、それともwebの発信力が従来のマスメディアを動かしたということが
何かを起こすのか、引き続き見続けて行きたいと思っています。
web上では、匿名、実名入り混じり、様々な価値観や意見が存在し、ぶつかり合っています。そのさまは、テレビ・新聞・雑誌のような従来マスメディアが捨て去ってしまったことのように思います。目を覆いたくなるような誹謗中傷や自分にとって受け入れがたい意見も、否応なしに目に入ります。そこに世の中がある、気がします。