舞蛙堂本舗リターンズ!~スタジオMダンスアカデミーblog

ダンス(フラ・ベリーダンス他)と読書と旅行とカエル三昧の日々を綴る徒然日記。

十二国記語録

2007-12-19 23:16:32 | ぼくはこんな本を読んできた
久々に十二国記シリーズ第一作『月の影 影の海』を読んでます。
もう繰り返し繰り返し読んでますが、何度読んでもある箇所では涙が溢れ、ある箇所では快哉を叫び、またある箇所では癒しと安らぎを与えられます。

もっともこの第一作は癒しとか安らぎとかいう言葉とはかけ離れて血腥いですが(笑)。
でも私はこの巻がとても好きです。主人公の陽子の腕っぷしがそらもう強く、次々襲いかかる敵を見事な剣さばきでなぎ倒してゆくのを見るのも痛快ですが、それだけでなく、ところどころに散見する含蓄に富んだ言葉にも奥行きがあり、この作品がただの娯楽小説にはとどまらないことがわかります。


この作品のヒロイン・陽子は、わけも分からぬままいきなり現代日本から得体の知れない異世界に連れてこられ、幾度も命の危険や人の裏切りに遭いながらも、やがて本当の自分を見つけてゆきます。
これはその悟った時の陽子の心象描写の一つ:

陽子は故国で人の顔色を窺って生きていた。誰からもきらわれずにすむよう、誰にも気に入られるよう。人と対立することが怖かった。叱られることが恐ろしかった。今から思えば、なにをそんなに怯えていたのだろうと、そう思う。
ひょっとしたら臆病だったのではなく、たんに怠惰だったのかもしれない。陽子にとっては、自分の意見を考えるより他人の言うままになっているほうが楽だった。他と対立してまでなにかを守るより、とりあえず周囲に合わせて波風を立てないほうが楽だった。他人の都合にうまく合わせて「いい子」を演じているほうが、自己を探して他としのぎを削りながら生きていくよりも楽だったのだ。
卑怯で怠惰な生き方をした。だからもう一度帰れればいいと思う。帰ったら、陽子はもっとちがった生き方ができる。努力するチャンスを与えられたい。



この時点では元いた世界に戻りたいと願っていた陽子でしたが、やがてなんと彼女はこの世界の王であったことが発覚(未読の方には話がぶっ飛んでてすいません)!!
この世界で王とは天命により選ばれるもの。つまり、地位や血統などはまったく関係なしに、真にその資質を備えたものしか選ばれることはないのです。

それでも本当に自分に王たる器があるのかと逡巡する陽子に、現役の他国の王(って私がこの作品で一番好きなキャラクターです)が諭します。

「おまえはまさしく王気を備えていると思う...おまえはおまえ自身の王であり、己自身であることの責任を知っている。それがわからぬ者に王者の責任を説いたところで虚しいだけだし、自らを統治できない者に国土を統治できようはずもない」


つまり、ここで語られている理想の人間像が、まさしく私の理想と合致しているんですな。
自分より強い者にに媚びることでかりそめの安住を得ることを厭い、人を裏切って卑怯者になることよりは裏切られることを選び(そう、陽子は「裏切られてもいいんだ。裏切った相手が卑怯になるだけで、わたしのなにが傷つくわけでもない。裏切って卑怯者になるよりずっといい」とも言ってます)、自分で自分を治める能力を持ち、それゆえ他者に優しくなれる人間。それこそ、本当の意味で矜持が高いということなのだと思います。

私はこういう生き方をしたい。
現実世界で貫くには、おそらくこれはたんにカッコイイだけの生き方ではないでしょう。むしろ不器用で世渡りの下手な生き方かもしれません。ここは天命の存在する小説の世界ではなく、世知辛い憂き世だからね。

それでもやはり、私は決して自分の矜持を捨てない人間になりたいと思います。
今はまだとてもそんな器じゃないけれど。いつか、自分自身が強いから他者に対して心を広くもてる、そういう境地に達するのが私の目標であります。

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