昨日お話ししたフラ公演の話題で、「ハワイの人の踊りはフィーリングが違う」と書きました。
ではどこが違うのかというと、一番大きいのは「音に合わせるかカウントに合わせるか」の違いだと思います。
ハワイアンミュージックには独特の「間」があるため、曲にあわせて踊っていれば自然と踊りにも同じ「間」が生まれます(注:あくまでも「ハワイの」奏者の音楽ですよ)。
そのためには普段から音に合わせて練習していかなければなりませんね。
ところが、普段カウントでばかり練習してしまっていると、音に合わせて踊っているはずなのに音を無視するという事態が起きてしまうわけです。
これには踊り方以前の問題もありますね。
振り付けの時点でカウント中心に考えられたもの(音が引っ張ってるのに無視してステップ踏んじゃってたりなど)だと、いくら踊り方でがんばってもどうしようもありません。
とはいっても初めに覚える時点ではカウントは必要悪なので、例えばウチの場合、音で考えた振り付けに後から説明用カウントをつけます(笑)。
それでもカウントではどうしても微妙なタイミングを言い表せません。だから結局、「カウントで踊っているときと曲がかかったときの踊り方が全然違う」なんて事態が起きてしまうのです。
最初は混乱してしまうかもしれませんが(ゴメンナサイ)、音に慣れてくればじょじょに音に合った踊り方の方がずっとシックリいくようになってくるはずです。
ちなみに私は生まれてこのかたカウントで踊りを覚えた試しがありません。
だからしばしばレッスン前に「こんなのカウントじゃ表せないのよぉ!」と憤る私と、「それじゃみんなに説明できないでしょうがァァ!!」と反論するマミちゃんが対立します(笑)。
あと、カウントのかわりに歌いながらでないと踊りが出てこないという奇癖も発症しています。
私が生まれてこのかたやった試しがないことはもう一つあり、それは振付けを紙に書いて覚えることです。
これも「カウントで覚えること」と関連しているかもしれません。何故なら紙上であらわすには、音に対応した書き方はあまりに難しく、カウントに直すしかなくなってしまうからです。
もちろん忘れないように重要箇所をメモしておくのは必ずしも悪いことではありません。
しかし、メモを頼りに振り付けを覚えるのは本末転倒です。
メモを頼りに覚えた踊りの問題点は二つ。
まず、さっき述べたようなカウントで踊る踊りになってしまい、音に合わない踊りが出来上がること。
もうひとつは、「見る」「あなた」「月」みたいにブロックで覚えてしまい、じつは最も肝心な「動きと動きのつなぎ目」が習得できなくなることです。そうすると、まさしく紙に書いたような平面的な踊りが出来上がります。
いずれにしても、これじゃ美しい踊りは期待できません。
そうはいってもねえ、書かなきゃ覚えられないよ、とおっしゃる方も多いことでしょう。
もし、メモで覚えることにもなにがしか利点があるとするならば、それは「書いたことによって自分が覚える効果」です。
私は踊りを書いて覚えたことはありませんが、学生時代のテスト一夜漬けは「書くこと」と「声に出すこと」の徹底で乗り切ってきましたからね。
高校時代なぞ、秦の始皇帝から始まる腹立たしいほど長くて覚えることが多くてわけわからん名前の人ばっかり出てくる中国史を、ひたすら一晩書きまくっただけで97点取ったことがありました。
いやあ、前の晩に「こんな名前の人いたっけか」なんて歴史上の人物数十人と遭遇したのに、何とかなるものです。
だからテスト勉強なんざ一晩で充分です。あっ違った。その話じゃないですね。書くと記憶力にすごくいい影響を与えるという、そっちのお話でしたね。
だから、ひとが書いたメモのコピーで覚えるというのは、書いて覚える効果すら期待できない最もお勧めできない覚え方です。
書かれたものがあると「覚えたような気」になってしまうのも恐いですね。
一気にたくさん覚えようとしなくていいから、少しずつ、でも必ず自分の頭と身体でもって覚え込んでいくのが、振り付けをステキに踊れるよう身に付けるコツだと思います。
ではどこが違うのかというと、一番大きいのは「音に合わせるかカウントに合わせるか」の違いだと思います。
ハワイアンミュージックには独特の「間」があるため、曲にあわせて踊っていれば自然と踊りにも同じ「間」が生まれます(注:あくまでも「ハワイの」奏者の音楽ですよ)。
そのためには普段から音に合わせて練習していかなければなりませんね。
ところが、普段カウントでばかり練習してしまっていると、音に合わせて踊っているはずなのに音を無視するという事態が起きてしまうわけです。
これには踊り方以前の問題もありますね。
振り付けの時点でカウント中心に考えられたもの(音が引っ張ってるのに無視してステップ踏んじゃってたりなど)だと、いくら踊り方でがんばってもどうしようもありません。
とはいっても初めに覚える時点ではカウントは必要悪なので、例えばウチの場合、音で考えた振り付けに後から説明用カウントをつけます(笑)。
それでもカウントではどうしても微妙なタイミングを言い表せません。だから結局、「カウントで踊っているときと曲がかかったときの踊り方が全然違う」なんて事態が起きてしまうのです。
最初は混乱してしまうかもしれませんが(ゴメンナサイ)、音に慣れてくればじょじょに音に合った踊り方の方がずっとシックリいくようになってくるはずです。
ちなみに私は生まれてこのかたカウントで踊りを覚えた試しがありません。
だからしばしばレッスン前に「こんなのカウントじゃ表せないのよぉ!」と憤る私と、「それじゃみんなに説明できないでしょうがァァ!!」と反論するマミちゃんが対立します(笑)。
あと、カウントのかわりに歌いながらでないと踊りが出てこないという奇癖も発症しています。
私が生まれてこのかたやった試しがないことはもう一つあり、それは振付けを紙に書いて覚えることです。
これも「カウントで覚えること」と関連しているかもしれません。何故なら紙上であらわすには、音に対応した書き方はあまりに難しく、カウントに直すしかなくなってしまうからです。
もちろん忘れないように重要箇所をメモしておくのは必ずしも悪いことではありません。
しかし、メモを頼りに振り付けを覚えるのは本末転倒です。
メモを頼りに覚えた踊りの問題点は二つ。
まず、さっき述べたようなカウントで踊る踊りになってしまい、音に合わない踊りが出来上がること。
もうひとつは、「見る」「あなた」「月」みたいにブロックで覚えてしまい、じつは最も肝心な「動きと動きのつなぎ目」が習得できなくなることです。そうすると、まさしく紙に書いたような平面的な踊りが出来上がります。
いずれにしても、これじゃ美しい踊りは期待できません。
そうはいってもねえ、書かなきゃ覚えられないよ、とおっしゃる方も多いことでしょう。
もし、メモで覚えることにもなにがしか利点があるとするならば、それは「書いたことによって自分が覚える効果」です。
私は踊りを書いて覚えたことはありませんが、学生時代のテスト一夜漬けは「書くこと」と「声に出すこと」の徹底で乗り切ってきましたからね。
高校時代なぞ、秦の始皇帝から始まる腹立たしいほど長くて覚えることが多くてわけわからん名前の人ばっかり出てくる中国史を、ひたすら一晩書きまくっただけで97点取ったことがありました。
いやあ、前の晩に「こんな名前の人いたっけか」なんて歴史上の人物数十人と遭遇したのに、何とかなるものです。
だからテスト勉強なんざ一晩で充分です。あっ違った。その話じゃないですね。書くと記憶力にすごくいい影響を与えるという、そっちのお話でしたね。
だから、ひとが書いたメモのコピーで覚えるというのは、書いて覚える効果すら期待できない最もお勧めできない覚え方です。
書かれたものがあると「覚えたような気」になってしまうのも恐いですね。
一気にたくさん覚えようとしなくていいから、少しずつ、でも必ず自分の頭と身体でもって覚え込んでいくのが、振り付けをステキに踊れるよう身に付けるコツだと思います。