93歳・老大娘の日記

晩年を生きる

知多半島ふしぎ物語 (講座)

2021-05-19 15:00:30 | お出かけ

ヘビイチゴ (お友達から)

今日の講座は「唐人お吉」 知多内海にあるお吉の碑

講座から帰宅後ネットで調べてみました。

ウィキペディアでは出生地伊豆下田となっているが、

本当は知多半島西端村(今の内海)が正しいようです。

生まれて後家族と下田に移り住み芸妓になったらしい。

お吉出生地碑 ↓  知多半島(内海)

人気芸者なってしまって きち(本名斎藤きち)の不幸が始まった。

類まれな美人、これぞ「傾城の美女」

写真はほぼこれ一枚だけが残っているようです。

初代駐日総領事ハリス体調を崩し、看護婦を派遣してほしいと

下田奉行所へ要請があった。通訳のヒュースケンが正しく

「Nurse」と伝えたかどうか?当時まだ看護婦が存在していたか?

奉行所の役人が「ハリスが妾をほしがっている」と解釈してしまった?

?が続いて売れっ子芸者吉が派遣された。その後ハリスの意向、

ヒュースケンの為人、言葉の問題も重なって誤解もあり

きちは三日で返されたが以後世間では「唐人お吉」と噂され

不幸が始まった。一時期恋人と暮らした幸せもあったが

49歳の時乞食の群れに入り、下田付近を徘徊、ついには

下田近郊門栗ケ淵(通称お吉ケ淵)に投身自殺。51歳だった。

平安時代の昔ならいざ知らず、200年にも満たない年月でも

正確なことが残されていないことをしりました。

 

コメント (10)
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