つれづれに

きままに書きます。
どうぞよろしく。

体の凝りまでとれています。

2009年08月11日 | Weblog
 ここ数日眠れない夜が続きました。
普段はバタン・キューに近い熟睡型なのですが。

精神的に落ち込むことがあって、自問自答を繰り返していましたので、眠れなくなっていたのです。

昨夜も眠りにつけたのは午前3時近く。
おかげで、朝方の強い地震にも目が覚めませんでした。

もし箪笥や天井の照明が落ちてきていたら、大怪我をしたか、下手をすれば・・なんていうところでした。

そんな中、今日は恒例の追跡検査のための受診日でした。
いつものように、主治医と禅問答のようなやり取りをして、薬をもらって帰ってきました。

その後、久しぶりに職場の同僚だった人と昼食をとりました。
タウン雑誌に出ていた近くの和食の店を探しました。
銀たらの西京焼き、お刺身がメインの定食が750円はもうけものというおいしさでした。

その後、コーヒーが飲みたくなって、
最近知り合いが開いたコーヒーショップへ。息子さんと友人の2人で始めたばかりの店です。
静かな空間、マイルドな私好みの味でした。

職場の情報交換に始まり、我が家の娘のこと、全然進まない家の片付けなどなど。

あっという間の3時間。
今度はゴーギャンの展覧会に行きましょうかいうことで別れました。

お互いの中に義務もなく、競うこともない関係。過ぎたことを共に思い出し懐かしむ関係。
そして気に入ったことを一緒に楽しむこんなことが出来る関係。

その中でのおしゃべりは気がついてみればごりごりだった肩が柔らかくなっていました。

こんな関係になれた夫婦はきっとしあわせだろうな~と思ったのでした。

あなたは幸せですか、そう聞いてみたくなりました。



傷跡、あなたは何と読みますか?

2009年08月10日 | Weblog
昨日は長崎に原爆が投下された日です。
平和式典で田上市長は、広島の秋葉市長と同様に、オバマ演説を歴史的な演説と評価して、核兵器廃絶を訴えました。

それと対照的なのは、麻生首相。
「日本にとって核の傘は必要」と言ってのけました。
これが唯一被爆した国の政治の最高責任者なのですから、言葉がありません。
核兵器を廃絶するのは困ると考えているのですね。


あの核兵器の被害の悲惨さをとくと見たことがあるのでしょうか。
その被害が世代を超えて及んでいることの意味を理解しているのでしょうか。

どうやらまた読み違えたようですね。
傷跡をしょうせきと。
大事な平和式典での挨拶の中でのことです。
これで被害を理解しているのでしょうか。疑問になってきます。

首相の座から早く降りてほしいと思いませんか。
日本国民が同じようにお粗末だとは思われたくないですから。


不謹慎だったような・・・・。

2009年08月08日 | Weblog
前の日記を見直してみたら
何と不謹慎な!

今日はいい日でしたと書いたのは
8月6日。
広島への原爆投下の日でした。

午前中、広島の記念式典をテレビ中継で見て、秋葉市長の平和宣言に聞き入っていたというのに。

平和宣言は、核兵器廃絶に向けて、アメリカのオバマ大統領が核兵器使用の道義的責任を初めて表明したことを歓迎して、オバマジョリティと呼び
核兵器廃絶に向かって力を合わせることができると結んでいたのでした。

この運動の前進を感じることができた感激は、
その長い核兵器廃絶を訴えてきた被爆者をはじめ、
被害を一身に受けてきた広島・長崎の人たちの犠牲と戦いの上に成立していたというのに。

夕刻にみた映画による感激を思い浮かべた時、
その8月6日という日の意味が後ろに隠れてしまったのでした。

この日にふさわしくないタイトルだったようです。

今日はいい日でした。

2009年08月06日 | Weblog
なぜかというと、
いい映画を見ることができたからです。

ちょっとお酒を(といっても盃2杯の梅酒のですが)飲んだせいで
少々いい気持ちになってきちんと書けそうにないので、

題名の紹介だけで失礼します。

ディア・ドクター
鶴瓶?、瑛太主演
過疎の町のたった一人の医者?が主人公。
医療に必要なものがなんなのか
とくと考えさせてくれます。

文句なくいい映画でした。
おくりびとより心に残る映画だったかも。

絶対お勧めです。
原作・脚本・監督を務めた西川美和さんのその眼・能力に脱帽です。

不愉快なニュース番組の質問です!

2009年08月04日 | Weblog
昨日から、同時進行裁判?番組と称して
初めての裁判員裁判についてニュースが流れています。

国民に関心を喚起し、実態を知らせようということのようです。
知らないうちに裁判員裁判が実施されることが無いようにするという点では意味があるのでしょう。

でもひたすら裁判委員の発言があったかどうかばかりを問うアナウンサーの質問が気になって仕方がないのです。
もっと正確に言うと耳障りに感じました。

一市民が、今まで全く関係がなかったいかめしい場所に足を踏み入れ、
わずか3時間前に裁判委員に指定されて、
緊張の局地で、
いろいろ聞かされ、判断を迫られる。
国民を代表してです。

ものなれたコメンテーターだって抜き打ちでは難しいような
質問など出来るものでしょうか?

あって当然のように ニュースのたびにそのことを求めるアナウンサーの問いかけって、
それこそ市民感覚からずれていると思えてなりませんでした。

臆せず質問できる裁判員にあなたならなれますか?