象が転んだ

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カール•フリードリヒ•ガウス”その4”〜数々の偉業と楕円関数論研究

2020年06月11日 04時35分07秒 | 数学のお話

 2/19以来、約4ヶ月ぶりのガウスです。間が空き過ぎたので、これまでの3話を大まかに振り返ります。

 ”その1”では、超天才ガウス青年の運命を大きく変えた19歳の春までを述べました。
 まず僅か14歳のガウスは、”x未満の素数の個数が近似的にx/logxである”という素数定理を予想します。この空前絶後の大予想は100年後の1896年にアダマールとプーサンにより証明されます。
 そして19歳の時には、”定規とコンパスだけで正17角形を作図する”という、”幾何学の父”ユークリッドですらなし得なかった偉業を2千年ぶりになし遂げました。
 これはオイラーが、ユークリッドですらなし得なかった素数の無限性を、2千年ぶりに数学的に証明した偉業と偶然にもそっくりです。
 

第一話〜幾何学と代数学の融合

 因みに、ユークリッドの幾何学の条件では、”直線と円だけを使う”。故に、”定規とコンパスによる作図法”と呼ばれる。
 ガウス青年が、この難題に挑む土台となったのが、”直線も円も1つの方程式で満たされる”とするデカルトの”幾何学と代数学を結ぶ”理論でした。
 しかし円は直線より複雑で、直線と円や円同士が交わる時は2次方程式を解き、平方根を取る必要がある。故に、”定規とコンパスで作図する”とは、一連の平方根を取る作業である。

 そこでガウス青年は”複素数を使えば、正多角形を単純な方程式に変換出来る”事に気付いたのだ。
 例えば、正5角形の頂点を表す方程式は、x⁵−1=0と複素解を持つ方程式で表せる。実数解x=1を除くと、残りはx⁴+x³+x²+1=0。これは次数4(2の累乗)の方程式で、ユークリッドが既に正五角形を作図してるので、この4次方程式は、一連の二次方程式に還元できる。
 正17角形も実数解x=1を除くと、次数は16で、2の累乗となる。故に、この16次方程式も一連の二次方程式に還元でき、前述の4次方程式の2重構造となるので、正17角形も作図できる事に気付いた。
 一般的に、正n角形のn個の根は、xⁿ−1=(x−1)(xⁿ⁻¹+xⁿ⁻²+•••+1)=0で示され、円周をn等分する事から、”円周等分方程式”とも呼ぶ。
 このガウス青年の”等分理論”が後の楕円関数の研究に大きく寄与するんですね。
 少し長くなりましたが、詳しくは”その1”を参照です。


第二話〜平方剰余の相互法則

 次に”その2”では、ゲッティンゲン大時代のガウスの数論合同算術、それに平方剰余について述べました。
 ガウスは学位論文「代数学の基本定理」の中で、”複素係数の任意のn次多項式は複素数の根をn個持つ”を証明します(1799)。
 ここにて、数学史上初めて複素多項式の重要性を、21歳のガウスが説いたんです。
 その後、数論の分野でも大きく頭角を現し、数学史上最も有名な研究の1つ「算術研究(アリトメチカ研究)」(1801)を書き上げ、その名声はヨーロッパ中に広まった。
 つまり、2千年前にユークリッドが幾何学に対して行った事を数論に対して行った。23歳のガウスが書いたこの本は、ファーディナンド公爵の寄付金で出版された。

 ガウスのこの数論研究は、”平方剰余相互法則”の第一補充法則が起点となる。当時、若干17歳の青年は、これをきっかけに数論の全容の探索を続けた。
 今日、”モジュラ算術(合同算術)”と呼ばれるこの手法は、平たく言えば、任意の数をある数(モジュロ)で割った余りのみで、全ての数を表現する。
 例えば、”4を法(モジュロ)とすると、全ての数は余り(剰余)である0,1,2,3に合同(≡)である”と表現した。特に、加法と乗法ではこのモジュラ算術が成り立つ。

 故に、その2年後にガウスは、「平方剰余の相互法則」を発表する(1796)。この法則こそが、ある法(モジュロ)の下で平方数がどの様な形を取るかという、数論の基本的な疑問に答える決定的な道具となる。
 つまり全ての平方数が、4を法として0又は1という事がすぐに判り、これらを法を4とする”平方剰余”と呼び、それ以外の合同類2と3は”平方非剰余”と呼ぶ。この様に、全ての平方数が4k又は4k+1という形である事を簡単に証明できる。
 因みに、フェルマーは素数を4k+1と4k+3に分類し、フェルマーの小定理が合同算術を使って成立する事を「平方剰余の法則」は示してますが、ルジャンドル記号を使った表記は非常に抽象的なのでここでは省きます。

 この合同算術のアイデアは数論に関する幅広い定理の基礎となった。一方で既にフェルマーやオイラーやラグランジュが、このパターンに気付いてはいたが、証明は出来なかった。
 故にガウス青年が、これを密かに”黄金定理”と名付けたのも頷けますね。


第三話〜ケレス惑星の発見と最小二乗法

 ”その3”では、ガウスの天文学での偉業を説明しました。
 1797年から始まるガウスの楕円関数の最初の研究とレムニスケート関数の発見はとても重要です。そして1800年には、とうとう一般楕円関数を発見し、その理論を展開します。
 この楕円関数に関しては、最後に少し触れるだけにして、次回で述べる事にします。

 1801年、24歳のガウスに天文学を研究するチャンスが訪れる。この年の元旦、天文学者のジュゼッペ•ピアッツィ(伊)が”新惑星”ケレスを発見し、大きな話題を呼ぶ。
 火星と木星の間を公転する小惑星こそが未知の”新天体”とされるケレス惑星が、太陽の陰に隠れると2度と見つけられないのでは?との大きな懸念が広まっていた。
 そこでガウスは、精度の高くない少ない観測結果からケレスの精確な軌道を割り出した。
 この功績でガウスは、1807年にゲッティンゲン天文台の台長に就任し、以後40年間同職につく。しかし、測定用機材などは全くなく、自らガウス式レンズの開発や天文学における数々の発見を積み重ねた。

 この時ガウスが用いた手法は”最小二乗法”で、”天体の軌道に関する簡単で最も新しい方法(近似法)”として、1795年に既に発見してたと言う。この近似法は、誤差の2乗の和を最小にする(偏差の積平均と偏差の2乗平均を求める)方法で、ルジャンドルが1805年に発表し、ガウスとの先取権で大もめした。
 ガウスが「天体運行論」を発表した1805年にヨハンナ•オスホトフと結婚し、3人目の息子をもうけ、非常に幸せな生活を送ってたが。1809年に最愛の妻を亡くし、次男をも亡くす。その後再婚するも、本当の幸せは訪れなかったという。 
 

ガウスの楕円関数論研究

 さてと、長々と第3話までのおさらいをしましたが、ガウスと言えば楕円関数論の研究でも有名ですね。
 アーベルやヤコビの記事でも何度も書きましたが。特に、先述した円周等分方程式の等分理論は、楕円関数の研究に大きく寄与します。
 ガウスの「数学日記」によると、1797年1月の19歳の時に、”積分∫dx/√(1−x⁴)に関し、レムニスケートの研究を始める”と記してる。
 このレムニスケート曲線の等分理論はガウスを待って再び数学史に現れた。しかし、レムニスケート曲線の等分問題への着目では、ファニャノ(伊)が先駆者でした。
 因みにレムニスケート曲線とは、ベルヌーイ兄弟により発見され、ファニャノにより楕円積分として、幾何学的に研究された平面曲線です。

 ガウスはレムニスケート曲線が等分できるなら、楕円関数も等分できると既に理解していました。
 因みに、レムニスケート曲線の等分はその弧長積分”∫dx/√(1−x⁴)”の等分と同じ事で、この逆関数(φ)を取ればレムニスケート関数の等分方程式を解く事になる。
 つまり、レムニスケート積分(弧長積分=楕円関数)の逆関数(φ)は、レムニスケート関数と呼ばれます。
 故に、(第一種)逆関数を楕円関数と呼ぶならば、ガウスの等分理論の主役は等分点の幾何学的な作図ではなく、楕円関数となる。 
 つまり、レムニスケートの研究とは楕円関数の研究だったんです。 

 事実ガウスは、「整数論(アリトメチカ研究)」(1801)にて、円周等分方程式の代数的解決に関する理論を展開します。この”円の分割を定める方程式”とは、三角関数の等分方程式の事です。
 つまりx=sinθは、円の弧長を表す積分(円積分)であるθ=∫(0,x)dx/√(1−x²)の逆関数”x=φ(θ)”という1価関数で認識されるので、円積分は円関数と呼ばれ、三角関数と同じ意味で用いられます。
 特に、レムニスケート関数の等分理論はガウスの円周等分理論の完全な類似物で、アーベルの”虚数乗法論”(虚数域での因数分解)へと向かう第一歩となります。

 特にガウスは、円周等分方程式の根を複素指数関数という超越関数の特殊値として表示し、指数関数に基づき、巡回性と根の関係を明示しました。
 一方、「整数論」の序説の中で、レムニスケート積分にても同様の”逆関数”の理論が成立するとガウスは記述してます。つまり、”ヤコビの逆問題”はここから来てたんですね。


最後に〜若きガウス、マゼラン海峡を渡る

 1800年5月6日の「数学日記」では、楕円関数論の誕生が数学史上初めて告げられました。ガウスが23歳になったばかりの頃です。
 ここで書かれた”超越的な量”である∫dx/√(1−αx²)(1−βx²)こそが第一種楕円積分で(第一種はルジャンドルが提案)、逆関数が存在する。この逆関数はヤコビにより”楕円関数”と呼ばれる事になります。
 この式には、後にモジュールと呼ばれる2つの定数αとβが伴います。楕円積分をこの様な形に書いたのはガウスが初めてですが、後のアーベルの論文にも同じ形で出てきます。
 勿論、アーベルはこの式を知りませんが、偶然にも全く同じ表記を提示しました。実に不思議な事ですね。

 ガウスの楕円関数論は、1799年5月のM(√2,1)=π/2ωの発見から始まります。つまり、√2と1の”算術幾何平均”とレムニスケート関数の周期π(⇔2ω)との関係を発見しました。
 因みに、算術幾何平均M(a,b)とは、(a+b)/2、√abをそれぞれa₁,b₁とし、a₁,b₁の算術平均、a₁,b₁の幾何平均をそれぞれa₂,b₂とし、次々にa₃,b₃、a₄,b₄、、、を求めると、これらは急速に共通の極限値に近づく。
 また、レムニスケートの周期2ωとすると、ω=∫(1,0)dx/√(1−x⁴)=(1/√2)∫(x,0)dφ/√(1−(sin²φ)/2))と導いた。

 ガウスはこれを大きな氷山の一角と認識し、”この等式を証明できたなら解析における全く新領域が開かれる”という予感を表明します。
 アーベルは5次以上の代数方程式の代数的解法を発見したと信じ、論文を書いた。それを見たデゲン先生は、”代数方程式論などに拘るのはやめて、楕円関数論を研究し、数学の大洋に向かうマゼラン海峡を発見すべきだ”と、若きアーベルにアドバイスした。
 つまり、このM(√2,1)=π/2ωの発見こそが、若きガウスにとって、楕円関数論の大洋に向かうマゼラン海峡だったんでしょうか。

 最後は、「ガウスの数学日記99」から一部参考にしました。

 少し長くなったので、楕円関数研究の途中ですが、今日はこれでおしまいにします。



6 コメント

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書かれなかった楕円関数論 (paulkuroneko)
2020-06-11 09:57:17
ガウスは1と√2との算術幾何平均がπ/2ωと小数第11位まで一致することを発見します。これが転んだサンが書かれた1799年5月30日のことですね。
そこでガウスは、M(1,√2)=π/2ωが証明されるならば楕円関数の発見を予感します。これが1800年5月ですから、丁度1年かかった訳です。
その翌月にはモジュラ−関数をも発見します。

これら2つの発見に関しては、生前に発表することはありませんでした。故に、”書かれなかった楕円関数論”とも呼ばれます。
しかしガウスは、この(秘密の)楕円関数論に関しては、大きな単行本に纏めるつもりでいました。

しかし1828年に、アーベルが楕円関数論を発表すると、ガウスはベッセルへの手紙の中で、”俺のやりたいことの1/3はアーベルがやってくれた”と書き残してます。

ガウスの創意も凄いですが、アーベルの洞察は”書かれなかった楕円関数論”をも見抜いたんです。まさにアッパレですね。
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paulさん (象が転んだ)
2020-06-11 10:23:23
悔しいね。
先越されちゃいましたか。
続きがあった事を見逃してました。

ガウスの楕円関数論の始まりは、ファニャノのレムニスケート曲線の等分にあるのではなく、実は小さい頃から温めてた算術幾何平均にあったんですね。

でも、レムニスケートの一言からそれすら見抜いたアーベルには脱帽です。
まさに、1800年はガウスが、1828年はアーベルが”マゼランの大海を渡った”歴史的な瞬間だったんですね。

こちらこそアッパレです。
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レムニスケート関数の発見 (UNICORN)
2020-06-12 03:10:36
ガウスはこのレムニスケート関数研究では、最初は沈黙してたんだ。
1797年1月に研究を始め、19ヶ月後の1798年7月にとうとうレムニスケート関数を発見する。

レムニスケート関数といっても、広義のっていう条件がつくが、そこから周期ωとω'を割り出し、楕円関数の周期であるωとiωを見事に探り出した。
お陰で、M(√2,1)=π/ωが一般化された形を何とか導き出す訳だ。

ここら辺の過程と計算はやたらとややこしいが、ガウスの力技を垣間見る思いがする。
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UNICORNさん (象が転んだ)
2020-06-12 05:12:39
書かれなかったというより、難しすぎる楕円関数論です。

「近世数学史談」の著者である故高木貞治教授は、”非常なる天才が更に非常なる勤勉と結びついた結果である”とガウスを絶賛してます。その言葉に異論はないですね。

貴重なコメント有難うです。
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ようわからん (腹打て)
2020-06-13 08:29:11
S(u)=sinφとおくと、S(u)は、楕円積分∫(x,0)dφ/√(1−μ²sin²φ)の逆関数、つまり楕円関数になる。

この楕円関数S(u)の周期はωとiω'で、レムニスケート関数の周期はωとω'。つまり、楕円関数の周期は複素数で考える必要がある。
そこでガウスは、ω=π/M(1,√(1+μ²))、ω'=π/M(μ,√(1+μ²))と置き、上と同様にして楕円関数S(u)の周期を計算すると、ω=∫(π,0)dφ/√(1+μ²sin²φ)、ω'=∫(π,0)dφ/√(μ+sin²φ)となる。

これにより、M(√2,1)=π/ωが一般化された形となったわけだ。

と言っても俺もようわからんが、転んだには分かるかな。
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腹打てサン (象が転んだ)
2020-06-13 09:14:13
昨日は”レムニスケート関数の発見”で一日を潰しましたが、殆ど前へ進みませんでした(悲)。

最初ガウスは、ω=∫(1,0)dx/√(1−x⁴)ですが、この時のωは円弧自体を指してんですが。
そこで、x=sinlemn(u)=coslemn(ω-u)として、レムニスケート的sinとcosを定義します。
uとxを級数を使って求めるんですが。

そこで、オイラーが発見した加法定理を使い、気の遠くなる計算をして、4ωを周期とするs(u)とc(u)をレムニスケート積分の逆関数として求める事に成功します。
でもそこからがまたややこしすぎる。ここに私玉砕です。

腹打てサン、私のお馬鹿な頭に知恵を下さいな。
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