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”積分論は難しい”と嘆く日本人へ(中編)〜ルベーグ積分の定義と積分論の本質

2025年02月19日 13時34分39秒 | 数学のお話

 「前回」は、高校で学ぶ定積分から始め、リーマン=スティルチェス積分に触れ、積分論の本質を引き出し、それから測度論に向い、ルベーグ積分の大まかな概念を紹介しました。
 寄せられたコメントにもある様に、平ペッた宅言えば、リーマン積分では定義域(X軸)が実数で、スティルチェス積分では単調増加関数で、ルベーグ積分では集合と理解すれば、誤解はないと思います。

 こうした抽象的な積分論は、区分求積法に基づく単純な数を定義域にした”タテ積分”でかつ”極限の操作に弱い”リーマン積分によりも、(集合を含む)関数を定義域にした”ヨコ積分”でかつ”極限の操作に強い”万能型のルベーグ積分の定義に慣れた方が、ずっと理解し易いのかも知れません。
 寄せられたコメントで言えば、リーマン積分では定義域をタテに極限にまで分割して近似するが、ルベーグ積分では値域をヨコに分割して近似する。故に、タテ積分では不連続過ぎる関数には対応できなく、ヨコ積分の方が不連続な関数にも対応できる。極限に弱いとか強いとかは、そういう事である。
 故に、定積分の基準となる閉区間よりも自由な可測集合が扱えるが、これはタテ分割が関数の値の大きさで制御できる事を意味し、集合と測度(集合の大きさ)を結びつける事で自由度の高い積分が可能となる。

 そこで今回は、ルベーグ積分の定義について少し突っ込んで述べていきます。
 以下、「確率論」(伊藤清 著)を参考に大まかに纏めます。


ルベーグ積分の定義

 積分論とは、高校で学習するリーマン積分(定積分)を拡張するルベーグ積分に関する理論である。 アンリ・ルベーグが27歳の時の学位論文「積分・長さ及び面積」の中で確立された新しい積分こそがルベーグ積分であるが、その定義の概要を紹介し、「前回」述べた[ルベーグ積分の主定理]である”T1〜T3”を満たす事を証明する。 

 まず、集合に数を対応させる決まりを”集合関数”と呼ぶ。例えば、集合Vに対し、Vの要素の数#(V)を対応させる関数となるが、つまり、集合関数とは”集合(の要素の数)を変数とする関数”で、その定義域は集合の集合(=集合族)となる。
 ここで、集合Xの部分集合Vに対し、0以上の実数μ(V)を対応させる集合関数が以下の2条件”①μ(∅)=0②異なるk,ℓに対し、Vₖ∩Vₗ=∅(空集合)⇒μ(⋃ₖ[1,∞]Vₖ)=∑ₖ[1,∞]μ(Vₖ)”を満たす時、μをX上の測度と呼ぶ。
 従って、集合Vₖ(⊂X)の和が其々に対応する測度μ(Vₖ)の和になる事が理解できますね。
 但し、⋃ₖ[1,∞]Vₖ=V₁∪V₂∪V₃∪…とは、V₁,V₂,V₃,…のうち少なくとも1つのVₙに属する点xの全体からなる集合である。

 例えば、集合Vに対し、μ(V)=#(V)=”Vの要素の数”とおけば、μはX上の測度になる。更に、X=R(実数)の場合、X=R上の測度mを区間I=[a,b]に対し、m(I)=b−a―(∗)となる様に構成でき、このmを”ルベーグ測度”と呼ぶ。このルベーグ測度の構成には複雑な手順が必要で、初学者には大きな壁となる。
 これこそが”積分論は難しい”と感じさせる大きな要因なのだが、 条件(∗)から、ルベーグ測度mは区間の長さを拡張する集合関数である事が判る。これは、交わらない2つ区間I=[a,b],J=[c,d]に対し、IとJの和集合I∪Jのルベーグ測度m(I∪J)はIの長さとJの長さの和になるので、”ルベーグ測度が区間の長さの拡張である”との解釈はスムーズに頭に入るであろう。
 但し、ルベーグ測度では全てのRの部分集合Vに対し、m(V)が定義される訳ではない。
 これはヴィタリ(伊)により”全てのRの部分集合Vに対し、条件(∗)を満たす様に測度を定める事ができない”事(=ルベーグ非可測集合の存在)が証明されたが、”定義域を性質のよいRの部分集合に制限する事で、条件(∗)を満たすR上の測度m(V)を構成できる”事がルベーグにより証明されたのだ。
 故に、この事実こそがルベーグ積分論の核心部分と言える。

 ここで、ルベーグ測度が定義される集合の全体(ルベーグ測度の定義域)をMで表す時、 Mは次の3条件を満たす。
 ③Mは∅を含む。
 ④VがMに属せば、Vの補集合{x∈R:x∉V}もMに属す。
 ⑤V₁,V₂,V₃,…がMに属せば、⋃ₖ[1,∞]Vₖ=V₁∪V₂∪V₃∪…もMに属す。

 この3条件を満たす集合族(集合の集合)をR上の”完全加法族”(又は、”σ-加法族”や”σ-集合体”や”σ-代数”など)と呼ぶが、いずれも上記の③④⑤を満たす集合族(集合の集合)の事となる。

 では、XがR(実数)ではなく、一般の集合ではどうなるのか?
 そこで、μがX上の測度の場合に戻る。FをX上の完全加法族とし、μを定義域がFである様なX上の測度とする。上の例で言い換えれば、RをXで置き換え、MをFで置き換えて条件③④⑤が成り立ち、更に条件①②が成り立つとする。
 いまFに属する集合Vに対し、関数1ᵥ(x)を1ᵥ(x)=1(x∈V)、又は0(x∉V)の様に定義する。これは、1ᵥ(x)はxがVに属していれば1、属さなければ0との値を取る関数だが、Fに属するk個の集合V₁,V₂,…,Vₖとk個の実数a₁,a₂,…,aₖを用いて、f(x)=a₁1ᵥ₁(x)+a₂1ᵥ₂(x)+⋯+aₖ1ᵥₖ(x)―(∗)の様に表される関数f(x)を”F-可測単関数”と呼ぶ。但し、F-可測単関数毎にkの値は変化する(図1)。
 ここで、(∗∗)の様に表されるF-可測単関数f(x)に対し、そのμに関する積分を∫ᵪf(x)μ(dx)=a₁μ(V₁)+a₂μ(V₂)+⋯+aₖμ(Vₖ)―(∗∗∗)の様に定義する。
 次に、f(x)をXの各点で0以上の値を取る非負関数とする。F-可測単関数の列f₁(x),f₂(x),f₃(x),…を巧く取り、fₙ(x)↑f(x)とできる時のf(x)を、X上の”非負F-可測関数”と呼ぶ(図2)。

 最後に、各点で0以上の値を取るとは限らないX上の(非負でない)関数f(x)に対し、関数f₊(x)とf₋(x)をf₊(x)=max{f(x),0}とf₋(x)=max{−f(x),0}の様に定義する。勿論、f₊(x)とf₋(x)は0以上の値を取る非負関数になる。更に、f(x)=f₊(x)−f₋(x)となる事も容易に確かめる事が出来る(図3)。
 f₊(x)とf₋(x)の双方が非負F-可測関数となる時、f(x)を(単に)F-可測関数と呼ぶ。この様な関数に対しては、上述の(∗∗∗)の様に∫ᵪf₊(x)μ(dx)と∫ᵪf₋(x)μ(dx)が定義される。
 この時、上の2つの積分のうち、少なくとも一方が有限である時(±∞でない)、f(x)のμに関する積分を∫ᵪf(x)μ(dx)=∫ᵪf₊(x)μ(dx)−∫ᵪf₋(x)μ(dx)―(∗∗∗)の様に定義する。
 但し、f₋(x)の積分が有限で、f₊(x)の積分が+∞の時はf(x)の積分は+∞であると解釈し、f₊(x)の積分が有限でf₋(x)の積分が+∞の時はf(x)の積分は−∞だと解釈する。また、f₊(x)とf₋(x)の双方の積分が有限である時、f(x)はμに関して積分可能(可積分)となる。
 この様に定義した積分に対し、T(f)=∫ᵪf(x)μ(dx)とおくと、T(f)は「前回」で紹介した[ルベーグ積分の主定理](T1,T2,T3)を満たし、逆に(T1,T2,T3)を満たすT(f)は測度μを用いて, 上記の様に表される事も判る(証明終)。
 以上、2話に跨り、富山大学理学部のHP(研究トピックス)からでした。


ルベーグ積分の収束定理とは

 少し厳しい説明になったが、簡単に纏めると、まず、関数f:[a,b]→R(実数)において、fがリーマン積分可能である為の必要十分条件は”fが殆ど至る所で連続となる”事であり、この時に関数fはルベーグ積分可能となる。故に、リーマン積分が扱えるのは有界関数に限定され、積分範囲についても[a,b]の様な有界閉区間のみに限定される。但し、”有界関数”とは無限遠にまで飛ばない関数の事である。
 一方で、ルベーグ積分可能については、仮に測度集合をVとして、非負関数f,g∈Vにおいて、可測単関数g:0≤g(x)≤f(x)の積分∫ᵥg(x)dxの上限が有限である時、その積分を∫ᵥf(x)dxで表し、fをV上で積分可能と呼ぶ。
 一方で、非負でない関数fに関しては、f₊(x)=max{f(x),0}とf₋(x)=max{−f(x),0}が共に積分可能な時、fも積分可能と定め、既に述べた様に、∫ᵥf(x)dx=∫ᵥf₊(x)dx−∫ᵥf₋(x)dxー(∗∗∗)と定義できる。

 この様に、ルベーグ積分は有界でない関数でも定義でき、また、積分区間は閉区間でも開区間でもよく、更に、区間である必要も有界である必要もない。故に、ルベーグ積分はリーマン積分よりも様々な積分が可能となる。自由度が高い積分とはこういう事である。
 但し、広義積分で言えば、リーマン積分は極限と組み合わせる事で積分可能な関数を拡張する事が可能となり、”広義リーマン積分”と呼ぶ。事実、ルベーグ積分不可能だが、広義リーマン積分可能な関数が存在する。
 だが、広義リーマン積分は厳密にはリーマン積分とは異なるし、ルベーグ積分も同様に極限と組み合わせて”広義ルベーグ積分”に拡張出来るので、(広義の意味でも)リーマン積分よりは優れてると言える。
 例えば、ディリクレ関数では積分区間が有界ではないのでリーマン積分不可能だが、ルベーグ積分でも不可能となる。理由は、∫[0,∞]f₊(x)dxも∫[0,∞]f₋(x)dxも発散するからだが、広義リーマン積分では、正の部分と負の部分が絶妙なバランスを保って収束する。 
 つまり、それぞれを個別に積分して差を取るというルベーグ積分の定義(∗∗∗)に従うと、無限大同士の引き算になるが、ルベーグ積分に対しても広義積分を考えれば、この関数も積分可能となる。

 一方、積分には”項別積分”というものが存在し、その可能条件としても、リーマン積分とルベーグ積分とでは異なる。
 まず、リーマン積分が項別積分可能な条件は[a,b]にてfₙ(x)が連続で、それが一様にf(x)に収束すれば、∫[x,a]fₙ(x)dx→∫[x,a]f(x)dxとなり、両辺ともに連続で収束は一様となる。
 一方、ルベーグ積分には「単調収束定理」「優収束定理」の2つがある。
 前者は、f₁,f₂,…,fₙ…∈Vが積分可能関数として、fₙ(x)↑f(x)かつ∫ᵥfₙ(x)dxとなる。
 後者は、fₙ,g∈Vが積分可能関数として、lim[n→∞]fₙ(x)=f(x)かつfₙ(x)≤g(x)ならば、fも積分可能関数で、∫ᵥf(x)dx=lim[n→∞]∫ᵥfₙ(x)dxとなる。
 従って、リーマン積分は”一様収束”により、ルベーグ積分は”優収束定理”により項別積分可能となる。ただ、優収束定理の方が(関数列の各点収束のみを求めるので)緩い条件とされるが、リーマン積分でもルベーグ積分でも積分可能であれば結果は一致するべきだ。つまり、項別積分では両者で結果が変わるとなれば、それこそ矛盾が生じる。
 これは推測に過ぎないが、リーマン積分における一様収束とは項別積分における十分条件に過ぎず、ルベーグ積分の優収束定理はその条件を精度よく広げたものとすれは判り易いのではないか。
 更に言えば、優収束定理はリーマン積分不可能な関数に対しても、項別積分を可能にしてくれる場合があると考えられる。
 

ルベグ積分入門

 以上、ルベーグ積分の定義を述べ、リーマン積分とルベーグ積分の其々の積分可能及び項別積分可能条件を大まかに比較し、リーマン積分がルベーグ積分に一般化出来る事を紹介しました。
 説明する程に抽象的になりがちな積分論ですが、その本質を把握する事でいろんな背景が見えてきそうです。以下、「ルベグ積分入門」(吉田洋一著)のレビューを参考に主観を交え、大まかに纏めて終りにします。

 我々が知る”積分”の元となったのは”区分求積法”である事は「前回」で述べたが、更に判り易く言えば、方眼紙のマス目を極限まで小さくし、その全てを足し合わせ面積を求める操作こそが”積分”となる。
 従って、積分と面積は同じものとも言え、長さ・面積・体積は其々1次元・2次元・3次元の世界での積分と言える。更には、4次元以上の世界でも積分を考える事も可能となる。
 例えば、量子力学では無限次元空間を体系全体として考えるが、その無限次元空間における位置・運動・エネルギー・作用素などを積分の要素の対象とする。
 だが、数学の世界では絶対的な定義が必要となり、一般的には長さ・面積・体積は積分と同じだと割り切る事も出来るが、数学の世界では、”極限の操作”や”無限に操作”が含まれるが故に厄介になる。

 例えば、”極限まで小さくしたマス目”を無限個”全て足し合わせる”事が可能なのか?足し合わせた結果は存在するのか?有限に確定したとして、1つの値に収束するのか?
 この様な点を厳密に論理的かつ緻密に抑えておかないと数学という学問は成り立たない。特に、リーマン積分では”有界”とか”閉区間”との言葉がしばし登場するのはその為である。逆を言えば、それさえ抑えておけば、”積分”とても単なる計算に過ぎない。
 また歴史的に見れば、17~8世紀のニュートンやライプニッツが微分積分法を確立して以降、”積分”の概念は厳密化され拡張化されて来た。その後、リーマンにより”リーマン積分”の概念が完成した事で、”積分”(を定積分として)の一般化に漕ぎ着けたかと思いきや、現代数学の発展と共に様々な定積分以外の例外も考察の対象となっていく。
 やがて20世紀に入り、アンリ・ルベーグ(1875-1942)は長さ・面積・体積などを”測度”という概念に一般化し、リーマン積分を包括する”ルベーグ積分”を呈示した。
 従って、ルベーグ積分を語る時は”測度”の定義から始まり、抽象的な”測度空間”を定義し、1次元・2次元・3次元…の其々のケースを論じるのが一般的である。故に、積分論が複雑に抽象的になるのは避けられない。


最後に

 「ルベグ積分入門」では、上述の方法ではなく、1変数関数のルベーグ積分に始まり、多変数函数のルベーグ積分→ルベーグ・スティルチェス積分と進み、公理系の抽出を行い、最後に抽象的な測度空間や積分論を定義する。いわば、”具象→抽象”の方向の記述が特長となる。
 一般に、数学では”抽象→具象”という流れになりがちだが、定積分という具象化したテーマから積分論を述べる事は、”積分論は難しい”と感じる私には非常に都合の良い方法だったかも知れない。
 同じ様な事は、「確率論」(伊藤清)でも述べられていて、伊藤氏は”色即是空、空即是色”の般若心経に喩えて、数学でも具象(景色)と抽象(空)は同時に考察すべきだと論じてます。
 つまり、抽象化され過ぎた現代数学では、数学の空ばかりを見て、数学の景色が見えなくなっている。

 積分論の様な抽象的になりがちな1つの分野を極めるには、多角的な視点で積分の景色を眺め、理解を深める必要がある。
 数学は人生と同じで、空ばかり眺めてても前へは進めないし、現実の先にある景色を見通し、自分なりの答えを見出す必要がある。一方で、人生と数学には様々な答えが存在するが、それらの答えを導き出すには、様々な角度から景色を眺め、その景色に応じた答えを見つけ出す必要がある。 

 従って、自分に合った方法を模索し、1つ1つを項を踏む様にクリアしていく。勿論、先を見通す創造力やアイデアも必要だが、現存する理論を考察し、”具象から抽象へ”と向かう事も必要だろう。つまり、ガウスが説く様に、数学的思考は演繹的から帰納的へとあるべきなのだろうか。
 ”数学とは実在する数学的現象を記述し、数学を理解するという事は、その記述する数学的現象のイメージを感覚的に把握し、形式主義では捕捉できない数学の意味を理解する事である”(小平邦彦)

 


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