象が転んだ

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”おぞましき メス豚どもが 夢の跡”〜「ナナ」に見る、ゾラの自虐性と”淫売”国フランスを描いた傑作

2020年12月20日 05時16分10秒 | バルザック&ゾラ

 ”名作「居酒屋」の女主人公ジェルベーズの娘としてパリの労働者街に生れたナナ。
 生れながらの美貌に、成長するに従い豊満な肉体を加えた彼女は、全裸に近い姿で突然ヴァリエテ座の舞台に登場する。
 パリ社交界は、この淫蕩な“ヴィナス”の出現に圧倒された。高級娼婦でもあるナナは、近づく名士たちから巨額の金を巻きあげ、次々とその全生活を破滅させてゆく”

 タイトルでも書いたように、「ナナ」のこの物語を失礼な言い方で表せば、”おぞましき メス豚どもが 夢の跡”となろうか。
 以下、2017年に書いたAmazonレビューですが、修正&加筆して紹介します。


淫蕩で悪徳の女王“ヴィナス"の物語

 三島由紀夫が感嘆したように、この小説はまさに”シネマ的技法でゾラが描いた大団円”である。
 主人公ナナの貧困の遺伝子とパリの腐敗した環境が結びつき、やがて群衆を巻き込み、淫蕩な悪徳の女王“ヴィナス"となる。そして、ナナが上流社会に復讐していく様は実に勇敢で見事で自虐的でもある。

 ヴァリエテ座の主役”ナナ”の存在を、新聞記者フォシュリーが"金蝿"という表題の記事で見事に言い当てるのも実に憎い。
 彼女は、”場末の汚物の中から飛び立つ黄金色のハエ。腐った死骸から死肉をついばむ蝿”であり、彼女は自ら撒き散らしたその腐敗菌により、自らも腐って死滅する。
 彼女と関係した皇族や貴族、それに金持ち連中も、彼女と交わる前から腐った死骸に過ぎなかった。だからこそ、淫蕩で悪徳の女王ナナは、この腐敗したパリの街を蹂躙できたのだ。

 彼女はありとあらゆる男を何の抵抗もなく受け入れる。そして、性の欲望の受け皿になり、男に対する反抗心を募らせ、終いには復讐という形で完結する。
 ナナの上流社会に対する復讐は、遺伝子と血と共に引き継がれた家族の無意識の怨念と、多くの犠牲と上で成し遂げられるのだ。
 特に、男に食い物にされた母親ジェルベーズに代り、男を凄まじい勢いで食い潰す彼女の短か過ぎる生き様は真摯に崇高に映る。


フランスを淫売屋にした「ナナ」

 出世作の「居酒屋」ほどには、ドギツイ表現や暴言は表出されないが、時折放つナナの毒牙は善であり、正義であり、正当にも映る。
 罪悪感の欠片もなく、貴族や金持ち連中を零落のどん底に押しやり、屈辱と恥辱と共に踏みつける。
 情に脆く、小鳥ほどの脳みそと知能しかなく、人のいい小娘だからこそ出来た芸当であろうが。それ程までに彼女の裸体は、官能的で世界を支配できるほどの黄金の輝きを放つのだ。
 ナナの裸体を覆うブロンドの毛深い産毛は、ビロードを纏った黄金の肉体を彷彿させ、雌牛のような尻と太腿と動物的に盛り上がった性器は、まさに金色に躍動する妖艶で不快な動物だ。
 そして、その存在と匂いだけで男どもを麻痺させ、腐敗させる。

 まさに、"豚にも真珠"を地で行くようなシネマチックで荘厳なサクセスストーリーではある。
 ナナの死と普仏戦争への突入という世紀末にも思えるエンディングは、大衆の”ベルリンへ、ベルリンへ”の大合唱と共にパリ市民の悲壮な理想の美を映し出す。
 "フランスを淫売屋にした第二帝政をゾラはナナに託したのでは”、と訳者の小田光雄氏は語る。


全能の絶対女王と腐敗したパリ

 この作品に登場する人物はかなりの数に登り、読み進めるにつれ、最初は整理するのに苦心する。登場人物を紙に書き、”ナナMAP”を用意して読む事をお薦めしたい。そうでないと、この作品の真価は解らない。
 それに、登場人物の奴らは余りにも単純で、知能も貧相で強欲な上に間抜けと来てる。
 信仰と富と性欲が支配するボンボンの集まりで、殆ど単調な個性が横一線に並び、ナナを絶対的中心な存在として強引に進行していく。

 それでも、ナナの獰猛で脊椎反射的だが、多彩で野趣豊かであればこその人格が、この物語に多様な色彩を添えてるのも見逃せない。
 ある時は愛情深い母親に、ある時は無邪気な娘に、そしてある時は、簡単に暴力に屈する無気力な典型の下層階級の女に舞い戻る。
 勿論、絶対女王の様にパリ中の金持ちどもを片っ端から喰い漁るのは朝飯前だ。
 こういった彼女の獣的で無垢な側面も、ナナの無限の神聖な魅力に奇怪なあどけなさを加えている。

 ナナを絶対的不動な存在として、物語は強引に進行するが、彼女を取り巻く新聞記者のフォシュリーやその従兄のラ・ファロアーズらがもっとアクの強い存在だったら、ナナとの駆け引きも面白く映っただろうが。
 この物語ではやはりナナは、良しも悪しきも絶対的な聖女なのだ。 
 お陰で、パリそのものが汚物と腐敗と凋落という単調な暗い色彩で統一され、多種多様でコミカルな色彩を放った「居酒屋」とは対称的でもある。
 

黄金のヴィナス

 この作品では、”黄金の娼婦”として君臨するナナを、怪物のような大女、悪徳の偶像、血が腐敗し性的異常に変質した高級娼婦、牝牛のように太った女獣と悪評しながらも、蛇の様にしなやかで、優雅でこの上ない天性の女、純血種のメス猫のような目立った気品を持つ”全能の女王”として賞賛する。
 事実ナナは、どんなに財産を貰っても宮殿を建ててもらっても、貧しい時代を懐かしがった。彼女の獣的で発作的な怒りは、善意に満ちた思いやりある簡素で感傷的な願いで収まるのだ。一方でナナは、自らの錯綜し混乱した性を男に対する露骨な軽蔑とみなし、女王然と権威を示し、振る舞った。
 ナナとパリの、この醜悪と崇貴、零落と謳歌の二面性こそが、ゾラがゾラである由縁なのだ。
 ただ、この黄金のヴィナスであり、群衆の女神でもあるナナの生い立ちや過去、あからさまな性行為の描写には不思議と触れられてはいない。そこにはゾラの思いやりと美学が隠されてる様にも思える。

 場末の汚物から飛び立った一匹の蝿が社会を腐敗させる菌を運び、上流階級の男たちの上に少し止まっただけで、彼らを毒した。そして、自らもその菌(天然痘)で腐っていく。  
 しかしそれは善であり、正しかった。ナナは、貧乏人や見捨てられた人々といった自分の世界を守る為に復讐を果たしたのだから。
 これこそがナナの復讐であり、腐った血と共に引き継がれたDNAの無意識の反抗でもあった。
 勿論、謳歌を誇ったパリもフランスも第二帝政も、普仏戦争という復讐によって破壊される。


最後に〜セレブという腐ったハエ

 このナナの様な"黄金の蝿"は現代社会にも少なからず存在する。
 ”夜の街”に巣を作り、間抜けな成金野郎を食い物にし、お金の為だけに親父の腐った精液を吸い絞る、自称セレブたち。
 夜の街の汚物から飛び立った一匹の金蝿というセレブが、社会を腐敗させる菌(コロナ)を運び、男どもの体に少し止まっただけで爆発的に感染するとしたら?
 そう考えると、ナナが撒き散らした菌はコロナウィルスとよく似ている。

 こうした贅沢の湯舟に入り浸る腐敗した”糞セレブ”なんてのは、何処にでもいる。
 しかし、これは「ナナ」だけの問題ではなく、今そこにある危機なのだろう。

 ごく普通の女性だって、腐敗した環境と気まぐれな群衆に囲まれたら、悪徳の女王になる確率は低くはない。それ以上に質が悪いのは、我ら貧相な親父どもにとって、ナナは永遠の官能像であり、空極の女性像なのだから。
 H•D•ソローも警告してる様に、現代社会における成功と贅沢が宮廷社会と殆ど似通ってる間は、第二帝政のフランス同様、この高度に文明化された現代社会も急速に腐敗するだろう。そして、これらの贅沢の本質とは男どもを軟弱にし、破滅に導くのだろうか。

 実在した高級娼婦コーラ•パール(英、1836-1886)をモデルにしたとされる、ナナの僅か2年の輝かしき栄華と盛衰ではあるが、一つの時代を支配した娼婦の物語でもある。

 ゾラの多面的な人間観察と鋭利な刃物の様に卓越した彼の解析•分析能力には毎回頭が下がる。
 旧訳が少し読み難かったので、新訳に変えて読み干したが、じっくりと腰を落ち着けて読むには旧訳がいいかもしれない。



6 コメント

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汚物に群がる金バエ (HooRoo)
2020-12-20 11:24:10
ナナを一言で表すにはこの言葉が一番かな
フランス版ナナの表紙の女性のモデルはゾラの親友うのマネが書いたものとされるけど
作品で登場するナナはそこまでスタイルは良くないし、それに美人で可愛くもない
むしろ獰猛な豚ってかんじ

でもナナは貧困から這い上がるたくましい女性の象徴だし、絶対女王の偶像でもあるから、ゾラもそこまで悪くは描けない
転んだサン言うように、おぞましきメス豚なんだけど愛らしいメス豚でもあるのよ〜ByeBye
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コーラ・パール (paulkuroneko)
2020-12-20 14:52:18
ナナのモデルとなったとされるコーラパールですが、13歳と20歳の時に強姦され、男への憎しみと自らの肉体の魅力の自惚れが彼女を娼婦の道へ走らせました。

ナナと違う所は、ナナは奇怪な遺伝と貧困という逆境が社会への復讐となり、娼婦と言う名の絶対女王に君臨したんですが。パールの場合は、要人の愛人から始まり、女優を経て、最後にはお金に困り、娼婦となったという経緯があります。

故にコーラパールは娼婦と言うよりもセレブに近いし、ナナの方は娼婦と言うよりも女王に近いですね。
しかし汚物に群がるという意味では、両者ともに共通してますが、個人的にはナナを支持します。
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セレブが撒き散らすコロナ (#114)
2020-12-20 15:06:27
ってうまい表現だ
たった一匹のセレブが
男の下半身に止まっただけでコロナが繁殖する

金に群がる糞セレブもうまい表現だ

現代社会における成功と贅沢こそが
社会を腐敗させるとは、さすがソローの言葉である

成功こそが腐敗の原因になるとしたら
ナナもコーラパールも栄光と腐敗の
二項定理の中を彷徨ってたことになるね
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Hoo女史へ (象が転んだ)
2020-12-20 17:36:38
確かに表紙のモデルは幼くて美人過ぎますね。コーラパールならともかく、ナナには似つかわしくない。
逆に獰猛で妖艶なメス豚をイメージして描いてくれたら、もっと大ヒットしたでしょうか。
でもドラクロアの自由の女神を彷彿させるナナですから、娼婦という形をした女神だったのかもしれませんね。
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paulさん (象が転んだ)
2020-12-20 17:41:42
コーラパールは英国出身の典型のセレブですよね。ナポレオン公とも寝たとされますが、ナナはそこまではバカじゃなかった。
コーラパールの場合、単なる個人的復讐と悪趣味が重なった結果でもあるけど、ナナの場合はある種の革命ですよね。

「居酒屋」で小さい頃の無邪気なナナを知ってるので、余計に贔屓目になってしまいますが。そういう私もナナに1票です。
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#114さん (象が転んだ)
2020-12-20 17:45:42
栄光と腐敗の二項定理
いい事いいますね。
栄光も一気に来ますが、腐敗はもっと一気に来ます。
女性の若く麗しい時期は短いですが、老いて劣化していく過程はとても長いもんです。
しかしナナの場合は、僅かに2年ほどでしたから、栄光と腐敗を一気に駆け抜けたってことになりますね。
そういう意味でも栄光は腐敗の母とも言えるんでしょうか。
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