象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

1819年の激動のパリと「ゴリオ爺」の悲劇〜思考は感情を制御し、思考の激化は人を殺す〜

2019年06月06日 06時35分02秒 | バルザック&ゾラ

 4/30以来のバルザックです。ゾラも含め、もっと投稿したいんですが。どうしても三面記事的なネタに成り下がる。ま、ブログとは所詮そんなもんですかね。

 さてと、バルザックの最高傑作の1つと言われる「ゴリオ爺」ですが。傑作というよりコミカルな長編慢話って感じですかね。オチやツッコミ満載で、まるで出来のいい長編漫才と言った所ですか。

 こういう作品を見る限り、バルザックが今に生きてて、彼が元々望んでた脚本家にでもなってたら、全ての作品がアカデミー賞でしょうな。
 ハリウッド女優なんて抱き放題&ヤリ放題でしょうし、お金はザクザク入ってくるでしょうし、夢のような暮しが送れたかもですが。


 さてと本題に入ります。これもアマゾンのレビューをやや柔らかくし、更新したものですが。少しは読みやすいでしょうか。

 

喜劇と悲劇と奇劇の不可思議な連鎖

 "溺愛する二人の娘に自らの全生命と全財産を与え、貴族と富豪の妻に仕立て上げるも、それが故に奢侈と虚栄と情欲に溺れる彼女たちに裏切られ、貧乏下宿の屋根裏部屋で窮死する"ゴリオ爺さんの喜劇と悲劇と奇劇の不可思議な連鎖。

 これこそが、多元的で重層的なパリの街並みが舞台であってこそ成り立つドラマであり、そこには様々な個性と複雑怪奇な癖のある人物が登場し、絡み合い重なり合い、パリの街に相応しい彩りを添えてますね。

 特に、真面目と勤勉さが取り柄の純朴な貧乏学生ラスティニャクと、脱獄囚で"不死身の男"と恐れられる札付きの悪親父であるヴォートラン。二人の強烈な個性の対比と友情は、ユニークにも辛辣にも奇怪にも映る。

 エンドロールでは、ゴリオ爺の孤独な死を看取ったこの青年が、警察に逮捕される脱獄囚ヴォートランに代り、復讐を決意する様は非常に初々しく清々しい。それでいて、危うくもコミカルにも映る。

 

破滅に向かう”感情の激化”

 富と出世を渇望する世間知らずの若者ラスティニャク。彼が夢見るパリの派手で華麗な上流社交界が、一転して醜い現実の汚泥の塊に成り下がる様は、誰もが顔を覆いたくなる。
 
 「ゴリオ爺さん」では、ブルボン王朝の王政復古と産業革命により台頭したブルジョアと圧倒的貧困の下層市民との緊張を見事に描いた、バルザックの真骨頂だ。
 いや敢えてバルザックの特質を打ち消し、慢話ぽくしたという点では、傑作を超えた”萬話”と言えるかもしれない。

 ゴリオ爺とラスティニャックとヴォートラン。この3人に共通する情熱家特有の、破滅に向かう”感情の激化”現象は、"思考は人を殺す"と信じたバルザックが、好んで使った主題とされる。
 つまり、”ゴリオ爺が死んだのは娘のせいではなく、父性愛を制御しきれないで自滅した”と、訳者の平岡篤頼氏は解説する。

 この”感情の激化”は、ゴリオ爺の娘二人にも当てはまる。姉は富と金に飢え、妹は派手な貴族社会に憧れる。

 思考は感情を制御し、思考の飛躍は感情の激化を煽る。つまり思考が外へ向かうほど、魂は希薄に、心は無防備になる。終いには、自らを制御する事すら困難になり、最後には自滅する。

 故に、忍耐と諦めこそが思考を抑制し、”感情の激化”を防ぐ。特にゴリオ爺さんは、激化する感情を抑制する余り、思考が飛躍し過ぎてしまう。その飛躍し過ぎた思考によって、一人窮死するのだ。今で言えば孤独死という琴になろうか。

 

時代を支配した”ゴリオ爺”

 バルザックをバルザック成らしめたこの作品も、ゾラの「居酒屋」同様に賛否両論の渦に湧いた。この作品の中の複雑多岐な登場人物の細部に注目した、バルザックの描写に対する賞賛と同時に、堕落した行為や貧欲の描写の露骨さや多さが批判された。

 しかし、時代を支配した作品だけあって、貧乏学生"ラスティニャック"の名は仏語で”出世の為ならどんな手も使う”という野心家を指す代名詞にもなった程だ。

 歴史的背景には、貴族とブルジョアとパリ市民の3/4に当たる貧困に喘ぐ下層市民の三つ巴の戦いと、その修羅場と化した1819年の激動のパリ。
 貴族は爵位で、ブルジョアは金で、貧困市民は暴力で、社会を支配しようとする。これこそが悪童ヴォートランが見極めてた「服従と闘争と犯行」という社会を表現する3つの要素だったのだ。

 つまり、奴隷として服従するのか?闘争して潔く死ぬのか?それとも犯行を繰り返し生き延びるのか?
 勿論ヴォートランは最後の犯行を選択し、悪のヒーローとして生き延びる。
 お陰で、このヴォートランはバルザックの作品の常連となり、根強いファンも多い。


ヴォードランの”悪の鉄則”

 確かにヴォードランのこの”悪の鉄則”は、今の社会でも十分通用する。今や、0.01%の権力者と99.99%の貧乏大衆の時代。
 我ら大衆は正義と良心を信じ、悪どい犯行を巧みに繰り返す権力者の奴隷に成り下がる。全くこの悲惨な今の現状をヴォードランが見たら、何と嘆くだろうか。”オメーラ、全く逆じゃねーか!大衆が悪さしねーで、誰が悪さする?”ってね。


 こんな小説は初めてだ。これだけのボリュームと高質な気高い作品を、僅か5ヶ月で書き上げたとバルザックは豪語する。

 これも感情の激化と思考の飛躍、それに卓越した分析と解析と洞察なしには、成し遂げ得なかったろう。
 全く思考が感情を支え、感情が思考を支配する、優雅なるも悍ましい濃密で奇形な人間ドラマでもある。

 ああ私もヴォートランみたいになりてェ〰。



2 コメント

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思考は人を滅ぼす? (paulkuroneko)
2019-06-11 15:37:33
自殺の脳のコメントで、ブレインチップの事を書きましたが。少しサイトで調べたんですが、水面下では結構進んでるみたいです。表向きはそれほど派手に公表はされてませんが。

バルザックの思考は人を殺すとは言い得て妙です。ズバリそのものって感じですか。チップにより思考を制御する事で、記憶や行動やコミニュケーションを制御し、病や苦痛までもコントロールする時代。

勿論バルザックの時代にそんな発想はなかった筈ですが。それに近い事を彼は考えてたんですかね。

確かに彼の作品には、特にこの「ゴリオ爺さん」では、登場人物にそれぞれ固有のブレインチップが埋め込まれ、それによって行動してるような気がします。バルザックがそのブレインチップを制御してるんです。

思考が人を殺すとはそういうことだったのかもですが。

一方でゾラは人の行動は遺伝が大きく影響すると考えてましたが。バルザックは脳が絞り出す思考こそが人の行動を支配すると考えてたようです。

まだまだブレインチップは研究段階ですが、成果次第では大きく繁殖するかもしれません。サピエンスが虚構と農業によって大きく繁栄したようにです。

何だかコメントが立て続けにブレインチップ寄りになってしまい、変化感じかもですが。

ちょうど今思い立ったことを書いてみました。
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続けて、paulさんへ (lemonwater2017)
2019-06-11 19:16:15
確かに、バルザックの作品に登場する人物は、まるでバルザックの脳内チップが埋め込まれてるような気がします。

ゴリオ爺さんもラスティニャクもヴォートランももう一人のバルザックですもんね。

バルザックの脳が制御する登場人物ですから、読んでる方は堪らんです(笑)。

ブレインチップに関しては、ブログ立てようと思います。全くpaulさんは、色んな事を考えさせてくれます。
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