象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

ホワイトカラーは給与泥棒か?がん細胞か?それとも・・・リストラか

2024年07月12日 05時12分03秒 | 独り言&愚痴

 「”文系・大卒・30歳以上”がクビになる―大失業時代を生き抜く発想法」(深田和範 著)という本が目にふと留まる。
 2011年初版と古い本で、当時は反論も多かったが、読んでみて損はない本だと思う。 
 <派遣切りの後は、かつてのエリート正社員たち、即ち”文系・大卒・30歳以上”のホワイトカラーの大リストラである。低成長が続き、就業者総数が減り続けてきたここ十年でも、ホワイトカラーは”本当は必要のない仕事”を作り、水ぶくれをし続けてきた・・・>

 勿論、書かれてる事は正しいとは思うが、ここで言うホワイトカラーとは主に管理職や事務職の事であり、故に、理系の技術者や研究者らはリストラの対称にはなってはいない。
 確かに、著者の深田氏も一橋大・社会学部卒のコンサルタントという典型の”文系・大卒・30以上”である。本人からすれば”俺は一流大出だから当てはまらない”と言いたげにも聞こえなくもない。
 但し、”ホワイトカラーは生産性が低いからリストラにすべきだ”という意見は当ってる部分もあるから否定は出来ないが、日本では(アメリカの様に)”管理職であってもミスをすればクビが飛ぶ”という事は少ない。故に、ミスを異常なまでに恐れ、新しいアイデアや創造が生まれず、生産性に悪影響を及ぼす事はありうるだろう。

 一方で「ホワイトカラーは給料ドロボーか?」(門倉貴史 著)では、ホワイトカラーの実情や生産性を説いた本だ。
 が、ただ上から言われた事をやるのはホワイトカラーじゃなく、決められたルーチンワークをもっと生産的にし、利益を上げられる様な仕組みを作るのがホワイトカラーの役割である。つまり、現場の労働者の仕事を単に管理するではなく、より効率化し、より良い働き場に整える事が、本当の管理者の役割である。
 故に、会社内の地位に甘んじ、カラ威張りしてる様なホワイトカラーは不要だという事になろう。
 

ホワイトカラーは排除すべきか?

 2011年に出版された本書では、専門的・技術的職業従事者、管理的職業従事者、事務従事者をホワイトカラーと定義する。
 因みに、2008年段階の就業者総数は6385万人で、ホワイトカラーは2416万人。内訳は、専門的・技術的職業従事者が950万人、管理的職業従事者は172万人、事務従事者1292万人とある。

 私が思うに、事務従事者は単なるデスクワークに過ぎないから、ホワイトカラーからは外すべきだろう。それに、専門的・技術的職業従事者は知的労働者だから、ホワイトカラーと呼ぶには少し違和感もある。故に、純粋な意味でのホワイトカラーとは、管理的職業従事者だけとなる。 
 故に、リストラの対象となる”文系・大卒・30歳以上”とは、事務従事者のホワイトカラーの事とも言え、WCの50%以上を占めるこうしたボリューム層を大幅に削減する必要がある。
 事実、ここ数年のホワイトカラーの増加、特に事務職層の増加が日本企業の体質改善に繋がったか?といえば、答えはノーだ。生産や販売現場の生産性の向上は著しいが、事務職層の生産性は低いままだ。
 以下、「企業のガン細胞と化したホワイトカラーのリストラ」から主観を交え、大まかに纏めます。

 一方で、ホワイトカラーの僅か7%弱を占める管理職は確かに忙しい。経営戦略の策定や人事の制定、ISOの認証取得や更新、コンプライアンス体制の確立、個人情報管理の徹底や情報システムの整備に伴う企画調整と際限なく事務作業がある。だが、著者は”これらの仕事量の増加は、企業の業績向上には実際には殆ど貢献していなかった”と断言する。
 そこで著者が”リストラされる”と予言するホワイトカラーだが、理系の専門的技術的職業従事者は対象にならないと説明する。また管理職層は年齢も40代、50代が多く、数も限られる。
 問題は、生産性の低い”文系・大卒・30歳以上”で給料も高く、現場から離れたホワイトカラーだ。以前ならエリート社員として期待される存在だが、今では”ガン細胞”になっている。
 これには反論も多いだろうが、私は同感である。

 確かに、人事や経営企画のエリート社員がやってる事は”絵に描いた餅にすぎない”中期計画の策定や”度重なる”人事制度の改定、”行きすぎた”個人情報保護やコンプライアンスの管理、現場の意見を無視したシステムの導入である。つまり、会社の為でなく、自分たちの仕事を増殖させる為のものだ。
 事実、彼らは社内の全く関係ない部署を2~3年周期で異動を繰り返し、結果、前例主義に陥り、多量の稟議書を作り、沢山の判子をついて責任の所在を曖昧にする。やがて、それを監督するマネジメントもまた業務がわからないまま決裁業務を繰り返し、時間だけが過ぎていく。

 非建設的な内向き仕事で膨大な時間を費やすホワイトカラーの実態を見事に伝えている。但し、当の彼ら自身は重要な仕事をし、会社に貢献をしていると思い込んでいる。だが、欧米にこんな企業はない。また、昨今躍進する中韓の企業でも、こんなムダな時間の使い方をする社員はいない。
 グローバル競争に勝ち残るには、企業体質を変えなくてはならない。体質を変える為には、生産性が低いホワイトカラーのリストラが有効打となるのかもしれない。
 著者は、数年後にホワイトカラーの大リストラが始まると説く。日本経済復活の為にはそうあるべきかもだが、実際にそうなるのかは疑問である。
 以上、東洋経済からでした。


最後に〜ホワイトカラーの終焉

 個人的にはだが、仕事に従事する人間をブルーとかホワイトとか、単なる色で分けるべきではないと思う。
 人にはそれぞれに異なる能力や資質や個性があり、仕事の内容や職種で差別すべきではない。
 そういう私は子供の頃は、勉強も出来なく、身体も小さく弱かったから、”大人になったら事務職に就け”とよく言われたものだ。しかし、机の上で一生を終えると思うと、そうした人生が悪夢にも思えた。今でもその気持ちに変わりはない。

 そんな事務系のお役所仕事だが、今では立派なホワイトカラーの職種である。エリートとはお世辞にも言えないが、制服組という点では”選ばれた”職業に見えるだろう。
 しかし今や、ホワイトカラーのボリューム層を占める事務職層がリストラの危機にある。
 多分だが、重労働の多くが機械やロボットに置き換わった様に、事務職の仕事の殆どはAIに取って代わるかもしれない。
 そして、やがては管理という部門もその多くはAIに置き換わり、地球上からホワイトカラーという言葉すら消滅するかもしれない。

 元々、職種を色で差別する事自体ナンセンスだが、アメリカでは日雇いの重労働者を”レッドネッカー”と揶揄した時代もあった。
 かつては、炎天下の中で汗を流し、肉体を駆使して仕事をする事は、男にとっては”地に働く”事を実感できる1つの象徴でもあった。
 しかし今や、知能を駆使してエアコンの効いた部屋で仕事をする知能労働は、”知に働く”という意味でのステータスとなりつつある。

 勿論、労働者の定義で言えば、両者とも同義ではあるが、そうした労働を上から視点で管理する事に、抵抗と矛盾がない訳でもない。
 ホワイトカラーの中枢をなすエリート管理職の存在とそのあり方が真剣に議論されるべき時代に来てる事だけは確かである。



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