400gで270円と賞味期限切れだが、安いココアがあったので買った。
コーヒーと同じで、ココアにも殆ど拘りはなく、ただ甘ければいい。ハーシーチョコだって甘さ控えめにしたら思い切り不評だったとか。故に、ココアを買う時は期限切れのお徳用をできるだけ買う様にしている。
ココアの成分表示には、ココアバターの(ココアパウダーに対する)含有量を表示する義務がある。チョコレートの原料になるカカオ豆(カカオマス)から絞り出す植物油脂の事らしいが、この植物油脂に砂糖を混ぜて固めたものがホワイトチョコレートだそうな。
ホワイトチョコという名前がどうも気に食わないが、実際に安っぽい砂糖菓子を食ってるみたいで、中途に柔らかい食感も未だに好きになれない。
そういう私は、ブラックやビターチョコが好きな時期があった。パリッとした淡白な食感がシンプルな私の嗜好に合うのだろうか。
「白い恋人」
そう言えば、ホワイトチョコを薄いクッキーで包んだ「白い恋人」がブレイクした時期があったのを思い出す。
とにかく、お歳暮やお中元では必ずと言っていい程に、いや、ウンザリという程にこのお菓子が登場した。一時は”また白い恋人かよ”って苦笑が漏れたほどだ。
都会ではこのお菓子がどう評価されたかは知らないが、少なくとも私の田舎ではお土産の横綱的存在でもあった。
全く北海道に旅行した訳でもないのに、「白い恋人」は場末の娼婦みたいに高級そうな包装紙をまとい、しつこく顔を出す。
”お客さん、安くしとくからさぁ〜1つ食べていきなよ”でもないが、こっちはご当地系のお菓子には辟易してるのに、それでもハイエナの如く付き纏う。
決して美味しいお菓子ではないし、お土産で言えば、佐賀錦の方がずっと美味しく趣味もいいし、それに贅沢である。
ただでさえ貧相で食感の薄いペラペラなクッキーで1枚1枚ご丁寧に包んであるが、これが1枚で80円近くすると思うとアホ臭となる。
故に、こういうのがお歳暮で送られてくる度にイヤな思いをしたもんだが、送り付けた本人は”今とても人気のお菓子で美味しいのよ”と偉そうに能弁を垂れるのだが・・・
これなら百均のトルコ製のチョコクッキーの方がずっとボリュームがあり、私としては「トルコの愛人」と名付けて贈り物としたいもんだ。
少なくとも「白い恋人」は恋人というレベルじゃなく、風船を膨らましただけの安モンのダッチワイフにも及ばない(と言ったら言い過ぎか)。とにかく、邪魔なだけの存在に思えた。
ただ、有り難い事に「白い恋人」も一時の勢いはなく、店頭でもお土産ショップでもお歳暮でも見かける事はなくなった様に思える。勿論、製造中止になった訳でもないが、中身は大した事ないのに包装だけが豪華というのも、ご当地おみやげのこれからの大きな課題と致命傷だろう。
そもそも、ご当地のお土産は不味いのだ。いや、マズく出来てるのだ。
ご当地という偽りの文化
”どこどこに行ってきましたぁ〜皆さんで食べてくださーい”
系のお土産がオフィスの机に置いてある。
この手のお菓子は、僕のなかで”許されるもの”と”許されないもの”に二分化できる。
以下、「お土産というクソみたいな文化」より一部抜粋です。
子供の頃は”ご当地限定なんだから、それはさぞおいしいものだろう”と、ワクワクしながら食べていた。
そして、実際に”まぁ、たぶんこれはおいしいんだろうな”と、自ら洗脳されてた節がある。しかし、自分の考えを持つようになった今ならハッキリと分かる。
”お土産は特に、バタークッキーは基本おいしくない”
おそらく、1つの工場で大量に作り、パッケージだけご当地別にして、各県に配送していると思われる。”同じ工場で製造されてる”というのは推測の域を出ないが、工場が違えど成分や工程はほぼ一緒であると思われる。
実は、”ウケ狙い”でプレゼントを渡す時のエンタメ要素の為だけに不要なお土産を買ってくる人がいる。それが滅茶苦茶面白い場合は納得できるし、ユニークさは大事だと思う。しかし、そういうのはたいていベタで、無理やり笑わないといけない空気になる。
お土産に限らずサプライズプレゼントなどもそうだが、明らかに不要なものをもらった場合の対処が全く分からない。
そう、生まれつきサプライズが大好きな人がいる。とても思いやりがあり、そして良い人だ。が、そういう人たちの中には”プレゼントする事に意味がある”という思想の持ち主も多く、その場合は”送る側のエゴ”となる場合が多い。
勿論、プレゼントをもらうと嬉しい。しかし同時に、”異物が紛れ込むストレス”も感じる。
モノを良く捨てるにも拘わらず、捨てる時にはそれなりに精神的ダメージを被る。特に、人からもらった”いらないもの”が一番捨てる時のダメージが大きい。つまり、頂いたものを捨てる際、その人の顔が浮かぶ。故に”捨てない”という選択をした場合、何年も継続して苦しむ事になる。
だが、”成功型”サイコパス性の高い人は”苦しい事は早々と終わらせる”という資質に優れてるらしく、自己愛が強い為に(自分を守る為にも)”さっさと苦痛を済ませる”という選択肢を取るという。
不要なプレゼントの場合、”そこまで精神的に苦しいなら無理して捨てなくても”という曖昧な選択をした場合、その後の精神的ダメージは何年も続く。だからこそスパッと決断する必要があるのだが・・・
お土産(特にバタークッキー)がマズいのは理由がある。
まず、社会性を求められる職場等にて、”旅行=お土産”という文化が日本には特に根付いてる。そう考えると、とにかく何でもいいからお土産を買わなければいけない。
特に、”オフィスで皆で分けて下さいねぇ〜”系のお土産なら、①安くて軽い②どこに行ってきたか明白③癖がなく無難④お茶やコーヒーに合う。
つまり、こうした条件を全て満たすお土産といえば、バタークッキーとなる。故に、”もらう側”の意志を尊重したお菓子では無く、旅行者の都合でガチに固められたお菓子。
確かに、旅行中にお土産如きに時間を割いて考えたくはない。そう、旅行者にとってもお土産は”タスク”なのだ。
以上、Pakkan-Blogからでした。
最後に〜消滅するお土産文化
私的にはバタークッキーのお土産は歓迎である。それもシンプルな缶入りのクッキーは安くて量も多く、包装もシンプルだから、そこまでストレスを感じる事はない。
しかし「白い恋人」の様な(たかがクッキーの分際で)勿体ぶったのは、一気にストレスが貯まる。そう、お土産のタスクは私にとってはリスクなのである。
それに、いくら”社会性を試される”としても、旅行者にとってはタスクやストレスであるから、”そんなに苦痛なら買わなければいい”となる。そう、お土産文化は邪悪なだけなのだ。
それに、お土産はお菓子に限るべきではない。旅先の様々な思い出話などで盛り上がるのも、お土産の一種であろう。
そういう私は、”お土産を買う人は知能が低い”と決めつける悪い癖がある。
お土産を贈る行為が全てアホ臭とも言い兼ねるが、例えばバタークッキーならご当地のお土産を買うよりも、スーパーのお歳暮コーナーで買った方がずっと安くつく(多分)。
多くのお土産菓子が同じ工場(OEM)で作ってるのなら尚の事で、(昔はともかく)今のご当地のお菓子や駅弁に地域性は殆どないと言っていい。
つまり産地偽装が悪いのではなく、お土産にはそうした悪のカラクリが元々含まれてるのである。故に、お土産には本当の意味での地域性はなく、”ご当地”なんてわざとらしい言葉は最近生まれた宣伝文句であろうか。
事実、2007年8月に「白い恋人」の賞味期限の改ざん事件が起きた。改ざんされた期間は1カ月程度(後に最大2カ月と判明)だったが、この行為は15年ほど前から続いていたとされる。しかし、発覚から僅か3日での社長辞任という素早い対応と自発的かつ潔い行為によって、見事に復活した(多分)。
つまり、我々庶民はご当地お土産のこうした単純な悪のカラクリを知ってたのだ。
”素直に謝ったんだから許してあげようや。それよりもこんな事で、長年続いたお土産文化がなくなる方が怖い”とでも思ったのだろうか。
しかし私としては、お土産文化なんて産地偽装と賞味期限の改ざんを生むだけだから、死滅した方がいいと思うのだが、日本という村社会の歪んだ慣習がそれを許さないのだろう。それとも無差別に伝統を守りたがる我々日本人がバカなだけか?
私がかつて勤めてた職場だが、旅行だけじゃなく病気で休んだ時もお土産を持参する慣習があった。私にはどうしても理解できない奇怪な光景だったが、上司はそのお土産に怒り狂った時がある。
”何だこれは?”と言いつけ、何とお土産を放り投げたのだ。
”こんなんで言い訳するな。やる事さえちゃんとしてれば、病気をしても何の文句も言わん。やる事やんないから、こういうムダをするんだろうが。オレの前ではこんなのは邪魔なだけだ”
因みに、お土産をソデにされた社員は会社をすぐに辞めた。勿論、ブチ切れる気持ちも理解できるが、確かにでもである。
事実私も、老人会からのお土産を”大げさな包装が邪魔”だとして、はねつけた事がある。世話人さんが”これは市からの命令だから貰ってくれないと私が困る”と言うので仕方なく頂戴したが、お互いに不満タラタラであった。
お土産を買う(贈る)事が社会性だとは思わない。社会性とはもっと他の大切な分野で発揮すべきだ。
人が社会的に生きるという基本的な視座で言えば、お土産は幼稚な自己満足というストレスなだけである。それに、高く付くだけのマズいお菓子に過ぎない。
産地偽装や賞味期限改ざんが当り前の時代、お土産の文化はどう生き延びていくのだろうか。
それでもアンタはマズいだけのお土産に拘り続けるのだろうか。
そう、”ご当地”という言葉を耳にするだけで虫唾が走る。
悪しき慣習ですよ。
今の日本は貧乏なのでお土産を買う余裕もない筈ですが、安モンのクッキーくらいは贈ろうとするんですかね。
そう言えば、子供の頃、お歳暮で嬉しかったのが、金ちゃんヌードルの詰合せでした。当時はタオルケットや洗剤やコーヒー語りでもない主流でしたから・・
バブルの頃からですかね、洒落たヨーロッパ風のお菓子がお土産の主流になったのは。
余計な文化を生み出したもんです。
コメントありがとうございます。
”冷蔵庫のようだった京都市”ですか
思い切り笑わせて頂きました。
実は我が柳川市も出来の悪い冷蔵庫みたいだったです。冷えないと思えば急に冷える。
これからもっと冷え込みそうなので、お身体に気を付けて下さい。
産地偽装や賞味期限改ざんなんて
朝飯前の世界
ご当地とは言っても所詮は詐欺商売
お土産文化っても元々はペテンの世界
そうした悲しい商売で生き残りを掛ける人々
白い恋人どころか
腹黒い娼婦ってとこ
今となっては、ペテンや欺瞞に思える。
薄々とは感じてはいたんですが、時代が良すぎたせいか、そのまま受け継いでしまった。
娼婦と同じで、お土産文化もスッポンポンにしてしまえば、詐欺まがいの悪徳商法となる。
ここまで言う私も恨まれそうですが、恨むなら時代を恨んでほしいですよね。
コメント心に突き刺さります。
殆どが当日に設定されてある。
どう考えてもおかしいけど、誰も不思議に思わない。
お土産ってそういうもんだと割り切ってる。
ご当地で珍しいというだけで、すべてが許されちゃう。
ううーん、どーなんだろ?
さてと話題は変わって
優勝はアルゼンチンでしたね。
フランスは全体的に不調でした。80分までは音無しだったですから。
アルゼンチンは万全でないフランスの状態をよく見抜いてました。メッシというより全体的によくまとまったチームでした。
個人的には、僅か1分間で2点をもぎ取ったエムベマに勝たせてやりたかったです。
エムベパ(Mbappe)でした。
見てくれが全てかのように、ド派手なパッケージのオンパレード。
もう、ウンザリなんです。
律儀で礼儀正しい日本人の弱みをつくご当地文化。
今更メッシですが、言われる通り、アルゼンチンはよくまとまってました。
でも日本はベスト16で丁度よかたんだじゃいでしょうか。
ただ、W杯とても昔ほどには騒がなくなりました。
ピッチ上で死闘を繰り広げた選手たちには、”夢をありがとう”と言いたいですね。
全国どこでもお土産売場の形態と実情は変わりないたいですね。
まるで村社会の隣組と同じで、昔のまんま。怪しいのも屯して、近付かない方が歩なんだとか。
決勝は前半のフランスがあまりにも体たらくでチャンネルを消した程です。
言われる通り、エムバペの活躍がなければ、史上最低の決勝戦で終わってたかもですね。
でも決勝くらいはPK抜きで決着を付けて欲しかったですね。
これもサッカーという競技の限界なんでしょうか。
ともかく、ピッチ上で戦い抜いた選手たちには”ごくろうさん”と労ってやりたいです。