象が転んだ

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ポアンカレ予想の奇悲劇、その3〜リッチフローで世紀の難題に挑む

2020年12月19日 03時45分52秒 | 数学のお話

 前回”その2”では、サーストンの野心ハミルトンの偉業について述べました。
 その序盤では、ポアンカレ予想に挑んだ数学者たちを紹介しましたが、寄せられたコメントを元に少し補足します。

 ペレルマンやハミルトン以外にも、ポアンカレ予想を証明したと主張した数学者がいました。
 1986年、コリン・ルークエドワルド・レゴの2人のイギリス人が予想を証明したとして世界中を大騒ぎさせますが、数学界は殆ど相手にしなかった。事実、彼らの研究発表では大きなほころびが露呈し、この証明はすぐに崩れ去ります。
 1993年にはヘー・ポー・ペ(中)が、1999年にはミケランジェロ・ヴァッカロ(伊)が証明したと主張するが、これまた相手にされない。
 そして、2002年4月マーチン・ダウッディー(英)がウエブ上で証明論文を公開し、大きな反響を呼びますが、修正する毎にいろんな誤りが指摘され、マーチンの冒険は潰えます。
 その6ヶ月後、セルゲイ・ニキーチン(露)がarXiv上に「星状多様体のポアンカレ予想」を発表しました。7回以上の修正が行われ、12月まで投稿が続きましたが、様々な誤りがネット上で指摘され、その間にペレルマンが同じarXivに衝撃の論文を公開した事で、ニキーチンの努力は無に終わります。それどころか、それまでの先人達のポアンカレ予想の証明を全て打ち消してしまった。

 つまり、難題を証明するという事が如何に様々で奇妙?な犠牲の上に成り立ってる事をこれらの歴史は物語ってます。
 ポアンカレ予想もサーストン予想に比べれば野心的ではないとされますが、ペレルマンはそのサーストン予想をうまく回避する事でポアンカレ予想の証明に成功しました。
 サーストンの野心的直感とハミルトンの合理的予想とペレルマンの異次元で奇抜なアイデアの産物こそが、証明を完結させたとも言えますね。


トポロジーからリッチフローへ

 ポアンカレ予想は一見、トポロジー(位相幾何学)の領域だけで語られる様ですが、微分幾何学やテンソルの領域が大きく横たわってたんですね。
 事実、ペレルマンが改良(手術)したリッチフローとは、有限時間で生成する特異点の直前でシリンダー状の部分の切り口(2次元閉多様体)に沿って球面状のキャップを被せ、そこに標準解と呼ばれるものを貼る事でした。
 これは、ペレルマンのウエブ上(arXiv)で公開した3つ目の論文「3次元多様体上のリッチフローの解に対する有限消滅時間」のタイトルでも明らかですね。

 元来、ポアンカレ予想は”自明な基本群を備えた3次元閉多様体は3次元球面である”と言い換える事が出来るから、自明な基本群がリッチフローの解に関係してるとも言えます。
 因みに、自明な基本群を持つとは”基本群が単位元のみ”という事で、基本群は多様体の性質の1つで、多様体上に描けるループの集合の事です。位相幾何学では図形の仲間分けが重視されますが、その為に基本群の性質を使い、多様体を分類する手がかりとします。
 例えば、ボールの様な2次元球面では、どんなループも連続的な変形により、1点に縮める事が出来ます。故に、これは1種類のループしか持たないという事で、これを”基本群が単位元のみ(自明な群)である”と言います。
 一方、穴の開いた浮き袋みたいな2次元トーラスでは、1点に縮める事の出来ないループが存在し、2次元球面(ボール)と2次元トーラス(浮き袋)では基本群に違いがあり、違う種類の多様体として分類出来ます。但し、トポロジーでは貫通穴の数を種数と呼びます。

 この1点に縮める連続的な変形を”単連結”と言うんですが、”単連結な3次元閉多様体こそが3次元球面と同相である”事もポアンカレ予想でしたね(”その1”の冒頭参照)。
 故に、2次元ではポアンカレ予想は簡単に成立するんです。

 そこで、3次元閉多様体で1点に縮める連続的な変形が出来るのか?が、ポアンカレ予想の大きな鍵となるんです。そこで、リッチフローをこの多様体上で走らせる事で何とか解決を探ろうとするんですが、なかなか上手く行かない。
 というのもリッチフローは、”その1””その2”に述べた様に、リチャード・ストライト・ハミルトン(米、1943~、写真)が主張した様に、正の曲率を持つ滑らかな多様体上では連続して進み収縮するが、途中でペチャっと萎んでしまう(葉巻型特異点)。一方、負の曲率では膨張するが、特異点が邪魔をし、連続して進んではくれない。
 つまり、特異点がリッチフローを走らせる上で大きな壁になるんですね。
 そこでハミルトンのプログラムを受け継いだペレルマンは、特異点を解消しようとしたんですが、解消できたとしても永久に時間が掛かれば証明した事にはならない。つまり、第3の論文にある様に、”(特異点の)有限時間内での特異点の解消”を試みたんです。
 少し抽象的な話になり過ぎたので、特異点の解消の詳細は後で述べるとして、先に進みます。


そもそもリッチフローとは

 前回”その2”は、リッチフローとリッチテンソルの蜜な関係を述べて終わりました。
 元々リッチフローとは、熱の拡散(フロー)を微分方程式で表すもので、テンソルのアイデアを基盤とします。
 元々、熱の流れと分布はフーリエの「熱の解析的理論」(1822)の偏微分方程式で記述されてました。但し、ハミルトンのリッチフローの場合、熱の拡散ではなく、曲率という幾何学的な属性の拡散です。
 2次元平面内での曲線の曲率は半径rの逆数1/rで示され、曲がりがキツくなる程、曲率半径は小さくなり、曲率は大きくなる。
 次に、3次元空間の(y方向に走る)曲線の曲率は、xとzの2方向の曲率が必要となる。
 これは空間内に浮かぶ曲面の曲率も同じで、3次元以上の空間内の曲率を記述するには、3つ以上の方向の曲がりを考慮する必要がある。
 しかし、3次元多様体の曲率となるともっと複雑で、多様体上の各点毎に沢山の数の曲率が必要となる。これらの複雑な計算を可能にするのがテンソルです。

 そこで時間が経つに連れ、形状を変える多様体を例にとります。
 フーリエの熱方程式が物体状のあらゆる点の温度変化を記述するのに対し、リッチフローは物体の各点における形の変化を規定します。
 そこでハミルトンは、多様体を整形しようとしました。つまり、熱が部屋中に行き渡るように、多様体の曲率を均一にした物体に変形しようとしたんです。
 彼はリッチフローの論文で、”ある特殊な3次元多様体は球面に変形できる”事を示しました(1981)。この彼が作り上げた世紀の法則は、多様体を一定の形に進化させる為のものでした。
 つまり、ハミルトンという神の形をした人類が”最も複雑な多様体をも最も単純な形に変形させる”微分方程式を創り上げたのだ。
 

ハミルトンのリッチフロー

 リッチフローとは、リッチテンソルを多様体のスケールの変化に関連付ける微分方程式で、一方リッチテンソルとは多様体の曲率を示し、そのスケール(量)は多様体上の距離の尺度(距離の変化率の尺度)です。
 ここで特に注目すべきは、”その1””その2”でも述べた様に、リッチフローが各点におけるこれらの値が負の符号で定義される事でした(δₜgᵢⱼ=−2Rᵢⱼ)。言い換えれば、(リッチ)曲率Rᵢⱼが負の時に膨張し、正である時に収縮する。
 つまり、多様体があらゆる出っ張り(膨張)と凹み(収縮)がなくなるまで、この過程は延々と続きます。
 ハミルトンが予想した様に、仮に多様体が正の曲率(リッチ正)を持つと仮定する。
 この正の曲率を持つ多様体は、ますます丸みをキツくし(曲率が大きくなり)、そのスケールは小さくなり続ける。そして、これ以上小さくなれない局面に至り、煙の様にパッと消えてなくなります。

 ハミルトンのアイデアは極めてシンプルでした。どんな(ヨレヨレの)多様体でも、8個の素多様体のうちの1つが、”単連結の多様体であるならば(最終的に煙の様にパッと消え去るなら)、ポアンカレ予想は証明される”
 つまり、どんな複雑に捩れた多様体でも、リッチフローは歪みと捻じれを取り去り、単純で判り易い形に変えてくれる。
 しかしここで大きな問題に直面します。
 全ての多様体が膨張し収縮し、消えてなくなるのを延々と眺めるのは明らかに無理な相談です。
 ただ、1979年のハミルトンはこう考えた。
 どんな多様体もサーストンの構成要素の1つを目指して進化し、その”多様体が単連結であれば、最終的に影も形もなくなる事を厳密に証明する事は可能”だと。

 3年後の1982年、とうとうハミルトンは「正のリッチ曲率を持つ3次元多様体」で、”正の曲率を持つ全ての多様体は一定の曲率を持つ多様体に進化する”事を証明した。これこそが超難題ポアンカレ予想を証明する、大きな第一歩となります。
 このトポロジーの領域に微分方程式をはめ込んだハミルトンの証明は、数学界の大変革とも言える。
 但し、これは”滑らかな多様体”という大前提の上での証明ですが、RH・ビング(米、1959)とエドウイン・モイーズ(米、1952)が”どんな3次元多様体も(三角形に分割でき)滑らかな多様体と同相である”との証明がなかったなら、ハミルトンの手法でポアンカレ予想を証明する事は出来なかったとされます。

 少し長くなったので、途中ですが今日はここまでです。
 ハミルトンが改良したリッチフローを中心に述べましたが、ハミルトンのこの偉業はペレルマンに引き継がれ、大きな華を咲かせるんですが、現実はそう甘くはありませんでした。

 次回の”その4”では、多様体の特異点という分厚い壁に遮られたハミルトンの挫折を中心に述べたいと思います。



4 コメント

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ハミルトンの苦悩 (paulkuroneko)
2020-12-19 18:22:33
コメントを引用してくれてありがとうございます。
サーストンの野心はハミルトンの偉業を生み出した事は確かですが、幾何化予想に憑かれすぎたせいか、先を急ぎすぎた感がありますね。
でもリッチフローを多様体の曲率の成形に改良したハミルトンのプログラムは、ペレルマンのポアンカレ予想の証明にも勝るとも劣らないものでもあります。
ポアンカレ予想の奇悲劇これからも期待してます。
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paulさん (象が転んだ)
2020-12-20 01:41:21
こちらこそ、いつもお世話になってます。

できるだけ、本に書いてある事に忠実にとは思ってますが、油断してると抽象的な概念に引っ張りこまれるので、そこん所が難しいですね。
私も全てが解ってて書いてる訳でもないんで、書いてる事が全て正しいと言える筈もなく、何か1つ理解できたら、100の解らない事が湧き出てくるのが数学なんで・・・
何だか書いてて鬱になるのも数学ですね。
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ペレルマンのアイデア (腹打て)
2020-12-21 09:10:32
ペレルマンは多様体の負の曲率に注目し、膨張する筈のリッチフローを逆行させることで、多様体が1点に収束することを証明したんだけど。これは熱伝導のフローを逆行させれば明らかだよな。
つまり、部屋中を温めた熱はヒーターに向かい収束し、最後にはヒーターのスィッチが切れる。

ハミルトンは多様体が収縮する筈の正の曲率に限定してポアンカレ予想を証明したんだが、これにも厄介な特異点が存在した。
そこで、中国人のヤウとギャオが多様体の全ては負の曲率を持つことを証明してた(1986)ので、ペレルマンは負の曲率に限定してフローを走らせることが出来たんだよ。
熱伝導のフロー方程式は実際には逆行できないけど、リッチフローは小さな時間という条件付きだけど、逆行と順行が可能なんだな。

故にヤウがハミルトンを庇い、ペレルマンを嫉妬したのも理解できるけど、ペレルマンのアイデアは異次元のものだったんだよ。
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腹打てサン (象が転んだ)
2020-12-22 00:25:05
これこそが私が一番いいたかった事です。

熱伝導フローを逆行させる事でペレルマンのアイデアが明確になりますね。
多分、ペレルマンは高校生くらいの時からこのアイデアを既に持ってたと思いますね。そこでハミルトンのリッチフローに出会い、熱伝導とは異なり逆行できる事にヒントを得た
んですかね。

これも次回その4にて補足させて頂きます。これからも貴重な補足宜しくです。
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