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高木貞治とその時代”その1”〜”クロネッカーの夢”と類体論

2024年07月20日 04時50分10秒 | 数学のお話

 Gooブログの「今日のテーマ」に”今週の予定は”ってのがあるが、仕方なく”類体論について纏めたい”と偉そうに書いた。だが実は、既に大半を書き上げていたから、何もやる予定はなかったのだ。
 つまり、仕事以外では何の予定も入ってない。そもそも仕事自体は予定ではないし、嫌々ながら仕方なくやってるだけの事である。もっと言えば、暇潰しにもならない。

 一方で、ブログでは当り前の事を書いても詰まらんし、たまに読む「近世数学史談」(高木貞治著)の中に、ヒルベルトと高木氏の会話が載ってて、非常にユニークに貴重にも思えた。
 その中に、クロネッカーの”青春の夢”と高木市の(類体論の)”存在定理”の事がほんの少しだけ触れられている。

 正直、イデアル論は私の卒論のテーマの1つでもあったが、整数論や代数学などの古典数学は大の苦手である。更に、類体論なんて夢の夢であるし、それも私には悪夢に近い。
 ”イヤよイヤよも・・・”とは言うが、色んなサイトを巡り、渋々と高木氏の類体論を纏めていく内に、時代を代表する天才数学者も生身の人間であり、色んな思いや事情を抱えながら、数学に埋没していくものかなと・・・
 そんな高木氏だが”何かを遺したいとか、これといって勉強したつもりもないが、やるべき事はやったという記憶だけはある”と、自らを”無精者”とグータラ呼ばわりする所が高木氏らしい。

 確かに、高木氏にとっては数学は孤独を癒やす暇潰しみたいなものだったのだろうか。事実日本が平和の時代だったら、数学者としては”何もなし得なかったろう”と振り返る。つまり、戦争があったからこそ「存在定理」が発見できたのだろう。


序文にて

 「数の概念」(高木貞治著)の序文がとてもユニークだ。
 ”うちの娘などは大学で理科を専攻したんだが、xy=yxが何故そうなるのか?よく解ってないようだ”
 エドムンド・ランダウの様な大数学者にとっては”解析の基礎”として基本的な事だが、高木貞治氏はこうした”数の概念”を論理的に無欠陥(無矛盾)なる体系として、この本を著した。
 確かに、ランダウが提示したxy=yxや、デデキントが嘆いた√2・√3=√6の証明も、今日では周知の事実としてみなされるが、何故そうなるのか?如何にして証明がなされるのか?となると話は別である。

 数学を学ぶ時、第一に遭遇するのが”数とは何ぞや”という事である。この問題を平易周到に解説したのが、この著書である。
 第1章では整数を、第2章では有理数を、そして第3章では実数を論じる。つまり、自然数だけを切り離して”数の概念”の基盤とするよりも、正負の整数を一括して考察する方が数学的には、より自然でより簡明であるからだ。
 数学上の概念は全て抽象的である。整数も例外じゃない。その整数は物の数でも物の順序でもなく、1対1対応の自己対応を許す一体系と規定できる。事実、この”1対1対応”というのが後の高木氏の類体論の「存在定理」に大きな影響を与える事となる。
 つまり、抽象的とはこういう事である。

 実数は数学では”連続体”(直線上の点の集合)とも呼ばれるが、直線自体は連続体ではない。だが、実数という連続体が持つ連続性という特徴は、順序の1つの様相として、無限という潜在的可能性を包含する。
 カントールはこれを非加算無限(実無限)と呼んだが、実数の体系を可附番なる部分集合が、その中に稠密に分布され得る連続集合として規定する。この連続集合に関しては、加法の可能性も可附番部分集合の稠密分布も、その効果においては同等なる制約と言える。

 高木氏は整数論の無矛盾性の証明をこの著書のテーマにするが、”無矛盾性の証明?そんな事できるもんか”とランダウは言い放ったという。
 しかし高木氏は”そんな事が出来たとして、ゆっくりと検討する事も遅くはあるまい”と返す。
 因みに、交換法則”xy=yx”の証明は「数の基本とは?」を参考にです。


クロネッカーの夢と高木の類体論

 高木貞治氏(1875-1960)は類体論の研究で世界にその名を知られるが、まずは”類体論とはなんぞや”である。
 高木氏の師匠でもあるヒルベルトは”代数体のアーベル拡大体に、更にある条件(拡大とイデアルに関する条件)を付加した<類体>というものについて、その性質を探ったら良いのではないか”と、高木氏にアイデアを仄めかしてはいた。
 元々、”類体とは代数体のアーベル拡大体の中でも特殊なタイプ”とされてきたが、高木氏は”代数体の任意のアーベル体は基礎代数体の類体に他ならない”事を証明し、世界を驚かせる。

 そこで、類体論の大まかな概略を説明する。
 まず最初に、代数的数体(代数体)Q(α)を考える。これは、有限個の代数的数αを有理数体Qに添加して得られる体でQ(α)で表す。但し、体とは四則演算で閉じる事に注意する。
 そこで、代数体Q(α)の要素を係数とする代数方程式とその解を考える。更に、この方程式全ての解をQ(α)に加えてできる、Q(α)を含むより大きな代数的数体をQ’(α)とする。
 次に、Q’の要素をQ’の要素に対応させる(四則演算を保つ)あらゆる写像を考え、その中でQ(α)の要素を自分自身に対応させる同型写像の全ての集合Fを考える。
 そこで、Fの任意の2つの要素fᵢとfⱼを選んだ時、Q'の要素にfᵢの次に続けてfⱼを作用させても、またfⱼの次に続けてfᵢを作用させても、同じ結果になる時、Q’をQの”アーベル拡大”と呼ぶ。記号で書けば、”x∈Q'の時、fᵢ(fⱼ(x))=fⱼ(fᵢ(x))を満たす”となる。これは、アーベル(=可換)という事を知ってれば、理解はスムーズですね。

 一方で、クロネッカーは”有理数体Qのどんなアーベル拡大体Q'も、円周等分方程式(xⁿ=1)から得られる円分体(有理数体Qに1のべき根を添加して得られる体)に含まれる”との命題(クロネッカー=ウェーバーの定理)を示した。
 つまり、”Qのアーベル拡大体Q'なら円分体である”事を示したのだが、言い換えれば、”Qのアーベル拡大体Q'は有理数体Qに1のべき根(xⁿ=1を満たす根x)を添付する事で得られる”となる。

 だったら、有理数体Qではなく、他の代数体のアーベル拡大体でも同様の事が言えるのだろうか?   
 例えば、虚2次体Q(√(−d))と呼ばれる代数体Q(α)のアーベル拡大体Q’は、虚2次体に虚数乗法を持つ楕円関数の等分値と特異モジュールを加える事で得られるのではないだろうか?
 因みに、2次体(2次の代数体)とは、平方因子を含まない整数d≠0,1を用い、Q(√d)で表し、d>0の時を実2次体、d<0の時を虚2次体と呼ぶ。また、”虚数乗法”とは(解析的に言えば)虚数(複素数)を掛ける事で、虚2次体の類体における相互法則(主イデアル定理)や分岐の様子を楕円関数や楕円曲線の言葉で書き表す事が出来る。一般に、楕円関数fの2つの独立な周期𝜔₁,𝜔₂にて、虚2次体に含まれる任意の𝜆に対し、𝑓(𝑧)と𝑓(𝜆𝑧)の間に代数的な関係式が存在する時、楕円関数(楕円曲線)は虚数乗法を持つという。

 話を戻しますが、クロネッカーは”有理数体Q以外の代数体Q(α)でも(アーベル拡大は)成り立つだろう”と1850年頃に予想しましたが、証明する事は出来なかった。これこそが「クロネッカーの青春の夢」と呼ばれる未解決問題でした。
 一方で高木氏は、1920年に「相対アーベル数体の一般論について」(後の「高木の存在定理」)を発表し、この問題よりも強い命題(ヒルベルトの第12問題と呼ばれた命題)を解く事で、この難題を解決します。


類体論と、その「存在定理」

 高木氏のこの証明は「高木の存在定理」として知られるが、”代数体Q(α)の一般化されたイデアル類群に対し、それに対応するアーベル拡大が存在する”という定理である。
 これを堅苦しく記号で表せば、mを代数体Kの任意のモジュラスとし、Hをmを法とするK=Q(α)の任意の合同(イデアル)群とすると、H=Hₘ(L/K) となるアーベル拡大体Lが存在する。但し、L/KとはLがKの拡大体を意味する。

 ”代数体Kの任意のアーベル拡大体Lは、Kのある合同イデアル群H=Hₘ(L/K)に対する類体である”とした方が解り易いですかね。
 更に、「アルティンの相互法則」(1930)を使えば、「存在定理」はより精密に定式化され、”一般化されたイデアル類群Iₘ/Hとガロア群がアルティン写像により同型となるKのアーベル拡大Lが存在する”と言い表す事が出来る。
 因みに、代数体Kの全ての素点pを渡る形式的な無限積m=∏ₚp^(nₚ)で、次の3条件を満たすものをKの”モジュラス”と呼ぶ。①n𝔭≥0、②殆ど全てのpに対し、nₚ=0、③無限素点pにては、nₚが0又は1である。詳しくは、次回以降で述べる予定なので、大まかに理解だけでいいかと・・・

 以上を整理すると、Kのガロア拡大であり、そのガロア群がアーベル群であるものが”Kのアーベル拡大”となるが、例えば、2次拡大や円分拡大などはアーベル拡大の例となる。
 また、類体論とは、Kが代数体の場合にそのアーベル拡大であるKの外部の対象がどれだけ存在し、どの様な性質を持つかを、Kに内在的な数学的対象で記述できる事を示した理論である。
 一方で類体論では、古典的なイデアル論を用いた定式化では、内在的な数学的対象として一般化された”イデアル類群”というものがよく用いられる。
 仮に、有限次アーベル拡大L/Kがあるとすると、これに対応する一般化されたイデアル類群が定まり、アルティン写像によりこのイデアル類群とガロア群Gal(L/K)は同型になる。これを「アルティン相互法則」と呼ぶ。
 しかし逆に、一般化されたイデアル類群があると、対応する有限次アーベル拡大が定まり、同様の相互法則が成り立つ。これを「高木の存在定理」と呼ぶ。
 つまり、「高木の存在定理」と「アルティン相互法則」とは互いに補完し合う関係となる事がわかる。
 この様にして、”有限次アーベル拡大と一般化されたイデアル類群が1対1に対応する”というのが、類体論の主要な結果である。
 

アーベル拡大と不分岐

 通常の意味でのイデアル類群も、一般化されたイデアル類群の1つであり、これに対応するアーベル拡大が存在する。このアーベル拡大は最大”不分岐”アーベル拡大という性質を持つ。これには特別に「ヒルベルト類体」という名前がつけられている。
 (次回でも述べるが)、高木氏はヒルベルトの”アーベル体(類体)は不分岐だ”との言葉をヒントに、”アーベル体は類体である”という壁にぶつかり、「存在定理」を生み出したとされる。
 因みに、ヒルベルトは高木氏と最初に遭った時、わざわざ自宅に呼び、”代数関数はリーマン面で決まる”といきなり言い放った。確かに、多価関数を扱うにはリーマン面の概念が必要で、分岐点の定義にも同概念が用いられる。

 この”不分岐”との視点で言えば、類体論は有限次アーベル拡大を分類するだけでなく、「アルティンの相互法則」によって各アーベル拡大での素イデアルの分解(分岐)の様相も教えてくれる。 
 仮に素イデアルがあると、フロベニウス元と呼ぶガロア群の元が定まる。素イデアルの分解の様相はこの元を見ればわかる。故に、アルティン相互法則により、フロベニウス元に対応する一般化されたイデアル類群の元が定まり、これは元の素イデアルの剰余類となる。つまり、この剰余類をみれば、素イデアルの分解の様相が分かる。
 この事は、2次体における素数の因数分解の様子を完全に与える2次の相互律の広範な一般化になり、3次の相互律の様なより高次の冪剰余の相互律も、アルティン相互法則から導く事が可能になる。

 元々”類体論”という名称は、”一般化されたイデアル類群に対応するアーベル拡大を類体”と呼んでいた事に因む。故に、”類体は特別な有限次アーベル拡大体”と思われていたが、予期に反して高木氏により”有限次アーベル拡大体は全て類体である”事が判明した。
 標語で言えば、”有限次アーベル拡大=類体”となる。故に、類体論の研究対象が任意のアーベル拡大であるのはこの為である。
 この類体論の主結果は、「アルティンの相互法則」と「高木の存在定理」の2つである。アルティン相互法則より、”全てのアーベル拡大は類体”となる。高木氏は、これを”アーベル体=類体”と言い表した。
 つまり、”任意の類体はガロア拡大であり、またそのガロア群はアーベル群なので、類体は基礎の体上のアーベル拡大”である。故に、類体とアーベル拡大とは完全に同義となる。
 こうして類体論が確立された結果、アーベル拡大と類体は同じものである事が判明した為に、類体論の主要な結果に”類体”の語が現れないのである。以上、Wiki(類体論)より、大まかに纏めました。


最後に

 こうして、記号や数式や特殊な専門用語を抜きにして、言葉だけで語ると、普段は聞き慣れない類体論も、何だか解った様な気分になるから不思議である。
 だが、高木氏が説く様に、”解ったつもり”では数学の世界では通用しない。それを1つ1つチェックし査読する人が必要なのだ。しかし、高木氏が「存在定理」を発見した時は第1次世界大戦の真っ只中であった。つまり、孤軍奮闘し、独学で、当時の数学界を驚愕させるであろう理論を推し進めたのである。

 そして、戦争が明けた1920年、そんな高木氏にも追い風が吹く。ドイツは連合国と分離し、ヨーロッパでは整数論などを持ち出すには不適当な場所になっていた。更に類体論で言えば、理解を持つ人はシャトレやアダマール(共に仏)など数人しかいない。
 つまり、そんな状況の中でのストラスブルグでの世界数学会議での「存在定理」の発表であったのだ。 



9 コメント

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類体の本質 (UNICORN)
2024-07-20 15:13:11
アーベル体は不分岐であるというヒルベルトの言葉を受け、アーベル体のその先にあるのがその特殊なタイプの類体ではなく、アーベル体自身が類体だったという皮肉。
つまり、アーベル体は類体と言う名の拡大体であった。

記事に書かれてるように
類体はガロア拡大であり、そのガロア群はアーベル群なので、類体とアーベル拡大は完全に同義となる。
これこそが類体の本質と言えるけど、アルティンの相互法則がなかったら、その存在も証明できたろうか。 
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UNICORNさんへ (象が転んだ)
2024-07-20 17:45:22
結局は
アルティンの相互法則が決め手となり、高木の存在定理が確固たる地位を築いた訳ですが、高木氏が存在定理を証明したのは第2次世界大戦中の1915年の事で、国際数学会議で発表したのは1920年の事でした。
一方で、アルティンの相互法則が確立されたのは1924〜30年の事ですから、丁度高木の存在定理を補間する形となり、結果的には2つの定理が補間し合う形となります。
類体論とは、一般化されたイデアル類群とアーベル拡大は1対1に対応すると要約できます。が一方で、高木の存在定理とは、アーベル拡大と合同群の1対1対応を主張し、”有理数体K=Q(α)の任意の合同群Hに対し、H=Hₘ(L/K)なる様なアーベル拡大Lが存在する”との定理ですよね。
つまり、厳密には例外が存在する。

その例外ですが、
類体論の存在定理の特別な場合には、一般化されたイデアル類群はKのイデアル類群であり、拡大体LがKの全ての素因子で不分岐である様なKのイデアル類群に同型なガロア群を持つアーベル拡大L/Kが一意に存在する。こうした拡大を”ヒルベルト類体”と呼びますが、フルトヴェングラーが1907年に証明してました。
この特別な性質は”元々の代数体Kのイデアルはヒルベルト類体へ引き戻すと主イデアルとなる”というもので、これもフルトヴェングラーとアルティンにより証明されてました。

一方で高木氏は、”アーベル拡大=類体”という類体論の基本定理、つまり一般的な存在定理に到達し、その結果を1920年に発表しました。
この存在定理にアルティン相互法則を使えば、”一般化されたイデアル類群Iₘ/Hとガロア群がアルティン写像により同型となる様なKのアーベル拡大が存在する”と言い換えれます。
今では、類体論の中の1つの存在定理との見方がなされてますが、ヒルベルト類体という例外を一般化したら基本定理に帰着したという皮肉ですよね。
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アーベル体と不分岐 (腹打て)
2024-07-22 11:00:39
ヒルベルトは<類体は不分岐だ>としたが、高木氏はもし<類体が分岐であったら>という一般論に置き換えた。
つまり、ヒルベルトの類体論から<不分岐>を捨て去った結果、<任意のアーベル体は類体なり>という「高木の存在定理」の発見に繋がったと言える。
確かに、不分岐の場合はフルトベンクラーが証明してたから、この影響もあったのだろうが、虚数乗法とアーベル体を結びつけたHウェーバーの影響も無視できない。
厳密に言えば、1915年に日本で発表した論文には証明がないのもあったとかで、全てが証明され、「相対アーベル数体の一般論」として世界に発表したのが1920年。
自身が<類体論の基本定理>と名付けた「高木の存在定理」の発見と証明は、高木氏の最も独創的な偉業で、この応用として、「クロネッカーの夢」を定式化して証明にこぎ着けた。

他方で1923年には、アルティンが高木氏の同型定理に同型写像を与え、「一般相互法則」に精密化し、30年に証明した。
このアルティンの8年に渡る仕事により類体論は完成を遂げたと言える。
こうして、類体論は20世紀前半の代数的整数論の中心的存在となっていく。
天才たちの系譜とは、こういうものを言うんだろうね。  
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腹打てサン (象が転んだ)
2024-07-22 18:07:09
証明の有無に関しては、論文の印刷が間に合わず、外国へ渡ってから一纏めに整理したって所でしょうか。
これも厳密に言えば、一意性定理→存在定理(同型定理を含む)→分解法則を順に証明し、最後に自身が”基本定理”と名付けた「高木の存在定理」に辿り着きます。

但し、同型定理を含む存在定理とは、”代数体K=Q(α)の任意の合同イデアル群Hに対し、K上の類体が存在する”事で、同型定理とは”Kの法mの合同イデアル群Hに対するK上の類体に対し、ガロア群は合同イデアル類群Iₘ/Hと同型になる”との事でした。
故に、「高木の存在定理」である”代数体Kの任意のアーベル拡大体Lは、Kのある合同イデアル群H=Hₘ(L/K)に対する類体である”との結論に達します。

言われる通り、類体論は代数的整数論の中核を成していくのですが、その整数論の中で中核をなすのが整数環の性質、つまりイデアル論です。
これがなかなか抽象的で、スムーズに纏めるに苦労するのですが・・
いつも参考になるコメント感謝です。
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特殊から一般化へ (paulkuroneko)
2024-07-22 20:36:07
Hウェーバーですが
彼はアーベル拡大の特殊な形を類体と名付けた最初の人でした。
その特殊形を一般化したのが「存在定理」であり、高城氏は”アーベル体=類体”である事を発見・証明します。
これは丁度ガウスの言う”特殊から一般化へ、数学は演繹であれ”を見事に実践した結果となってます。
類体論はガウスの整数論に起点を成し、クンマーやデデキントのイデアル論を経由し、代数的整数論の中核として大きな華を咲かせました。
まさに、類体論が謳歌した時代とも言えます。
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paulさん (象が転んだ)
2024-07-23 11:11:41
少し補足しますが
ガウスの整数論では有理整数と同じく、素因数分解が一意的に成り立ちますが、円分整数Σaₖζᵏ(aₖ:有理整数,ζᵏ:1の原始n乗根)では素因数分解の一意性は成立しない。
クンマーは、理想数(理想の素数=後のイデアル)を導入し、高次相互法則を研究し、フェルマー大予想を条件付き(指数が正則素数の場合)で証明しました。
一方で、デデキントは代数体の整数環にて数の整除関係をイデアルの整除関係に置き換える事で、代数的整数論の基礎を築きます。
ここで、イデアル上での”素因数分解の一意性”という基本定理の証明を成し、ガウスの整数論が代数体の整数環(イデアル論)に拡張されました。

次の課題は、代数体Q(α)の元を係数とする代数方程式とその解を考える事でしたが、方程式の解をQ(α)に全て添加する事で、Q(α)を含む代数体K(Q(α)のガロア拡大体)が生じます。
なお、K→KはKの自己同型であり、Q(α)の各元を動かさないものをG(K/Q(α))と記せば、Gは群を成すのでガロア群と呼ぶ。
更に、ガロア群が(積に関し)可換の時、KはQ(α)のアーベル拡大となります。
因みに、円分体Q(ζ)や2次体Q(√m),m∈Zは有理数体Qのアーベル拡大となるが、クロネッカーはアーベルの楕円関数の研究から”Qのアーベル拡大は全て、円分体に含まれる”事を発見します。
クロネッカーはこの証明を完成する前に他界した事から、「青春の夢」と名付けらました。
その後、クロネッカーの夢を、高木氏が「存在定理」を使って実現するという、見事な継承ですよね。
貴重なコメントいつも有り難うです。
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paulさんへ (象が転んだ)
2024-07-26 06:03:19
遅ればながらですが、訂正です。

後半の
”次の課題は、代数体Q(α)の元を・・・Q(α)のアーベル拡大となります”の部分ですが、厳密に訂正すれば、

”代数体K=Q(α)の元を係数とする代数方程式とその解を考える事でしたが、方程式の解をKに全て添加する事で、Kを含む代数体L(Kのガロア拡大体)が生じます。
なお、K→KはKの上への1対1写像で、四則演算を保つものKの自己同型と呼びます。その中で、Kの各元を動かさないものをG(L/K)と記せば、Gは群を成すので、これをガロア拡大L/Kのガロア群と呼びます。
更に、ガロア群G(L/K)が(積に関し交換則が成立する)可換の時、LはKのアーベル拡大となる”となりますね。

つまり、KはLで、Q(α)はKとなるんですが、ガロア拡大L/Kとガロア群G(L/K)とアーベル拡大Lがごっちゃになり、誤解を与えた事をお詫びします。
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こちらこそ (paulkuroneko)
2024-07-26 14:29:14
色々と迷惑かけます。

”ガロア群G(L/K)が可換の時、Kを含む代数体Lはガロア拡大体L/Kを生み、Lは代数体Kのアーベル拡大となる”との認識でいいんですかね。
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paulさん (象が転んだ)
2024-07-26 19:09:05
隅を突けば、他にも粗が出るかもですが
そういう事でいいと思います。
これらの整数論と類体論の流れは後でも記事にする予定なので、大まかな理解でも構わないと思います。
色々と面倒かけます。
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