ウロコのつぶやき

昭和生まれの深海魚が海の底からお送りします。

『膚(はだえ)の下』神林長平

2007-08-06 00:56:48 | 読書感想文

※この記事は激しくネタバレです。まだお読みになっていない方は読まないで下さい。

久しぶりに神林さんの長編新作を読みました。
今は作家買いする人がどんどん減っているので、真剣に本を読んだ事自体久々なような。
内容・分量共にずっしりと読み応えのある作品に満腹しております(といいつつ『敵海』新作にももうかかってますが)。

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火星三部作完結編にして、時間軸的には最初の作品。
思い出すのは、『あなたの魂に安らぎあれ』のラストシーン。主人公たちが火星だと思っていた場所は実は地球。火星に避難していた同胞たちが帰って来るのと同時に、地表を闊歩していたアンドロイドたちが一斉に動物へと姿を変える印象的なあの場面。
あの場面へと繋がる『世界』を作り上げた創造の神エンズビルの、これは物語。

人間の手によって人工的に創り出された生命体である人工兵士(アートルーパー)が、やがて創造主となるまでの物語。

主人公は繰り返し自問する。
人工的に作られたものであっても、生命は同じもののはず。膚の下を流れる血は同じものなのに、何故自分は人間と同じに扱って貰えないのかと。
様々な事件と出会いを経て、彼が見出そうとしたもの、それは『生命』というものの本質だったかと思います。

生命は決して静止しない。「人の形のごときのものは 万化してきわまりなし」という荘子の一節で表現されているように、姿形は変化を続けても、生命そのものの本質は変わらない。人間も、人工兵士も、犬もカラスも。

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とまあごくごく大雑把に言えばそんな感じですが、実際はそんな簡単な言葉で語れるような単純なものではありません。
マ・シャンエ・ウーの怖さとか萬羽の嫌らしさとか、サンクの可愛さとか(もうね、「ワフ」っていうあの鳴き方がたまりません。大きい犬が、吼えるんじゃなくて犬なりに小声で主人に返事してるあの感じが読んでて可愛くて仕方ない)その他色々。

でも改めて読んでみるとつくづく、神林さんは「言葉」の人だなあと思います。この人はまるで、世界の全てを言葉によって緻密に解体し、分析し、再構築して具現化しているように思えます。
実加の台詞、「私があなたの日記を読んでやる。だからあなたは寂しくないよ」という言葉はその典型ですね。主人公と実加は、250年の後に日記を通して再会する。言葉は時間を超える。例え生身で会うことは二度となくても、残された言葉を読むことで出会えることを、彼ら二人は信じていた。
(この二人の関係は、純粋で切ない。実加が別の男性と結婚しても決して揺るがない関係なんだよね)

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で、性懲りもなく大ちゃんの話になるんですが、神林さんが徹底的に言葉を用いてやろうとしていることを、大ちゃんは逆に言葉を使わないで(寧ろ言葉を排除することで)表現しているのかなとも思ってしまいました。
言葉では決して理解できない領域にまで感覚を広げ、分析する代わりに生身の感覚でもって掴みとり、それをそのままダイレクトに感覚として出力する。
彼を見ていると時間の感覚が変わるのは、「生命は静止しない」ことをまさに彼が表現しているからだという気になってしまう訳です。私が過去の映像を見てる間に、現実の彼はどんどん変化を遂げて行く。本当の彼を見るには正にライブな演技を目の前で見るしかなくて、しかもそれさえも、「見た!良かったー」とか言ってるうちにもう過去になってしまっているような、そんな感覚。
同じプログラムでも常に変化し続けていて、その全てが未完成であり、同時に全てが正解でもあるというような。
私は多分普通の人以上に「言葉」に頼って生きているので、そんな頼みの綱である「言葉」を排除した大ちゃんの表現は怖いです。そして怖いからこそ余計に怖いもの見たさでハマってしまう。
ていうかこんな全然関係ない、SF小説の感想にまで引っぱり出して来るあたり、我ながら重症だと思います。

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膚の下 (上) (ハヤカワ文庫 JA (881))
膚の下 (下)

「膚の下」を読む前に、押さえておきたい火星三部作♪
帝王の殻
あなたの魂に安らぎあれ (ハヤカワ文庫JA)
「あな魂」読んだのはもう何年も前なんですが、あのラストシーンは印象的で、かなりはっきり覚えてました。