関西に出て来て5年くらいになりますが、都会で(私にとっては大阪も神戸も大都会)で生まれ育った人とはやっぱり感覚が違う。自分は根っこは田舎者なんだなと今でも時たま思う日々。
…というネタから始まって、未だにだらだらと「うたばん」の大ちゃんの話。
「生まれ変わったら、(フィギュアスケーターではなく)ダンサーになりたい」発言で、2006年のFOIを思い出しました。初めて生で見たフィギュアスケート。初めて生で見た大ちゃんの演技。そして初披露だったEX版「ロクサーヌ」の衝撃。
この人はきっとスケートじゃなくても、ダンスでもなんでも、とにかく身体を使ったパフォーマンスであれば世に出られる才能の持ち主なんじゃないのかと思ったものです(身体の硬さえクリアできれば…)。
しかし同時に、彼の生まれ育った環境からするに、フィギュアスケート以外のルートで「踊る」こととの接点を持つのは限りなく不可能に近かったような気もします。
大阪や神戸では子供向けのダンススクールが結構流行ってるみたいですが、地元でそんな小洒落た習い事に通ってる子なんて見た事ないし。
そうして見ると、結構生まれ育った場所の「地の利」の差ってバカにできないと思ってしまった。私みたいに腰が重い人間だと、学校出てから「夢を叶えるために」思い切って都会へ出て来るのに10年かかってしまいます(それ以前に「岡山では夢を叶えるのはどうも無理っぽい」という事に気づくのに10年かかってる)。根性と才能さえあれば乗り越えられる差…なのかも知れないけど、やっぱり最初から都会で生活していると、スタートラインの段階では有利だなと思います。
大ちゃんに話を戻すと、彼はフィギュアをやってたからこそ舞台やミュージカルの世界に接することができたり、ダンスを習ったりできた訳で、だからこそ「もし、最初からダンスの方を目指す事が出来ていたら?」と思ってしまう気持ちは分からないでもなかったり。
でもそもそも彼の場合、フィギュアに出会えた事自体が奇跡に近いんですよね。
田舎のコドモだった私は、サンピア倉敷が出来るまで、フィギュアスケートが「習える」もんだなんて想像だにしなかったです。
…という訳で、そんな大切な倉敷のスケートの拠点・サンピア倉敷についても動きがあった模様です。
倉敷・スケート場存続問題:市長、県連盟による臨時営業許可を要請へ /岡山
市長、本当に東京まで行ってくれたんですね。いや、疑ってた訳じゃないけど、なんか忙しそうだったので。スケート連盟の橋本会長との会談の記事からしても、存続にかなり前向きな姿勢を見せてくれているのが有り難い限りです。
この記事を見る限りでは「ウェルサンピア倉敷」という施設自体の先行きは未だ不透明なままのようですが、そんな中でもスケートリンクだけは使えるようにと動いて下さっているみたいですね。感謝しつつ、この先良い方向に進展することを祈ります。
***
拍手コメントへのお返事
■8月26日4時頃
お返事が遅くなってすみません。
番組としてこれで大丈夫なのか?という心配を余所に、茶化さず真剣に答えてくれましたね。>SMAP
モチベーションに関する質問は確かに、「ボクらの時代」では、表現の要素を持ちながら、あくまで基本はスポーツであり、勝負の世界であるフィギュアスケートと、純粋な表現の場である舞台芸能との違いを意識していたと思うので、そういう意味での興味もあったのかも知れないですね。
…というネタから始まって、未だにだらだらと「うたばん」の大ちゃんの話。
「生まれ変わったら、(フィギュアスケーターではなく)ダンサーになりたい」発言で、2006年のFOIを思い出しました。初めて生で見たフィギュアスケート。初めて生で見た大ちゃんの演技。そして初披露だったEX版「ロクサーヌ」の衝撃。
この人はきっとスケートじゃなくても、ダンスでもなんでも、とにかく身体を使ったパフォーマンスであれば世に出られる才能の持ち主なんじゃないのかと思ったものです(身体の硬さえクリアできれば…)。
しかし同時に、彼の生まれ育った環境からするに、フィギュアスケート以外のルートで「踊る」こととの接点を持つのは限りなく不可能に近かったような気もします。
大阪や神戸では子供向けのダンススクールが結構流行ってるみたいですが、地元でそんな小洒落た習い事に通ってる子なんて見た事ないし。
そうして見ると、結構生まれ育った場所の「地の利」の差ってバカにできないと思ってしまった。私みたいに腰が重い人間だと、学校出てから「夢を叶えるために」思い切って都会へ出て来るのに10年かかってしまいます(それ以前に「岡山では夢を叶えるのはどうも無理っぽい」という事に気づくのに10年かかってる)。根性と才能さえあれば乗り越えられる差…なのかも知れないけど、やっぱり最初から都会で生活していると、スタートラインの段階では有利だなと思います。
大ちゃんに話を戻すと、彼はフィギュアをやってたからこそ舞台やミュージカルの世界に接することができたり、ダンスを習ったりできた訳で、だからこそ「もし、最初からダンスの方を目指す事が出来ていたら?」と思ってしまう気持ちは分からないでもなかったり。
でもそもそも彼の場合、フィギュアに出会えた事自体が奇跡に近いんですよね。
田舎のコドモだった私は、サンピア倉敷が出来るまで、フィギュアスケートが「習える」もんだなんて想像だにしなかったです。
…という訳で、そんな大切な倉敷のスケートの拠点・サンピア倉敷についても動きがあった模様です。
倉敷・スケート場存続問題:市長、県連盟による臨時営業許可を要請へ /岡山
市長、本当に東京まで行ってくれたんですね。いや、疑ってた訳じゃないけど、なんか忙しそうだったので。スケート連盟の橋本会長との会談の記事からしても、存続にかなり前向きな姿勢を見せてくれているのが有り難い限りです。
この記事を見る限りでは「ウェルサンピア倉敷」という施設自体の先行きは未だ不透明なままのようですが、そんな中でもスケートリンクだけは使えるようにと動いて下さっているみたいですね。感謝しつつ、この先良い方向に進展することを祈ります。
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拍手コメントへのお返事
■8月26日4時頃
お返事が遅くなってすみません。
番組としてこれで大丈夫なのか?という心配を余所に、茶化さず真剣に答えてくれましたね。>SMAP
モチベーションに関する質問は確かに、「ボクらの時代」では、表現の要素を持ちながら、あくまで基本はスポーツであり、勝負の世界であるフィギュアスケートと、純粋な表現の場である舞台芸能との違いを意識していたと思うので、そういう意味での興味もあったのかも知れないですね。
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