ウロコのつぶやき

昭和生まれの深海魚が海の底からお送りします。

アイスガールズ2007

2007-08-16 21:28:18 | 日記
聞く所によると、TBSはフィギュアブームが来る直前に絶妙なタイミングで放映権を手放してしまったのだそうで(言われてみれば確かに、放映を見た記憶が殆どない)。
そんなTBSが、シンクロナイズドスケーティングをベースに、番組の企画として競技会を立ち上げてしまったみたいです。
タイミングを外したけど今からでもブームに乗りたいし、他局が手を着けていない&「ウォーターボーイズ」とかで成功したノウハウを流用できそうなシンクロナイズドスケーティングを…と思ったのかどうかは分かりませんが、目の付けどころとしては悪くないんじゃないでしょうか。

番組の内容が、半分以上ドキュメンタリーで占められてたことや、そのドキュメンタリーがお涙頂戴路線で演出されてることは、見る前から予想が付いてたのでまあいいです(6チームしかないから、そうでもしないと間が持たないだろうし)。
シングルやなんかの放送ではその存在を呪うしかない天井付近からのカメラも、シンクロだったら団体競技ならではのフォーメーションをばっちり映せて便利です。
でもどうせなら、公式競技と同じルールでやった方が良かったんじゃないかなと。この番組のために作ったプログラムを、そのまま試合で使えないのは不便じゃないですか?それに公式競技では認められている男子選手が閉め出されてるのも気の毒だし。
勝ち抜け対戦方式みたいな採点は、2位以下の順位を明確にしないためなのかも知れませんが、ずっとリンクサイドで待たされて寒そうにしていた東京女子体育大学の選手たちが可哀想でした。女の子の身体を冷やしてはいけません。
来年以降もこの試みが続くなら応援したいなとも思いますが、以上の点は改めて欲しい所です。

…とかいいながら、岡山チームのおばあちゃんが、演技終了後に有川先生と抱き合ってるのを見て、不覚にも貰い泣きしてしまいました。
あのおばあちゃん、去年岡山国際のリンクに滑りに行った時(過去記事参照)、お見かけしてたんですよね。本格的なスピンをやってたので、長いことやってる人なのかなとは思ったんですが、まさかシンクロのメンバーに入ってるとは思いませんでした。
人間、ある程度年を取れば、新しいことを覚えるよりも過去の蓄積で何とかしようとするものです。還暦も過ぎたとなれば尚更です。ああいう、挑戦し続ける人生を送れる人が一体どれくらいいるんだろうかと、真剣に考えてしまいました。
ああいう方を見ていると、自分だってまだまだこれからだー!と思えますよね。
「岡山でシンクロのチームを作るらしいよー」と風のうわさに聞いたのは、確か今年のお正月ごろだったと思います。それからわずか半年かそこらでここまで来るのは、並大抵のことではなかったと思います。
有川先生も選手の皆さんも、本当にお疲れさまでした。

ところで、ナレーションで衝撃的なことをさらっと言われたような気がしたんですが。
岡山国際スケートリンクが、日本最古のリンクっていうのはホントのことなんですか?
いや、確かに相当年季の入った建物ではありますが。

***

追記:衣装についての雑談
今回2チーム程着物をアレンジしたコスチュームのチームがありましたが。それ以外でもちょくちょく着物風衣装というのを目にしますが、どうもフィギュアの衣装と日本の着物は相性が悪い気がします。
逆に、チャイナドレス風の衣装にはハズレがないような気も。
多分、着物が平面裁断で、チャイナは立体裁断だからだと思うんですが。どうでしょう。

あと、最後の神宮チームのスカート部の下からチラチラ見えるガーターが何ともセクシーでした。あれ、シングルでやる人いませんかね。

『敵は海賊・正義の眼』神林長平

2007-08-13 23:21:28 | 読書感想文

「敵は海賊」10年ぶりの新刊!…と言われても、正直そんなに待たされたような実感はないです。「A級の敵」ってそんなに前の話でしたっけ。
ともかく、例によってこの記事は激しくネタバレしています。ご注意下さい。

質・量ともにずっしりヘビーな「膚の下」を読んだ後では、いかにも軽い読み応え。思えば「膚の下」って(あれだけの長編なのにも関わらず)ほとんど遊びの部分がなかったですもんねー。
これが敵海だと、アプロとラテルのアホ会話で息抜き出来ます。「A級の敵」に引き続き、セレスタンとラクエシュも登場。アホな会話、更に増量。

でも正直、敵海もそろそろ潮時なのかな、と思わないでもなかったです。今回、ラテルとアプロとラジェンドラがあんまり動いていない。セレスタンとラクエシュで間を持たせているような感じがする上、捜査の場面の大部分はメカルーク市警のネルバルとサティが担当している。
この二人がまた、叩き上げのベテランとエリートな新人っていう刑事モノの王道コンビなんですよね。なので、ラテルたちが出て来ない場面は、まるで普通の刑事モノを読んでるような感じでした。

そしてやっぱり今回も、話のカギを握るのはヨウメイ…ともう一人。物語の核となる『現象』の中心にいるゲラン・モーチャイのポジションは、「不敵な休暇」の“スフィンクス”アセルテジオ・モンタークを思い出させます。
ただ、その生まれ持った特殊能力で自分からヨウメイに立ち向かい、ヨウメイを騒ぎの中に巻き込んで結構いい所まで追い詰めたアセルテジオに比べると、結局はヨウメイの手の中で踊らされていただけのモーチャイは小物っぽく感じます。

***

それでも面白かった、と思うのは、この話が個人的にすごく興味深いテーマを扱ってたからかも知れません。
「正義」って、質の悪いものだと思います。
何故ならば、正義というものは、「悪」を攻撃することによってしか証明できないものだから。
本来、他者を攻撃することはそれ自体「悪」のはずなんですが、攻撃する対象を「悪」だと決めつけてしまえば、その攻撃は(例えどんなにえげつなくても)本人の中では「正義」に変換され、美化される。当然罪悪感も感じない。
余談ですが、ワイドショー的なバッシングとかブログの炎上とかってのも、こういう、何か落ち度のある対象を「悪」として叩くことで、相対的に自分が「正義」であることを確認したいっていう心理が働いているような気がします。やってる方は気持ちが良いんだろうな。しかし同時に、そんな形でしか自己を正当化できないのは人間としてみじめな気がする。まともなプライドがある人間は、そこに気づいた時点でそこから離れるんでしょうけど。

自分の行動を正当化し、社会に対して「正義である」と認めさせることが出来るという、類い稀なカリスマ性の持ち主であるゲラン・モーチャイが、他方で極めて幼児性の強い、未成熟な人間として描かれているのも、決して偶然ではないと思います。

一方でヨウメイが(あのヨウメイをもってしてさえ)、そんなモーチャイの性根を叩き直すのは「無理」って言ってるんだから、ある意味それが最も恐ろしい事実かも、と思ってしまいました。

***

でも一番驚いたのは、最後のオチでヨウメイがリジー・レジナ(デイジー・リジー)にラブレターを送ったこと。
…流石にこれは予想だにしなかった…ヨウメイの女性遍歴もどんどんハイパー化しているような気がしますが、彼の現在の理想の女性って、自分と同じレベルで思考して、自分と同じステージでゲームの相手になってくれる(戦ってくれる)相手だったのか…。
そりゃまあ、ラテルはゲームの前にゲーム盤をぶっ壊すようなタイプだし、アプロは…アプロって、ある意味唯一ヨウメイを上から見下ろす視点を持ってるのかも知れませんね。捕食者が被食者を見る視点ですけど。
面白かったです。ラヴ。

敵は海賊・正義の眼

「敵海」シリーズはそれぞれ独立した話なので、単品でも十分お楽しみ頂けるのですが、今回は結構過去のネタがちょこちょこ出て来ましたねー…。
狐と踊れ
神林さんのデビュー作を含む短編集。「敵は海賊」の第一作目も収録されてます。「正義の眼」にも登場するアモルマトレイ市が、ここで既に登場しているのにオドロキ。
敵は海賊・海賊版 (ハヤカワ文庫 JA 178)
長編としての第1作。ヨウメイの最初の女(?)シャルファフィン・シャルファフィア登場。
敵は海賊・猫たちの饗宴 (ハヤカワ文庫JA)
マーシャ・M・マクレガー登場。マクミラン社のベスタ・シカゴも頑張ってます。天野喜孝氏が挿絵を手がけているのもポイント高し。唯一、アニメ化もされてます。
敵は海賊・海賊たちの憂鬱 (ハヤカワ文庫JA)
火星の暗黒街・サベイジを舞台にした話。「猫たちの響宴」に出て来たペトロア軍曹がチョイ役で登場。
敵は海賊・不敵な休暇
これが件の、アセルテジオの出る話。ドク・サンディも多分初登場。「正義の眼」ではマクミラン社が襲撃を受けてますが、あの会社の呑気なカタギOLだったメイヤン嬢は無事だったんだろうか。
敵は海賊・海賊課の一日 (ハヤカワ文庫JA)
ラテルの過去が明らかになった話。パメラ・ツェルニーとのお付き合いもここから始まったけど、あんまり進展してなさそうだ。「海賊版」に登場した異星系の魔女バスライが再登場。セレスタンも何気にチョイ役で出て来る。エクサスとラクエシュも、名前だけはここで既に出てるんだな。
敵は海賊・A級の敵
セレスタンとラクエシュがここから本格参戦。ヨウメイの第二の女(?)マーゴ・ジュティ登場。

こうして過去を見返して気づいたこと。今回、ラック・ジュビリーが出て来てない。影も形も。あとヨウメイがサベイジに行かないので、バー「軍神」もオールド・カルマも出て来ないんですね。ちょっと寂しい。


夏のイベント消化中

2007-08-10 10:37:35 | 日記
何とか一区切り付きました。こう見えても色々あるんですよ。

***

最近気づいたこと。
人はさまざまな幻想に捕われているものですが、そしてまた幻想は、その人の目から本質を見えなくさせてしまうものではありますが。
最終的に現実になるのは、本質であって幻想ではない。本質が見えていれば、それはいずれ現象となって現れるし、幻想に捕われていれば現実に裏切られる。
言葉で幻想を語るのは(意図的なものにせよ無意識的なものにせよ)簡単だけど、ちゃんと本質を見極めて語らないと、現実の前に打ち砕かれるぞと。
現実の前には言葉なんて無力。本質を捉えている時にだけ、言葉はその力を発揮できる…と、言ってみればこれも自戒です。

…舌の根も乾かないうちに。

名古屋であった「THE ICE」の映像が出てますね。

インタビュー
http://www.youtube.com/watch?v=vuTkXGmLOss
「気持ち悪い」って自分でいうな(笑)。そこが彼らしい所ではありますけど。
でも実際、気持ち悪さがツボにハマるとクセになるんですよね。中々狙ってできることではないと思うんですが、それで成功している(少なくとも私に対しては確実に)のは流石です。

…という訳で。
THE ICEのバチェラレット
http://www.youtube.com/watch?v=lRPkn7n0z50
どこがどうとは言えないんですが、何となくDOIよりこっちの方が気に入ってヒマがあれば見てます。
大ちゃんは、いつも(競技用のプログラムさえも)その時々の自分の感覚に合わせて演じているということなので、多分これからもその都度演技の雰囲気は変わって行くのだと思います。
前にも書いたけど、完成度とかそういうことではないと思います。
ライブな現実というのは常に変化している、そういうことなんじゃないのかと。

なんていうか、からみつく。
独特の生々しいヴォーカルが。視線が。そしてあの身体の動きが。
ねっとりとからみついて来るような気がします。…ていうか、からみつかれたい(←ビョーキ)。

***

そういう訳で、FOIに行って来ます。久しぶりにライブで大ちゃんの表現が体験できる♪♪
今回一番の課題は防寒対策です。実は今回、初めての氷上席なんですよ…(後ろの方だけど)。
我ながら、内部冷却装置でも搭載してんのかと思うほどの寒がりな私が、何を血迷ったか氷上席。気合いを入れて厚着せねば。
18日の昼公演に行きます。19日に仕事が入ったので、そこしか無理だったのです(夜公演観ると日帰りできない…)。

『膚(はだえ)の下』神林長平

2007-08-06 00:56:48 | 読書感想文

※この記事は激しくネタバレです。まだお読みになっていない方は読まないで下さい。

久しぶりに神林さんの長編新作を読みました。
今は作家買いする人がどんどん減っているので、真剣に本を読んだ事自体久々なような。
内容・分量共にずっしりと読み応えのある作品に満腹しております(といいつつ『敵海』新作にももうかかってますが)。

***

火星三部作完結編にして、時間軸的には最初の作品。
思い出すのは、『あなたの魂に安らぎあれ』のラストシーン。主人公たちが火星だと思っていた場所は実は地球。火星に避難していた同胞たちが帰って来るのと同時に、地表を闊歩していたアンドロイドたちが一斉に動物へと姿を変える印象的なあの場面。
あの場面へと繋がる『世界』を作り上げた創造の神エンズビルの、これは物語。

人間の手によって人工的に創り出された生命体である人工兵士(アートルーパー)が、やがて創造主となるまでの物語。

主人公は繰り返し自問する。
人工的に作られたものであっても、生命は同じもののはず。膚の下を流れる血は同じものなのに、何故自分は人間と同じに扱って貰えないのかと。
様々な事件と出会いを経て、彼が見出そうとしたもの、それは『生命』というものの本質だったかと思います。

生命は決して静止しない。「人の形のごときのものは 万化してきわまりなし」という荘子の一節で表現されているように、姿形は変化を続けても、生命そのものの本質は変わらない。人間も、人工兵士も、犬もカラスも。

***

とまあごくごく大雑把に言えばそんな感じですが、実際はそんな簡単な言葉で語れるような単純なものではありません。
マ・シャンエ・ウーの怖さとか萬羽の嫌らしさとか、サンクの可愛さとか(もうね、「ワフ」っていうあの鳴き方がたまりません。大きい犬が、吼えるんじゃなくて犬なりに小声で主人に返事してるあの感じが読んでて可愛くて仕方ない)その他色々。

でも改めて読んでみるとつくづく、神林さんは「言葉」の人だなあと思います。この人はまるで、世界の全てを言葉によって緻密に解体し、分析し、再構築して具現化しているように思えます。
実加の台詞、「私があなたの日記を読んでやる。だからあなたは寂しくないよ」という言葉はその典型ですね。主人公と実加は、250年の後に日記を通して再会する。言葉は時間を超える。例え生身で会うことは二度となくても、残された言葉を読むことで出会えることを、彼ら二人は信じていた。
(この二人の関係は、純粋で切ない。実加が別の男性と結婚しても決して揺るがない関係なんだよね)

***

で、性懲りもなく大ちゃんの話になるんですが、神林さんが徹底的に言葉を用いてやろうとしていることを、大ちゃんは逆に言葉を使わないで(寧ろ言葉を排除することで)表現しているのかなとも思ってしまいました。
言葉では決して理解できない領域にまで感覚を広げ、分析する代わりに生身の感覚でもって掴みとり、それをそのままダイレクトに感覚として出力する。
彼を見ていると時間の感覚が変わるのは、「生命は静止しない」ことをまさに彼が表現しているからだという気になってしまう訳です。私が過去の映像を見てる間に、現実の彼はどんどん変化を遂げて行く。本当の彼を見るには正にライブな演技を目の前で見るしかなくて、しかもそれさえも、「見た!良かったー」とか言ってるうちにもう過去になってしまっているような、そんな感覚。
同じプログラムでも常に変化し続けていて、その全てが未完成であり、同時に全てが正解でもあるというような。
私は多分普通の人以上に「言葉」に頼って生きているので、そんな頼みの綱である「言葉」を排除した大ちゃんの表現は怖いです。そして怖いからこそ余計に怖いもの見たさでハマってしまう。
ていうかこんな全然関係ない、SF小説の感想にまで引っぱり出して来るあたり、我ながら重症だと思います。

***

膚の下 (上) (ハヤカワ文庫 JA (881))
膚の下 (下)

「膚の下」を読む前に、押さえておきたい火星三部作♪
帝王の殻
あなたの魂に安らぎあれ (ハヤカワ文庫JA)
「あな魂」読んだのはもう何年も前なんですが、あのラストシーンは印象的で、かなりはっきり覚えてました。