あ「い」→「い」じめ
青森の写真コンクールの受賞→取り消し→やっぱり受賞、、、の騒動が記憶に新しいけれども、
表現は適切ではないかもしれない、でも地震と同様、忘れたころに、いじめを苦にした自死が報じられる。
ずぅーーーーーーーーーーーーーーーーっとだ。
世代的に、起点は「葬式ごっこ」だったような気がするが、たぶんもっと昔から繰り返されてきたのだろう。
学校内だけの話じゃない、電通の、あの美人さんの自死だって、広義の意味で捉えれば、いじめみたいなものだと思う。
いじめで想起する有名人がひとり、映画が3本、テレビドラマが1本ある。
自死した漫画家・山田花子。
『完全自殺マニュアル』で彼女を知る・・・つまりそのとき、すでに彼女はこの世には居なかった。
彼女の漫画は、常に「ひとに、どう見られているか」をテーマにした内省的なものだった。
ヘタウマといったらいいのか、お世辞にも絵は上手とはいえない。
けれどもなぜかクセになり、彼女の作品を読み漁ったのである。
ただ、いま思えば、それは「彼女が自死したから」ではなかったか―。
たしかに90年代、彼女の存在を過剰に有難がり、祭り上げようとする(サブカルチャーの)風潮があったものなぁ。。。
『君の名は。』のパワーに負けてしまった感じはあるが、公開中のアニメーション『聲の形』は、障害といじめを扱った学園ドラマである。
聴覚障害を持つ同級生をいじめてしまった過去を持つ主人公が、その贖罪を抱えて生きる。
もう少し刈り込んだほうが映画としての完成度は高くなったろうが、それでも自分は『君の名は。』よりも、こっちを支持したい。
実写の世界、日本映画におけるいじめの描写は、『リリイ・シュシュのすべて』(2001)が出色。
夏休みを境に「いじめっこ」へと変貌してしまうキャラクター造形は、まさに日本的で感心した。
関係ないが。
この映画で俳優デビューを飾った市原隼人くん、主人公のナヨナヨぶりが気に入らず、それが彼の俳優人生を大きく変えたのではないのかな、、、と、ちょっと思っていたりする。
世界の映画史のなかで「最強のいじめられっこ」といえば、やはりキャリー・ホワイトだろう。
スティーブン・キングの処女作として名高い原作を、映像の魔術師デ・パルマが偏執的なカメラワークで描いた最高の復讐劇。
『キャリー』(76)に出会ったとき、自分は高校1年で、ちょうどいじめに遭っていた。
歯向かう勇気を持ち得なかった自分は、キャリーを自己投影し、クライマックスで「殺せ、キャリー! やっちまえ!!」と応援したものである。
「そこで耐えておけば…」という考えがあるのも分かる。
『ボウリング・フォー・コロンバイン』(2002)で、マット・ストーンはこんな風なことを語っている。
「―人生を、そんなに早く決める必要はない。当時のいじめっこなんて、いま、なにやっている? 大抵が保険の外交員になっているんじゃないか」
けれども『完全自殺マニュアル』を著した鶴見済は、「卒業したら、いじめられなくなる保障なんて、どこにもない」という。
どっちも正しい気がしてしまう・・・。
自分がいえることは、無理して学校行く必要はないし、家に居る時間が増えるのであれば、ぜひ『キャリー』を観てほしい、ということくらい。
きっと、快楽を得ることが出来るから。
そうそう、北乃きい目当てで観たフジテレビのドラマ『ライフ』(2007)も悪くなかった。
現代的ないじめの構図を描いていて、いつの時代も学校って恐ろしいな・・・なんて思ったっけ。
次回のしりとりは・・・
いじ「め」→「め」いど。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『低俗がどうした』
青森の写真コンクールの受賞→取り消し→やっぱり受賞、、、の騒動が記憶に新しいけれども、
表現は適切ではないかもしれない、でも地震と同様、忘れたころに、いじめを苦にした自死が報じられる。
ずぅーーーーーーーーーーーーーーーーっとだ。
世代的に、起点は「葬式ごっこ」だったような気がするが、たぶんもっと昔から繰り返されてきたのだろう。
学校内だけの話じゃない、電通の、あの美人さんの自死だって、広義の意味で捉えれば、いじめみたいなものだと思う。
いじめで想起する有名人がひとり、映画が3本、テレビドラマが1本ある。
自死した漫画家・山田花子。
『完全自殺マニュアル』で彼女を知る・・・つまりそのとき、すでに彼女はこの世には居なかった。
彼女の漫画は、常に「ひとに、どう見られているか」をテーマにした内省的なものだった。
ヘタウマといったらいいのか、お世辞にも絵は上手とはいえない。
けれどもなぜかクセになり、彼女の作品を読み漁ったのである。
ただ、いま思えば、それは「彼女が自死したから」ではなかったか―。
たしかに90年代、彼女の存在を過剰に有難がり、祭り上げようとする(サブカルチャーの)風潮があったものなぁ。。。
『君の名は。』のパワーに負けてしまった感じはあるが、公開中のアニメーション『聲の形』は、障害といじめを扱った学園ドラマである。
聴覚障害を持つ同級生をいじめてしまった過去を持つ主人公が、その贖罪を抱えて生きる。
もう少し刈り込んだほうが映画としての完成度は高くなったろうが、それでも自分は『君の名は。』よりも、こっちを支持したい。
実写の世界、日本映画におけるいじめの描写は、『リリイ・シュシュのすべて』(2001)が出色。
夏休みを境に「いじめっこ」へと変貌してしまうキャラクター造形は、まさに日本的で感心した。
関係ないが。
この映画で俳優デビューを飾った市原隼人くん、主人公のナヨナヨぶりが気に入らず、それが彼の俳優人生を大きく変えたのではないのかな、、、と、ちょっと思っていたりする。
世界の映画史のなかで「最強のいじめられっこ」といえば、やはりキャリー・ホワイトだろう。
スティーブン・キングの処女作として名高い原作を、映像の魔術師デ・パルマが偏執的なカメラワークで描いた最高の復讐劇。
『キャリー』(76)に出会ったとき、自分は高校1年で、ちょうどいじめに遭っていた。
歯向かう勇気を持ち得なかった自分は、キャリーを自己投影し、クライマックスで「殺せ、キャリー! やっちまえ!!」と応援したものである。
「そこで耐えておけば…」という考えがあるのも分かる。
『ボウリング・フォー・コロンバイン』(2002)で、マット・ストーンはこんな風なことを語っている。
「―人生を、そんなに早く決める必要はない。当時のいじめっこなんて、いま、なにやっている? 大抵が保険の外交員になっているんじゃないか」
けれども『完全自殺マニュアル』を著した鶴見済は、「卒業したら、いじめられなくなる保障なんて、どこにもない」という。
どっちも正しい気がしてしまう・・・。
自分がいえることは、無理して学校行く必要はないし、家に居る時間が増えるのであれば、ぜひ『キャリー』を観てほしい、ということくらい。
きっと、快楽を得ることが出来るから。
そうそう、北乃きい目当てで観たフジテレビのドラマ『ライフ』(2007)も悪くなかった。
現代的ないじめの構図を描いていて、いつの時代も学校って恐ろしいな・・・なんて思ったっけ。
次回のしりとりは・・・
いじ「め」→「め」いど。
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明日のコラムは・・・
『低俗がどうした』