高橋ヨシキ「リンチって、リンチの映画が嫌いなひとからすると、ずっと美大生の卒業制作みたいなことをやっているように見えるんですよ。そして実際、そうだったという。不思議な存在ですよ、かつてフェリーニはそうだったかもしれないけれど、フェリーニ亡きあと、そんなことを許されていて、なおかつ認められているというのはデヴィッド・リンチだけなんです」
カイル・マクラクラン「彼は答えには興味がありませんでした。質問こそが僕たちを僕たちにする原動力であり、質問こそが僕たちの息吹であることを理解していたからです」
デヴィッド・リンチ遺族「彼がいなくなって世界には大きな穴があいてしまいました。しかし、彼がよくいっていたように
『穴ではなくドーナツに目を向けてください』
今日は金色の太陽とどこまでも青い空が広がる美しい日です」


…………………………………………
デヴィッド・リンチという映画監督が面白いのは、彼が(かぎりなく資産家階級にちかい)中産階級の家庭で育ったお坊ちゃんだったというところ。
彼の出自を知らずに作品だけで人格を想像すれば、そーとー荒んだ幼少期、少年時代を過ごしたにちがいない、、、と思ってしまうことだろう。
ぜんぜんそんなことはなく、かなり早い時期に美術の才能が認められ美術留学も果たしている。
も、すぐに帰国。
その理由が「最もちかいマクドナルドが、信じられないくらいに遠かった」から。
かなり盛った話だと思う。
でもなんとなく、このひとならあり得ると思える。
そんなところもまた、リンチらしいのであった。
リンチはなんだってやる。
映画監督のほか、ミュージックビデオの制作、
※YOSHIKIとのツーショット

俳優もこなし、
※『フェイブルマンズ』(2022)ではジョン・フォードを演じる

ドローイングもおこなう。

どの分野でもリンチはリンチ、いつだって煙草を手放さぬ日常・製作スタイルを貫き、

死の直接的原因も喫煙だとされている。
訃報から24時間経った現在でも寂しくてどうにかなりそうだが、本人としては満足しているような気もする。
長編映画の監督作はちょうど10本、
長いキャリアとしては少ない、
しかし多作と思わせてしまうのは、他分野にまで越境して表現活動を展開していたからだろう。
自分が映画小僧を自覚し始めたころに『ツイン・ピークス』(90~2017)が発表され、WOWOW開局の目玉番組として大々的に宣伝された。
自分は父親に「月々の料金はバイト代で払うから、初期費用だけお願い!」と懇願し、(我が)高校で最も早くWOWOW視聴が可能な生徒?となる。
自分がハマるのは分かるが、日本が米国より熱狂的になったのにはさすがに驚いた。
週刊誌・月刊誌の多くが『ツイン・ピークス』を表紙に持ってくる。
レンタルビデオは阿呆のように回転が加速。
しまいには、歌舞伎町コマ劇前でローラの葬儀まで「しめやかに」おこなわれた。
これ、90年代前半という時代性がおおいに関係しているように思われる。
ヱヴァンゲリヲン、オウム真理教、神戸の震災、酒鬼薔薇事件の少し「だけ」前、ポップカルチャーがポップカルチャーとして「健全に」「消費され」ていた「ぎりぎりの時代」だった、その余裕が国民にあった、、、と結論づけることが出来るんじゃないだべか。
2017年―『ツイン・ピークス』は配信という形で完結する。
テレビ局の介入が一切ない、すべてのエピソードをリンチが監督するという最高の条件で。
にも関わらず、ファースト・セカンドシーズンより話題にならなかったのは、そもそも「ファースト・セカンド」に「異常にのめりこんだひと」「だけに」向けられていたから、、、ということのほかに、
ポップカルチャーが、健全に消費され難い世の中になったからだ―という風に自分は思うのだが、実際はどうなのだろうね。
ともあれ。
そんな、健全と、健全とはいえない時代に発表された作品を、いずれもリアルタイムで触れることが出来た環境に感謝している。
リンチが同時代のひとでよかった。
映画の扉を開いてくれたのは成龍であるし、映画をアートとして捉えさせてくれたのはスコセッシだが、
実際に脚本を書いてみようと思ったのは『ツイン・ピークス』を観たから、、、だったのだから。
しかもその処女作は「女子高生が自死するまでの7日間を描く」だぜ、まんまじゃないか!!!!!
リンチのライフワークが、自分にとっての青春―映画と実人生がリンクしていくことほど、映画小僧が喜ぶことはない。
だから自分は、幸福です。
いままでありがとうございました^^
デヴィッド・リンチ、
2025年1月15日死去、享年78歳。
合掌。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(524)』
カイル・マクラクラン「彼は答えには興味がありませんでした。質問こそが僕たちを僕たちにする原動力であり、質問こそが僕たちの息吹であることを理解していたからです」
デヴィッド・リンチ遺族「彼がいなくなって世界には大きな穴があいてしまいました。しかし、彼がよくいっていたように
『穴ではなくドーナツに目を向けてください』
今日は金色の太陽とどこまでも青い空が広がる美しい日です」


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デヴィッド・リンチという映画監督が面白いのは、彼が(かぎりなく資産家階級にちかい)中産階級の家庭で育ったお坊ちゃんだったというところ。
彼の出自を知らずに作品だけで人格を想像すれば、そーとー荒んだ幼少期、少年時代を過ごしたにちがいない、、、と思ってしまうことだろう。
ぜんぜんそんなことはなく、かなり早い時期に美術の才能が認められ美術留学も果たしている。
も、すぐに帰国。
その理由が「最もちかいマクドナルドが、信じられないくらいに遠かった」から。
かなり盛った話だと思う。
でもなんとなく、このひとならあり得ると思える。
そんなところもまた、リンチらしいのであった。
リンチはなんだってやる。
映画監督のほか、ミュージックビデオの制作、
※YOSHIKIとのツーショット

俳優もこなし、
※『フェイブルマンズ』(2022)ではジョン・フォードを演じる

ドローイングもおこなう。

どの分野でもリンチはリンチ、いつだって煙草を手放さぬ日常・製作スタイルを貫き、

死の直接的原因も喫煙だとされている。
訃報から24時間経った現在でも寂しくてどうにかなりそうだが、本人としては満足しているような気もする。
長編映画の監督作はちょうど10本、
長いキャリアとしては少ない、
しかし多作と思わせてしまうのは、他分野にまで越境して表現活動を展開していたからだろう。
自分が映画小僧を自覚し始めたころに『ツイン・ピークス』(90~2017)が発表され、WOWOW開局の目玉番組として大々的に宣伝された。
自分は父親に「月々の料金はバイト代で払うから、初期費用だけお願い!」と懇願し、(我が)高校で最も早くWOWOW視聴が可能な生徒?となる。
自分がハマるのは分かるが、日本が米国より熱狂的になったのにはさすがに驚いた。
週刊誌・月刊誌の多くが『ツイン・ピークス』を表紙に持ってくる。
レンタルビデオは阿呆のように回転が加速。
しまいには、歌舞伎町コマ劇前でローラの葬儀まで「しめやかに」おこなわれた。
これ、90年代前半という時代性がおおいに関係しているように思われる。
ヱヴァンゲリヲン、オウム真理教、神戸の震災、酒鬼薔薇事件の少し「だけ」前、ポップカルチャーがポップカルチャーとして「健全に」「消費され」ていた「ぎりぎりの時代」だった、その余裕が国民にあった、、、と結論づけることが出来るんじゃないだべか。
2017年―『ツイン・ピークス』は配信という形で完結する。
テレビ局の介入が一切ない、すべてのエピソードをリンチが監督するという最高の条件で。
にも関わらず、ファースト・セカンドシーズンより話題にならなかったのは、そもそも「ファースト・セカンド」に「異常にのめりこんだひと」「だけに」向けられていたから、、、ということのほかに、
ポップカルチャーが、健全に消費され難い世の中になったからだ―という風に自分は思うのだが、実際はどうなのだろうね。
ともあれ。
そんな、健全と、健全とはいえない時代に発表された作品を、いずれもリアルタイムで触れることが出来た環境に感謝している。
リンチが同時代のひとでよかった。
映画の扉を開いてくれたのは成龍であるし、映画をアートとして捉えさせてくれたのはスコセッシだが、
実際に脚本を書いてみようと思ったのは『ツイン・ピークス』を観たから、、、だったのだから。
しかもその処女作は「女子高生が自死するまでの7日間を描く」だぜ、まんまじゃないか!!!!!
リンチのライフワークが、自分にとっての青春―映画と実人生がリンクしていくことほど、映画小僧が喜ぶことはない。
だから自分は、幸福です。
いままでありがとうございました^^
デヴィッド・リンチ、
2025年1月15日死去、享年78歳。
合掌。
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明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(524)』