Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

ぷろ、ろーぐ

2012-09-21 00:15:00 | コラム
映画好きであればあるほど、「傑作かどうかは、冒頭で分かったりする」などというが、それはけっこう当たっている、、、と思う。

冒頭で傑作の予感がした映画でも、その後の展開によって「あれれ・・・」な出来になっちまうことはゼロではないが、駄作と化す可能性は「かぎりなくゼロにちかい」。
逆に最初からピント外れの映画は、外れまくりのままエンディングに向かうことが多い。

「その長さすべて」が映画であることを理解しつつ、それでも「冒頭で決まる」などという映画的テーゼ? を発したくなるのが、映画好きの生態なのだった。

ここでいう冒頭とは、いわゆるプロローグを指し、スタッフやキャスト名が映し出されるオープニング・クレジットとはちがう。

簡単にいえば「前置き」で、主人公を端的に表現するエピソードだったり、物語の発端となる事件が描かれたりする。

で、またまた自作シナリオの話。

今回の作品、約140分くらいのドラマを想定している―ことは記したが、プロローグが「やや」長めで20分くらいを費やしている。
警察署で展開される会話が延々と何十ページも続き、容疑者である主人公が釈放されフェイド・アウト、そのあと、やっとのことでタイトルが表示され本筋が始まる。

そのまま映像化されたとして、映画好きが「傑作の予感!」を抱いてくれるかどうかまでは分からないが、物語の性質上、どの描写もどの台詞も削れないのである。
削れない代わり、観客を飽きさせないようにと色々工夫を凝らそうとしたが、そんなことしたら余計に長くなってしまう。

どうしたものかと、プロローグの優れた傑作たちを観返す日々が続くのだった。

以下は、観返した10本の教科書たち。
勉強する・参考にするつもりで鑑賞したはずなのに、不覚にもどっぷりと浸かってしまった。

傑作とは、そういうものなのである。


(1)『ミラーズ・クロッシング』(90…トップ画像)

主要キャラクターが一同に会す。
敵対するギャングのボス、キャスパーだけがぎゃんぎゃん喚くシーンが続くが、それを聞いているのかどうなのか、主人公のトムはゆっくり酒を呑む。

耳をすませていると、静かな風の音が聞こえる。
そう、ミラーの十字路(=ミラーズ・クロッシング)に吹く風である。

つまりこの時点で、映画の主題が提示されているのだ。

(2)『ゆきゆきて、神軍』(87)

仲人を務める主人公・奥崎謙三の政治的? 祝辞で始まる、独特な披露宴が映し出される。

そのあと、奥崎の逮捕歴が大写しにされ、タイトルクレジット。

インパクトという点で、これに勝るプロローグはない。

(3)『カジノ』(95)

文末動画参照。
誰が似合うのかというピンクのスーツを着たデ・ニーロが、車のエンジンをかけた途端、宙に吹っ飛ぶ。
それに続くタイトルクレジットも含め、スコセッシ×ソール・バスの作品における最高傑作かと。

(4)『真夜中のカーボーイ』(69)

自信と希望に満ち溢れた主人公が、陽気に歌いながらシャワーを浴び、カウボーイスタイルに着替え、バスに乗る。
後半の展開と対をなす、効果的なプロローグ。

(5)『レザボア・ドッグス』(92)

若い世代のなかでは、これがいちばんか。
マドンナの巨根話に始まり、チップのあれこれで終わる。
本編とは無関係な会話が続くゆえ、かえって印象に残る技ありのプロローグ。

(6)『ユリイカ』(2000)

これは変化球として選出。
タイトルは、ずっとあと、、、というか、エンディングに至ってようやく登場。
つまりそれまでの物語すべてが、発見(=ユリイカ)であったということ。

(7)『アマデウス』(84)

語り部が自殺を図るという衝撃的な幕開けは、すべての創り手にとってのお手本であろう。

(8)『セブン』(95)

夜になっても止まぬ喧騒。
主人公の初老の刑事は「いつものこと」という風に、メトロノームのリズムに頼って眠りにつく。

舞台背景の特異さが端的に表現されており、物語の「嫌な感じ」まで想像出来るようになっている。

(9)『トレインスポッティング』(96)

イギー・ポップの軽快な音楽に乗せて、主要キャラが「名前つき」で紹介される―この冒頭をタイトルクレジットと勘違いする向きも多いが、いやいや、タイトルそのものはもうすこしあとに出てくる。

このスピーディな映像表現に乗れたひとは最後まで楽しめるし、乗れなかったひとは途中で降りる・・・のかもしれない。

(10)『マグノリア』(99)

世紀の傑作だと思うが、三つのエピソードを語るプロローグに関しては、少し丁寧に説明し過ぎている、、、ような気がする。
「こういうこともあるから、この物語も“あり”でしょう」ということだが、これがあってもなくても、物語そのものは力強さとリアリティに溢れ、充分納得出来るものなのだ。

ただ、それでも「とりあえず、やっておきたい」というポール・トーマス・アンダーソンの強い自己主張に折れてみよう、、、ということで、この作品も挙げておく。


※どうよ、これ!




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明日のコラムは・・・

『冬のほうが喰うんだけどね。都下はとくに。』

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1 コメント

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好きな映画から (夢見)
2012-09-21 15:02:55
「スペースカウボーイ」の冒頭と終わりを
フランク・シナトラの歌が効果的に使われていると思うので 「私を月へ連れて行って」竹宮恵子さんの漫画の題でもあるのですが
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