映画好きであればあるほど、「傑作かどうかは、冒頭で分かったりする」などというが、それはけっこう当たっている、、、と思う。
冒頭で傑作の予感がした映画でも、その後の展開によって「あれれ・・・」な出来になっちまうことはゼロではないが、駄作と化す可能性は「かぎりなくゼロにちかい」。
逆に最初からピント外れの映画は、外れまくりのままエンディングに向かうことが多い。
「その長さすべて」が映画であることを理解しつつ、それでも「冒頭で決まる」などという映画的テーゼ? を発したくなるのが、映画好きの生態なのだった。
ここでいう冒頭とは、いわゆるプロローグを指し、スタッフやキャスト名が映し出されるオープニング・クレジットとはちがう。
簡単にいえば「前置き」で、主人公を端的に表現するエピソードだったり、物語の発端となる事件が描かれたりする。
で、またまた自作シナリオの話。
今回の作品、約140分くらいのドラマを想定している―ことは記したが、プロローグが「やや」長めで20分くらいを費やしている。
警察署で展開される会話が延々と何十ページも続き、容疑者である主人公が釈放されフェイド・アウト、そのあと、やっとのことでタイトルが表示され本筋が始まる。
そのまま映像化されたとして、映画好きが「傑作の予感!」を抱いてくれるかどうかまでは分からないが、物語の性質上、どの描写もどの台詞も削れないのである。
削れない代わり、観客を飽きさせないようにと色々工夫を凝らそうとしたが、そんなことしたら余計に長くなってしまう。
どうしたものかと、プロローグの優れた傑作たちを観返す日々が続くのだった。
以下は、観返した10本の教科書たち。
勉強する・参考にするつもりで鑑賞したはずなのに、不覚にもどっぷりと浸かってしまった。
傑作とは、そういうものなのである。
(1)『ミラーズ・クロッシング』(90…トップ画像)
主要キャラクターが一同に会す。
敵対するギャングのボス、キャスパーだけがぎゃんぎゃん喚くシーンが続くが、それを聞いているのかどうなのか、主人公のトムはゆっくり酒を呑む。
耳をすませていると、静かな風の音が聞こえる。
そう、ミラーの十字路(=ミラーズ・クロッシング)に吹く風である。
つまりこの時点で、映画の主題が提示されているのだ。
(2)『ゆきゆきて、神軍』(87)
仲人を務める主人公・奥崎謙三の政治的? 祝辞で始まる、独特な披露宴が映し出される。
そのあと、奥崎の逮捕歴が大写しにされ、タイトルクレジット。
インパクトという点で、これに勝るプロローグはない。
(3)『カジノ』(95)
文末動画参照。
誰が似合うのかというピンクのスーツを着たデ・ニーロが、車のエンジンをかけた途端、宙に吹っ飛ぶ。
それに続くタイトルクレジットも含め、スコセッシ×ソール・バスの作品における最高傑作かと。
(4)『真夜中のカーボーイ』(69)
自信と希望に満ち溢れた主人公が、陽気に歌いながらシャワーを浴び、カウボーイスタイルに着替え、バスに乗る。
後半の展開と対をなす、効果的なプロローグ。
(5)『レザボア・ドッグス』(92)
若い世代のなかでは、これがいちばんか。
マドンナの巨根話に始まり、チップのあれこれで終わる。
本編とは無関係な会話が続くゆえ、かえって印象に残る技ありのプロローグ。
(6)『ユリイカ』(2000)
これは変化球として選出。
タイトルは、ずっとあと、、、というか、エンディングに至ってようやく登場。
つまりそれまでの物語すべてが、発見(=ユリイカ)であったということ。
(7)『アマデウス』(84)
語り部が自殺を図るという衝撃的な幕開けは、すべての創り手にとってのお手本であろう。
(8)『セブン』(95)
夜になっても止まぬ喧騒。
主人公の初老の刑事は「いつものこと」という風に、メトロノームのリズムに頼って眠りにつく。
舞台背景の特異さが端的に表現されており、物語の「嫌な感じ」まで想像出来るようになっている。
(9)『トレインスポッティング』(96)
イギー・ポップの軽快な音楽に乗せて、主要キャラが「名前つき」で紹介される―この冒頭をタイトルクレジットと勘違いする向きも多いが、いやいや、タイトルそのものはもうすこしあとに出てくる。
このスピーディな映像表現に乗れたひとは最後まで楽しめるし、乗れなかったひとは途中で降りる・・・のかもしれない。
(10)『マグノリア』(99)
世紀の傑作だと思うが、三つのエピソードを語るプロローグに関しては、少し丁寧に説明し過ぎている、、、ような気がする。
「こういうこともあるから、この物語も“あり”でしょう」ということだが、これがあってもなくても、物語そのものは力強さとリアリティに溢れ、充分納得出来るものなのだ。
ただ、それでも「とりあえず、やっておきたい」というポール・トーマス・アンダーソンの強い自己主張に折れてみよう、、、ということで、この作品も挙げておく。
※どうよ、これ!
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『冬のほうが喰うんだけどね。都下はとくに。』
冒頭で傑作の予感がした映画でも、その後の展開によって「あれれ・・・」な出来になっちまうことはゼロではないが、駄作と化す可能性は「かぎりなくゼロにちかい」。
逆に最初からピント外れの映画は、外れまくりのままエンディングに向かうことが多い。
「その長さすべて」が映画であることを理解しつつ、それでも「冒頭で決まる」などという映画的テーゼ? を発したくなるのが、映画好きの生態なのだった。
ここでいう冒頭とは、いわゆるプロローグを指し、スタッフやキャスト名が映し出されるオープニング・クレジットとはちがう。
簡単にいえば「前置き」で、主人公を端的に表現するエピソードだったり、物語の発端となる事件が描かれたりする。
で、またまた自作シナリオの話。
今回の作品、約140分くらいのドラマを想定している―ことは記したが、プロローグが「やや」長めで20分くらいを費やしている。
警察署で展開される会話が延々と何十ページも続き、容疑者である主人公が釈放されフェイド・アウト、そのあと、やっとのことでタイトルが表示され本筋が始まる。
そのまま映像化されたとして、映画好きが「傑作の予感!」を抱いてくれるかどうかまでは分からないが、物語の性質上、どの描写もどの台詞も削れないのである。
削れない代わり、観客を飽きさせないようにと色々工夫を凝らそうとしたが、そんなことしたら余計に長くなってしまう。
どうしたものかと、プロローグの優れた傑作たちを観返す日々が続くのだった。
以下は、観返した10本の教科書たち。
勉強する・参考にするつもりで鑑賞したはずなのに、不覚にもどっぷりと浸かってしまった。
傑作とは、そういうものなのである。
(1)『ミラーズ・クロッシング』(90…トップ画像)
主要キャラクターが一同に会す。
敵対するギャングのボス、キャスパーだけがぎゃんぎゃん喚くシーンが続くが、それを聞いているのかどうなのか、主人公のトムはゆっくり酒を呑む。
耳をすませていると、静かな風の音が聞こえる。
そう、ミラーの十字路(=ミラーズ・クロッシング)に吹く風である。
つまりこの時点で、映画の主題が提示されているのだ。
(2)『ゆきゆきて、神軍』(87)
仲人を務める主人公・奥崎謙三の政治的? 祝辞で始まる、独特な披露宴が映し出される。
そのあと、奥崎の逮捕歴が大写しにされ、タイトルクレジット。
インパクトという点で、これに勝るプロローグはない。
(3)『カジノ』(95)
文末動画参照。
誰が似合うのかというピンクのスーツを着たデ・ニーロが、車のエンジンをかけた途端、宙に吹っ飛ぶ。
それに続くタイトルクレジットも含め、スコセッシ×ソール・バスの作品における最高傑作かと。
(4)『真夜中のカーボーイ』(69)
自信と希望に満ち溢れた主人公が、陽気に歌いながらシャワーを浴び、カウボーイスタイルに着替え、バスに乗る。
後半の展開と対をなす、効果的なプロローグ。
(5)『レザボア・ドッグス』(92)
若い世代のなかでは、これがいちばんか。
マドンナの巨根話に始まり、チップのあれこれで終わる。
本編とは無関係な会話が続くゆえ、かえって印象に残る技ありのプロローグ。
(6)『ユリイカ』(2000)
これは変化球として選出。
タイトルは、ずっとあと、、、というか、エンディングに至ってようやく登場。
つまりそれまでの物語すべてが、発見(=ユリイカ)であったということ。
(7)『アマデウス』(84)
語り部が自殺を図るという衝撃的な幕開けは、すべての創り手にとってのお手本であろう。
(8)『セブン』(95)
夜になっても止まぬ喧騒。
主人公の初老の刑事は「いつものこと」という風に、メトロノームのリズムに頼って眠りにつく。
舞台背景の特異さが端的に表現されており、物語の「嫌な感じ」まで想像出来るようになっている。
(9)『トレインスポッティング』(96)
イギー・ポップの軽快な音楽に乗せて、主要キャラが「名前つき」で紹介される―この冒頭をタイトルクレジットと勘違いする向きも多いが、いやいや、タイトルそのものはもうすこしあとに出てくる。
このスピーディな映像表現に乗れたひとは最後まで楽しめるし、乗れなかったひとは途中で降りる・・・のかもしれない。
(10)『マグノリア』(99)
世紀の傑作だと思うが、三つのエピソードを語るプロローグに関しては、少し丁寧に説明し過ぎている、、、ような気がする。
「こういうこともあるから、この物語も“あり”でしょう」ということだが、これがあってもなくても、物語そのものは力強さとリアリティに溢れ、充分納得出来るものなのだ。
ただ、それでも「とりあえず、やっておきたい」というポール・トーマス・アンダーソンの強い自己主張に折れてみよう、、、ということで、この作品も挙げておく。
※どうよ、これ!
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明日のコラムは・・・
『冬のほうが喰うんだけどね。都下はとくに。』
フランク・シナトラの歌が効果的に使われていると思うので 「私を月へ連れて行って」竹宮恵子さんの漫画の題でもあるのですが