2005年4月10日(日)
#267 バルネ・ウィラン「FRENCH STORY」(Alfa ALCR-7)
いまは亡きフランス人サックス奏者バルネ・ウィラン、1990年のアルバム。オランダ録音。
バルネといえば、50年代にマイルス・デイヴィスやアート・ブレイキーらアメリカのトップジャズメンと共演、はたちそこそこで一躍時代の寵児となった男。
70年代には音楽活動をほとんど休止していたが、80年代に主流派ジャズの人気復活とともにカムバック。
以来、96年に59歳の若さで亡くなるまで、第二の黄金時代ともいうべき活躍を見せている。
筆者も、日本のレーベル「アルファ」制作によるこの一枚がきっかけで、彼の音楽に興味を持つようになり、しばらくは新作が出る度にチェックしていた記憶がある。
ステージも、一度だけ観に行ったことがある。バブルまだまだ華やかなりし頃(91年くらいか)、東京にもいくつか本場のジャズマンが出演する、ゴージャスなジャズクラブが出来たが、そのひとつ、原宿の「キーストン・コーナー」に彼が出演したのである。
MCの紹介とともに、バルネがステージにおもむろに登場した時、筆者は思わず心の中で、こう叫んだものだ。
「ものすごく雰囲気がある人だな。まるで俳優のようだ」
20代の頃のバルネは背ばかり高く、ガリガリに痩せていて、なんだか食い詰めた大学の助手みたいだった。存在感などまるでなかった。
しかし中年となり、適当に押し出しもよくなって来たこともあり、しぶとさ、したたかさを感じさせるような容姿になっていた。若い頃より、断然魅力的になったのである。
ほとんど語らず、ボソボソと曲名だけをアナウンスするさま、それも実にキマっていた。
残念ながら、生のバルネを観たのは後にも先にもその一回きりになってしまったが、その男伊達ぶりは、しっかりと筆者のまぶたに焼き付けられたのである。
さて、この一枚、ジャズCDとしては異例の好セールスを記録、まさに日本にバルネ・ブームをもたらした切っ掛けとなったわけだが、今聴いてみても実に見事な出来ばえだ。
タイトル(邦題は「ふらんす物語」)が示すように、おもにフランス映画で流れたジャズ系のナンバーを中心に選曲してある。
トップの「男と女」はもちろん、クロード・ルルーシュ監督作品の主題歌。フランシス・レイのペンによる名曲だ。
オリジナルのインストやピエール・バルーによる歌ヴァージョンも素晴らしいが、このバルネ版も最高の雰囲気。
バルネのテナーが、抑え目のトーンでおなじみのテーマを吹き出すや、そこはもうフレンチ・シネマの世界だ。
ワン・フレーズで、これだけリスナーを惹き付けるとは、まさに天才の業だな。
また、バルネと同じくらい、いい仕事をしているのが、ピアノのマル・ウォルドロン。
この人のやや控え目というか、沈んだ調子のトーンが何ともいい。
「オレがオレが」的に前に出まくるピアノではなく、あくまでもコンボ全体のアンサンブルを重視した演奏、さすが稀代の職人ピアニストである。
続く「死刑台のエレベーター」は、ルイ・マル監督の出世作であり、またバルネ自身の名前を全世界に知らしめることとなった同題映画のテーマ曲。
バルネはここでは、テナーをソプラノ・サックスに持ち替えて、オリジナルではマイルス・デイヴィスのトランペットによって奏でられた主題を吹く。
その気だるく、物憂いトーンは、ブルースそのものだ。
再びテナーに戻って演奏するのは「シェルブールの雨傘」。フレンチ・ジャズ界を代表する作曲家、アレンジャーにしてピアニスト、ミシェル・ルグランの作品。ジャック・ドゥミ監督による映画の主題曲だ。
スタッフォード・ジェイムズのベース・ソロにいざなわれて、バルネのテナーがおなじみの主題を紡ぎ出す。2コーラス目からは、自由闊達なインプロヴィゼーションを展開。
後を継いで、マルのピアノ・ソロが始まる。淡々と、訥々と、しかし一音一音に想いを込めるようなフレーズが続く。テクニックで唸らせるようなタイプのプレイじゃないが、これぞマル節という感じ。味わいが深いのだ。
再びベースがソロ、そしてベースとエディ・ムーアのドラムの応酬をへて、バルネの吹くテーマに戻る。
その演奏は力んだところのない、リラックスしたものだが、中身は濃い。
彼の30年以上にわたる音楽体験のすべてが、そこに凝縮されている。やはり、若造にはとても出せない、円熟した境地なのだ。
「危険な関係のブルース」は、これまたバルネの十八番。ロジェ・ヴァディム監督による同題映画のテーマ。
アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズとの共演以来、彼の代名詞的ナンバーとなった。デューク・ジョーダンの作品。別題「ノー・プロブレム」。
のっけから早いテンポでゴリゴリと吹きまくるバルネ。バックの三人も、高いテンションでバッキングをつとめている。
「黒いオルフェ」はマルセル・カミュ監督、フランス・ブラジル合作映画。リオ・デ・ジャネイロのカーニヴァルを描いた作品。その主題曲であるこれは、アントニオ・カルロス・ジョビンのペンによるもの。
50年代末に、ボサノヴァ文化を世界中に知らしめる契機ともなったナンバーだ。
ここでは、10分半にも及ぶ長尺の演奏を繰り広げている。バルネはソプラノ。そのソロ、そしてマルのソロも、十二分に堪能出来る。
「殺られるのテーマ」は、エドゥアール・モリナロ監督によるフィルム・ノワールの主題曲。
これもまたジャズ・メッセンジャーズがサントラを担当。この時代は本当に、フランス映画とジャズの関係は密接だったのだ。
作曲はブレイキー、そしてベニー・ゴルスン。ルースなテンポのブルースで、テナーのフレージングがなんともクール。
場末のジャズクラブのアフターアワーズ・セッションをほうふつとさせるものがある。これがカッコいいと感じられないようでは、音楽を聴いて来た意味がないってもんだ。
「オータム・リーブス」、つまり「枯葉」はジャック・プレヴェール=ジョゼフ・コスマの作品。45年に書かれ、翌年、映画「夜の門」の中で、イヴ・モンタンが歌いヒットした。
だが、この曲はシャンソンという枠を超えて、もはやジャズ・スタンダードの最重要曲に位置しているナンバーといえるだろう。
マイルス&キャノンボール、ビル・エヴァンス、サラ・ヴォーンなど、ジャズ史上名演の多い曲であるが、バルネ版ももちろんいい。ジャズとシャンソン、その両方に通暁した男ならではのプレイといいますか。
ここでバルネは、無伴奏のヴァースからじっくりと歌い込むようにプレイしていく。
次第にテンポを上げ、白熱化していく演奏。バルネからソロを渡されたマルも、彼なりのスタイルで、リラックスしたフレージングを聴かせてくれる。
エヴァンスあたりとはまた違った、枯れた味わいのあるソロである。
ラストの「クワイエット・テンプル」はアルバムでは唯一の、マル・ウォルドロンのオリジナル。
どことなく、かの名曲「レフト・アローン」にも通じるもののある、スロー・バラード。
物憂い雰囲気のメロディが、いかにもマルらしい。
バルネは、孤独、寂寥感といったこの曲のエッセンスを見事に捉え、至高の演奏を聴かせてくれる。もちろん、マルの演奏の素晴らしさは、いうまでもない。
そのフレージングの絶妙さ加減といったら、とても言葉では表し難いものがあるな。ここはもう、聴いていただくしかない。
フランス映画音楽のカヴァーという、当アルバム自体のコンセプトからいえば、この曲だけ異質な存在ではあるのだが、アルバムの締めくくりとしては、これ以上ふさわしい曲はない、そう思う。
ジャズの歴史という観点からいえば、このアルバムはジャズという音楽が急激な発展・進化をいったん終えてしまい、オーソドックスな「型」に戻ってからの作品、つまり「歴史の終焉」後に作られたものであるから、何かモニュメント的な価値があるわけではない。
いってみれば、芸術作品というよりは職人の手により数多く生産された「製品」のひとつ、といった位置付けをすべきなのだろう。
しかし、そうであろうがなかろうが、この一枚に収められた演奏が素晴らしいことに変わりはない。
10年たとうが、15年たとうが、聴く度にその味わいはいよいよ深まっていく、上質のウイスキーを思わせる一枚。筆者はこれを愛してやまないのである。
<独断評価>★★★★