NEST OF BLUESMANIA

ミュージシャンMACが書く音楽ブログ「NEST OF BLUESMANIA」です。

音盤日誌「一日一枚」#275 V.A.「BLUE INSTRUMENTALISTS:GUITAR」(EMI/BLUE NOTE 7243 5 398991 2 5)

2022-08-16 05:00:00 | Weblog

2005年7月24日(日)



#275 V.A.「BLUE INSTRUMENTALISTS:GUITAR」(EMI/BLUE NOTE 7243 5 398991 2 5)

ブルーノートのコンピレーション盤。レーベルが保有する膨大な音源の中から、テーマにそって曲をセレクトした、「ブルー~」を冠するシリーズのうちの一枚。

筆者もBNのコンピ・シリーズは好きで、よく週末のBGMとして流している。

ブルーノートだけにハイ・クォリティの演奏なれど、へんに重たくなく、さらりと聴ける曲が揃っているのがいい。

この一枚では、グラント・グリーン、ケニー・バレルといったブルーノートの看板ギタリストを中心に、タル・ファーロウ、ケヴィン・ユーバンクス、パット・マルティーノ、スタンリー・ジョーダン、ジョン・スコフィールドら新旧の名手が一堂に集合している。非常にお買い得である。

メインのグリーン、バレルはもちろん、王者の風格を感じさせる、正統派の演奏を聴かせてくれるのだが、他にもちょっと面白い、ちょっとおいしいトラックがいくつかある。

そのひとつが、黒人ギタリスト、ケヴィン・ユーバンクスの「マーシー・マーシー・マーシー」。

おなじみ、ジョー・ザヴィヌルのペンによる、ジュリアン・キャノンボール・アダレイのヒット曲。96年のライヴ録音。

このファンキーな一曲を、ピアノ・トリオをバックにホーン抜きで演奏しているにだが、意外にイケるんである、これが。

ルースなビートにのっかった、パーカッシヴで、ちょっとレイジーなギターがいい。

テクをひけらかすといった感じではまるでなく、とにかく自ら曲のグルーヴを楽しんでいるケヴィン。

スローで、おまけに音量も控えめ。こういうダルダルのテンションでも、聴衆をしっかりとひきつけられるんだなぁと、目からウロコ状態の筆者でありました。

白人ギタリスト、パット・マルティーノの「オール・ブルース」もいい。2001年のライヴ録音。

これまた有名なマイルス・デイヴィスの作品のカヴァーなのだが、原曲同様ゆったりしたビートに乗って展開される、モノローグめいたソロがまたカッコええ。

これぞクール・スタイルやね。

抑えめのパットのプレイを陰で支えているのが、オルガンのジョーイ・デフランチェスコ。パットとは対照的にホットでアグレッシヴな音がこれまたいい。

もう一曲、おすすめを挙げておこう。ジョン・スコフィールドの「ファット・リップ」。90年のスタジオ録音。

一応ジョン・スコ氏のオリジナルということになっているけど、一聴して明らかにわかるのは、ミーターズあたりのニューオーリンズ系ジャム・バンドの影響。そのリフといい、リズムといい、かなり近いものがある。

いってみれば、ジョン・スコ版「シシィ・ストラット」。テンポはこっちのほうがうんと速いけどね。4分たらずと尺は短いが、熱く、凝縮された演奏だ。

他にもバカテク・ギタリスト、スタンリー・ジョーダンの弾く「カズン・メアリー」やら、めずらしやマンボ・スタイルによるロニー・ジョーダンの「マンボ・イン」やら、いろいろあるが、あんまり好みの音じゃないんで、説明は割愛させていただく。

同様にメインストリーム派についても、オリジナル・アルバムで触れる機会もまたあるだろうから、省略。

とにかく一枚を通して聴いて感じることは、ギターほど弾き手によって、演奏スタイルが種々多様に分かれてくる楽器はそうないってこと。まさしく、百花繚乱状態。

まさにそれこそが、ギター・ミュージックの醍醐味といえそうだね。

<独断評価>★★★


音盤日誌「一日一枚」#274 憂歌団「PURE BEST」(FOR LIFE FLCF-3889)

2022-08-15 06:07:00 | Weblog

2005年6月12日(日)



#274 憂歌団「PURE BEST」(FOR LIFE FLCF-3889)

憂歌団、フォーライフ時代のベスト/アルバム。2001年リリース。83年から96 年に至るまでの、全17曲を収録。

フォーライフ時代の彼らは、その前のショーボート時代に比べると、試行錯誤の連続だったという気がする。

アレンジャーを迎えての、サウンド作り。従来のアコーティスティックだけでなく、エレクトリック・ギターも導入、よりポップでアップ・トゥ・デイトな音作りにも挑戦したのだが、どうもそれが成功したという印象はない。

やはり、憂歌団はあの4人が演奏するサウンドだから憂歌団なのであって、大仰なオーケストレーションを加えた憂歌団など、別のバンドとしか思えないのだ。

筆者のこの私見は、一曲目の「大阪ビッグ・リバー・ブルース」を聞けば、たちまちおわかりいただけると思う。

フルオケ・サウンドに乗った、木村充揮のやたら抑えめの歌声には、どこにも憂歌団本来の、獣的なまでの魅力はない。これを「洗練」というのかもしれないが、みょうにオカマっぽいこの歌声に、誰がひかれるというのだろう。

その思いは、次の「胸が痛い」でさらに強まる。

やたら切々と歌い上げるバラードなんだが、ピアノやエレクトリック・ギターをフィーチャーした、あまりにオーソドックスなスタイルのサウンド。なんか、聴いているこっちの胸のほうが痛くなりそう。「違う、違う、おれたちの求めている憂歌団はこんなんじゃない!」と叫んでしまいそうだ。

三曲目の「ザ・エン歌」で少し、口直し。シアターアプルでのライブ盤でも歌われていたこの曲は、憂歌団らしいアコギ・スタイルで、ホッとする。

だが、次でまたもガッカリ。「かぞえきれない雨」なんて、まるで稲垣潤一の曲のようだ。せっかくの木村の熱唱も、こんなハンパにコンテンポラリーなサウンドがバックでは、台無しというもんだ。

「わかれのうた」は、仲間でもあり、ある意味ライバルでもある上田正樹を意識したようなバラード。やはりバックはAORふう。こういうソフィスティケートされた音と、木村の天然素材なダミ声とは、どうも合わないような気がする。

正直言って、和田アキ子の亜流みたいな歌声に聴こえるのだよ。

「GOOD TIME'S ROLLIN', BAD TIME'S ROLLIN'」は、これまたテンダーな歌い方なのだが、比較的音数を抑えたシンプルな音作りをしているので、バックのオケもさほど気にならない。

ただ、もし憂歌団を聴いたことがない若いリスナーがこれを聴いたら、まったく魅力を感じることはないだろうな。あまりにキック不足な音なのだ。

続く「キスに願いを」も迫力不足の甘ったるいロッカ・バラード。

そんな感じがしばらく続き、聴き手としては、フラストレーションがたまる一方。

「嘘は罪」はアルバム「リラックス・デラックス」収録のナンバーで、筆者もリリース当時から愛聴していたものだが、こういうミニマムなバンド・サウンドはやはりいい。たとえ、木村がソフトな歌い方をしていても、しっくりくるんだわ。

それは一曲おいた「渚のボード・ウオーク」についてもいえるな。

11曲目以降は、例のシアターアプル・ライブ「ザ・ベスト・オブ・憂歌団ライブ」、そして「憂歌団/ライヴ'89~ビッグ・タウン・ツアー」から6曲。「Midnight Drinker」「シカゴ・バウンド」「おそうじオバチャン」「嫌んなった」「Stealin'」そして「君といつまでも」。

いやー、ここでようやく筆者の不満もふっとんだ。これこそ、憂歌団の音だよ。やっぱ、生(ライブ)こそ、憂歌団だよ。

ライブアルバムから6曲(つまりこのベスト・アルバムの三分の一以上)が採用されたということは、こういう生音こそ彼らのベスト・テイクだと、アルバム制作サイドもわかっているってことで。

詳細については、以前の本欄を参照していただこう。とにかく、これくらいリラックスして(実際、ウイスキーなど飲みながらやっている)繰り広げられるライブ、客席とのダイレクトなコミュニケーションが横溢したライブは、他に並ぶものがない、と断言してしまおう。

締めはスタジオ録音の「心はいつも上天気」。

静かなアコギの響きが印象的な、バラード・ナンバー。

バックのオーケストラがちと余計な気もするが、木村の歌唱も、内田のギターソロもひたすら甘く美しい仕上がりなので、まあよしとしよう。

フォーライフ時代は、憂歌団として決してグッド・タイムズ(いい時代)であったとはいえまい。サウンドのメジャー化、ポップ化も、結果的にはうまくいかず、めぼしいヒットも出ず、しかも昔からのファンにはブーイングをくらったりもした。

しかし、いまとなっては、それもまた貴重な体験。さまざまな試行錯誤の延長戦上に、現在の木村や内田の音楽活動があるのだと思う。

「ベスト=最上」と冠するには難ありの一枚だが、それはそれでよしとしたい。憂歌団13年の軌跡を捉えるには、格好の一枚であります。

<独断評価>★★★☆


音盤日誌「一日一枚」#273 フィル・コリンズ「II(心の扉)」(ワーナー・パイオニア PKF-5347)

2022-08-14 05:00:00 | Weblog

2005年5月29日(日)



#273 フィル・コリンズ「II(心の扉)」(ワーナー・パイオニア PKF-5347)

フィル・コリンズ、82年リリースのセカンド・アルバム。彼自身のプロデュース。

ジェネシス解散後、ソロ・シンガーとなり、81年、アルバム「FACE VALUE」を出してからのフィルの活躍は、皆さんご存じだろう。これは、彼がブレイクするきっかけとなった一枚。

なんといっても、シュープリームスの大ヒット「恋はあせらず」のカヴァーは印象的だった。特にそのPVにおける、彼自身のおどけた演技が。のちに、日本の某カップラーメンCMでもこれをパクったのが現れたくらい、インパクトは強烈だった。

元々はジェネシスという英国のプログレ・バンドにいたフィル・コリンズが、意外と正統的なアメリカン・ポップスを志向していたことには、正直驚いたものだ。

もちろん、このカヴァー・ヒットはPV同様、一種のパロディというか、戦略的なギミック、確信犯的な演技だといえなくもない。

それはこの一枚を通して聴くと、よく見えてくる。「空虚な心」や「心の扉」といったナンバーの、極めて内省的なムードは、脳天気な「恋は~」とはあまりに対極的だ。このあたりに、一筋縄では行かない彼の「たくらみ」を感じる。

ただ、彼の場合、歌いぶりがあまりに「正統派」なので、そのへんの「毒」がほとんど気付かれないのだと思う。

表向きはあくまでもわかりやすい、正統派ポップス。でも、その本質は、水面下に大量のアイロニーを含んだ、英国人ならではのロック。

フィルの、バラード・シンガーとしてのうまさは、英米にあまたいる白人シンガーの中でも、群を抜いていると思う。

そんな彼がアメリカ制覇をなしとげたのも、当然のことか。

アーティスティックなセンスでいえば、かつての盟友、ピーター・ゲイブリエルの方に軍配が上がるかも知れないが、より多くのひとに理解され、支持されるシンガー/コンポーザーとしてのセンスはフィル・コリンズが断然上だという気がする。

ルックスこそコメディ俳優ダニー・デビートに酷似しているが、その音楽はまさに「男前」。

彼の歌心の素晴らしさを痛感する一枚。ぜひ一度、聴いて欲しい。

<独断評価>★★★★


音盤日誌「一日一枚」#272 ナラダ・マイケル・ウォルデン「ルッキング・アット」(ワーナー・パイオニア P-11380)

2022-08-13 05:00:00 | Weblog

2005年5月28日(土)



#272 ナラダ・マイケル・ウォルデン「ルッキング・アット」(ワーナー・パイオニア P-11380)

最初に一言。筆者多忙のため、しばらくはワンポイント評のスタイルで行かせていただきます。悪しからず、ご了承を。

ナラダ・マイケル・ウォルデン、83年のアルバム。彼のセルフ・プロデュース。現在ではブラコン界のトップ・プロデューサーとしてしての名が高いが、自身もシンガーでもあったころの代表的アルバム。

フォー・トップスのカヴァー「リーチ・アウト」に始まり、作家リチャード・ライトに捧げたオリジナル「ブラック・ボーイ」に終わる全9曲。ダンサブルなナンバーあり、バラードあり、女性シンガーとのデュエットあり、ファンクなナンバーあり。

作詞・作曲、歌だけでなく、プレイヤーとしての腕前も一級品。ピアノ、シンセ、パーカッション類、ドラムスと、さまざまな楽器を巧みにあやつるマルチ・プレイヤーなのだ。当然、アレンジも全部自分でやる。

少し高めで中性的なクリア・ヴォイスが特徴的。シンガーとしては、いささか線が細いが、これだけのことを全て一人で出来るのは、ただ者ではない。

その後はずっとプロデューサー業に専念しているようで、85年の「THE NATURE OF YHINGS」以降、ソロ・アルバムを出していないのは惜しまれる。ぜひ、20年ぶりに、その繊細な歌声を聴かせてほしいもんだ。

筆者的にベスト・トラックは「リーチ・アウト」。原曲のダイナミズムをそこなうことなく、モダンなアレンジを施す手腕には、舌を巻きます。

<独断評価>★★★


音盤日誌「一日一枚」#271 大木トオルブルースバンド「大木トオルブルースバンド FEATURING アルバート・キング」(CBSソニー 28AH 1279)

2022-08-12 05:00:00 | Weblog

2005年5月22日(日)



#271 大木トオルブルースバンド「大木トオルブルースバンド FEATURING アルバート・キング」(CBSソニー 28AH 1279)

ミスター・イエロー・ブルースマン、大木トオルとそのバンドの、81年のアルバム。ニューヨーク録音。大木トオルプロデュース。

タイトルが示すように、ゲストにアルバート・キングを迎えてのスペシャル・セッション。全9曲中、5曲にアルバートが参加している。

実はこれ、知人のそまさんから有り難くも頂戴した一枚。彼が大学在学時に購入したという。

雑誌「ブルース・アンド・ソウル・レコーズ」のアルバート・キング特集号(No.32)でも取り上げられていなかったぐらいだから、ほとんど知られていないアルバムだろう。おそらく、CDでも再発されていないだろうから、極めてレアな一枚といえそう。

トップの「キャント・ストップ・シンギング・ザ・ブルース」は、大木のオリジナル。

冒頭のアルバートの「語り」から、いきなりブルースの濃厚なムードが沸き起こってくる。いやー、この「つかみ」はスゴいよ。

そしてこれにもちろん続くのは、必殺技のスクウィーズ・ギター。この音、このフレーズですよ、待っていたのは!

この「存在感」は誰も太刀打ちできないだろうな。

残念ながら、本盤の主役であるはずの大木も、アルバートを前にしては、脇役に降りざるを得なくなっている。ま、格が違い過ぎるんだから、しかたないんだけどね。

もちろん、大木もかなり頑張っている。本場米国で経験を積むことにより、「ザ・サード」時代に比べたら明らかに歌は上達しているし、あのクセの強い、好き嫌いがはっきりと分かれていた「声」もだいぶん練れて来た感じだ。

この曲では、ギターと歌による、ふたりの掛け合いもふんだんに聴くことが出来る。

続く「オーキー・ドーキー・シャッフル」はアップテンポのシャッフル・ナンバー。これまた大木のオリジナル。

オーキーに大木を引っかけたのは、誰の目にも明らかだな(笑)。

イントロのギターは、コーネル・デュプリー。かの「スタッフ」でおなじみの御仁だ。このギターが実にクール。

彼からすぐにバトンを渡されてソロを弾きまくるアルバートも、もちろんカッコいい。

中間部はサックスのソロ。このアーティ・キャプランを筆頭とする、ホーン・セクションも巧者ぞろいだ。

アルバートもリラックスしてプレイしているのか、後半では大木への掛け声を発したりして、実にいいムードだ。

三曲目の「パーソナル・マネージャー」はミディアム・スローのブルース。スタックス時代以来の、アルバートの持ち歌。

ここでは、大木の歌よりも、アルバートのギターをメインにフィーチャーしている。

彼の派手なチョーキングも最高潮。本当の本物のプレイにノックアウト、である。

「トゥー・マッチ・ラビング」は、再び大木のオリジナル。ミディアム・テンポのブギ。

ギター・ソロは大木バンド所属のギタリスト、ルー・エランガー。明らかにアルバートとは違ったスタイル。どちらかといえば、ルーのほうが、平均点的というか、オーソドックスなスタイルのブルース・ギターを弾く。

言い換えると、ワン・フレーズを聴いただけで、「これは○○の音!」とわかるようなプレイではない。悪くいうと、ありきたり。

比較することは、あまりいいことじゃないが、アルバートの演奏に比して、ルーのそれは明らかに普通であり、凡庸なのである。

アルバートの、ワンフレーズだけで彼だと判る、ある意味ワンパターンなプレイの、スゴさというものを痛感した次第。

「ビッグ・アイド・ウーマン」は、大木のヒット曲「エブリナイト・ウーマン」の路線を踏襲したファンキーなナンバー。ある意味歌謡曲っぽいR&B。

ここでもギター・ソロはルーが担当。マイナー・ブルースということで、アルバートを意識したプレイをしているようだが、やはり二者の違いは歴然だ。

ギタリストにとって、テクとかリズム感とか、重要なことはいろいろあるが、こと「プロ」のギタリストに限っていえば、一番重要なのは「オリジナリティ」、筆者はそう思うね。アルバートの唯一無二のオリジナリティには、ホント、脱帽である。

B面トップ、「アイ・ガット・ア・マインド・トゥ・ギブ・アップ・リビング」は、ポール・バターフィールドの作品。スローなマイナー・ブルース。

大木とも親交のあったギタリスト、マイク・ブルームフィールドが本盤のレコーディング直前に亡くなっているが、この曲を生前のマイクが愛唱していたこともあり、彼への追悼の思いを込めて収録したナンバーだ。

この一曲、本盤では一番リキの入ったトラックだと、筆者は思っている。邦題では「絶望の人生」となる、絶望に満ちた暗いことこの上ないこのナンバーを、喉を絞るようにして歌い上げる大木。

このままだと、底なしの暗澹たるムードに落ちていくだけだが、「でも生きていかなきゃ」と、励ますように、あるいはチャチャを入れるように、セリフや笑いで合いの手を入れるアルバート。このバランス感覚はなんとも絶妙だ。

こんな生活、もういやだ。いっそ死んでしまおうか。いやいや、死んで花実が咲くものか。生き続けてりゃ、そのうち光明も見えてくるさ。

こういう陰と陽の「振り幅」に、ブルースの持つ本来の「タフネス」を見ることが出来るだろう。

「オー・ハニー・ドント」は大木のオリジナル。アップテンポのナンバー。アルバートのナンバーでいえば、「ウォーターメロン・マン」、「クロスカットソー」あたりの路線。

軽快なビートに乗せて飛ばしまくる、大木のヴォーカル、そしてアルバートのギター。

ホーンセクションやピアノなどのリズム隊も、ノリノリである。体がムズムズしてきて、自然と踊り出す、そんなナンバーだ。

「ユー・リアリー・ガッタ・ホールド・オン・ミー」は、ビートルズによるカヴァーでもおなじみの、スモーキー・ロビンスンの作品。

この曲はライブでもしばしば歌われ、以前本欄でも取り上げた「MY HOME TOWN」(2002年)でも再録音するなど、大木にとってはかなり思い入れの強いナンバーだ。

ここでのギターは、ルーが担当。こういうヒット曲系のナンバーでは、ソツなく無難にまとめてくる。

ライブでは時間をもたせるために、いろいろな曲調のナンバーをやらないといけないだろうから、こういう、何でもそこそこ弾ける器用なタイプのギタリストは重宝ってことだろうな。

間奏は、サックスのアーティが担当。こういうバラード・ナンバーだと、サックス・ソロの説得力はまた格別だ。

ラストは「ユー・センド・ミー」は、サム・クックの作品。ミディアム・スロー・テンポのソウル・ナンバー。

スウィートな女声コーラスに乗せて、大木もいつもの塩辛声よりは少し甘く、この愛の歌をうたう。

間奏はルー。大木の歌同様、甘く、でもブルーズィな味わいは忘れないこのプレイ、本盤では彼のベストだと思う。

ブルースな曲ではアルバート、ポップな曲ではルー、それぞれ得意分野がはっきりしていて、興味深い。

このアルバム制作にあたり、大木そしてレコード会社サイドが、どのようにして御大アルバート・キングを口説いて、アーカンソーからニューヨークまで来させたのかは、知るよしもない。

ブルースマンという連中はおおむね「現金」な種族だから、ギャランティさえ良けりゃ何だってOK、そんなところがある。

この場合も、大木の音楽性を認めてとかそういうことじゃなくて、カネが決め手。真相は案外そんなものかも知れない。

でも、それだって別にいい。あのアルバートとの共演は、大木のみならず、ほとんどすべてのブルースマンの憧れるところであろう。それが実現したのだから、これは大木にとって、一生モノの勲章だろう。

アルバートの参加した五曲は、明らかに、大木バンドのみの演奏とは「空気」が違う。

モノホンのブルースマンだけが持つ、独自の雰囲気が、最初の小節から満ちあふれている。

それが何なのか、言葉で説明するのは至難の業であるが、筆者としては拙いなりに分析してみた。少しはそのニュアンスが伝われば、幸いである。

最後に、貴重な一枚をプレゼントしてくださったそまさん、おおきにサンクス!

<独断評価>★★★☆


音盤日誌「一日一枚」#270 ライトニン・ホプキンス「MOJO HAND」(COLLECTABLES COL-CD-5111)

2022-08-11 05:00:00 | Weblog

005年5月15日(日)



#270 ライトニン・ホプキンス「MOJO HAND」(COLLECTABLES COL-CD-5111)

ライトニン・ホプキンス、60年のアルバム。ニューヨーク録音。

この、ブルース史上余りにも有名な一枚については、ありとあらゆるブルース本、ブルースサイトで書き尽くされて来たので、今更筆者のような浅学の者が、シッタカを書いても無意味だろう。ただただ、音を聴いての感想のみ、書き留めることとしたい。

テキサス在住のライトニンを、ニューヨークでレコード店を経営していたボビー・ロビンスンが招いてレコーディングした一枚。ここにはブルースの魅力の「全て」があるといっても過言ではない。

まずは、タイトル・チューンの「モージョ・ハンド」。リスナーは、これでいきなり打ちのめされる。

歌詞からしてスゲーの一言。自分の恋人が他の男とデキちまわないように、ブードゥ教の本場、ルイジアナくんだりまで出かけていって、まじないをかけてもらうって、ワオ、何てこったい!って感じだ(笑)。

そして、そのドスのきいた渋~い歌声、大きなうねりを感じさせる、アコースティック・ギターの響き。一歩下がってライトニンをしっかりと支える、ウッドベースとドラムスのビート。圧巻としかいいようがないサウンドだ。

キメはやっぱり、ラストのセリフ「That's what I'm gonna do」だな。シ、シブ過ぎるぜ!

続く「コーヒー・フォー・ママ」は「モージョ・ハンド」に似た系統の、アップテンポのナンバー。

ここでも、ライトニンの、ワンアンドオンリーなギター・スタイルが堪能できる。

たとえていうなら、雲ひとつなく晴れ渡ったテキサスの青空。そのプレイには、迷い、ためらいといったものが全くない。

「オーフル・ドリーム」はスロー・テンポのナンバー。ライトニンの内省的にして攻撃的、地の底まで轟き渡るような歌声に、またもリスナーはノックアウトされる。これぞライトニン!といいたくなるヘビー級パンチ。

「ブラック・メア・トロット」は一転、軽快なテンポのシャッフル。ライトニンのカントリー・テイストのギターソロが延々と続くインスト・ナンバー。

ギターを弾く者なら一度はコピーしてみたくなるような、軽妙なフレーズが満載である。

「ハヴ・ユー・エヴァー・ラヴド・ア・ウーマン」は、本盤では珍しくピアノをフィーチャーしたスロー・ブルース。

とにかく、ライトニンの歌唱が「圧倒的」のひとこと。その、魂を吐き出すかの如きシャウトを聴くうちに、心が震え出し、そしてそれが止まらなくなる。

ライトニン=ギター・サウンドというイメージが一般的だろうが、たまにはこういうふうにピアノをバックに歌われるのも悪くないなと思う。

「グローリー・ビー」は再びギター・トリオ・スタイルに戻っての、スロー・ナンバー。

独り言を呟くように、あるいは語るように歌うライトニン。ヴォーカルに施されたエコーが、実に効果的。彼の歌声の凄みをいやましにしている。

「サムタイムズ・シー・ウィル」はアップテンポ、「モージョ・ハンド」スタイルのナンバー。ここでのライトニンのギターも、まことにカッコよろしい。

カッティングでよし、ソロでよし。1弦から6弦まで巧みに使った、メリハリのきいたギター・サウンドには、ホント、憧れますな。

「シャイン・オン、ムーン!」はスロー・テンポのナンバー。ゆったりとしたビートでも、ライトニンのギター・プレイはだれることなく、ピシッと一本、筋が通っている。

ときどき脱線気味のフレーズを弾いたりするライトニン。リズムをハズしそう。でも決してハズさない。この絶妙なリズム感こそは、彼ならではのもの。他者がそう簡単に真似できるものではないね。

ラストの「サンタクロース」も、スローテンポの曲。この一枚を録音したのが11月だったことが関係しているのだろうか、珍しく時節ネタのブルースだ。

サンタクロースのプレゼントを楽しみにする子供たちの風景をヒントに生み出された、カジュアルな題材のブルース。なんとなく、ほのぼのとした気分にさせられる。

全編、「全身ブルースマン」ともいうべきサム・ライトニン・ホプキンスの、濃ゆ~い世界が広がっている。何度聴いてもあきることのない出来ばえ。

そのジャケットデザインも、強烈のひとこと。あまたあるブルースアルバムの中でも、ひときわ異彩を放っている。この拳に強打されたら、誰だってブルース中毒になるだろう、そんな一枚。

独自のビート感覚で、他の追随を許さないライトニン。筆者にとっても、永久不滅の憧憬の対象であります。

<独断評価>★★★★★


音盤日誌「一日一枚」#269 ダリル・ホール&ジョン・オーツ「ベスト/リッチ・ガール~キッス・オン・マイ・リスト」(RVC RPT-8095)

2022-08-10 05:02:00 | Weblog

2005年5月5日(木)



#269 ダリル・ホール&ジョン・オーツ「ベスト/リッチ・ガール~キッス・オン・マイ・リスト」(RVC RPT-8095)

ダリル・ホール&ジョン・オーツ、初期のベスト・アルバム。81年リリース。日本のみ、カセットのみの特別企画。

ホール&オーツについて書き出すと、とんでもない字数になりそうなんで、今回はこの一枚というか、一本についてのみ書くことにしたい。

80年代の彼らは、まさに「向かうところ敵無し」状態。出す曲、出す曲がナンバーワンヒットだったのを思い出す。

そんな彼らの、初期ヒットも含めた81年までのベスト集。捨て曲など、まったくないのがうれしい。

トップの「キッス・オン・マイ・リスト」は80年リリースのアルバム「モダン・ヴォイス(VOICES)」からのシングル。ふたりの共作。

これが翌年、見事ビルボードでナンバーワンとなり、以降怒濤の快進撃が続くきっかけとなる。

軽快なリズム、そしてダリル・ホールの脳を直撃するようなハイトーン・ヴォーカルがまことに印象的。

ところでこの曲、タイトルから勘違いされやすいが、歌詞を読むにラブソングというより、恋人に愛想尽かしをした男の心境を歌ったようなんだね。

「リッチ・ガール」は、それに先立つこと3~4年前、77年に放ったスマッシュ・ヒット。ホールの作品。

アルバム「ビッガー・ザン・ボゥス・オブ・アス」からのシングル。日本でもヒットしたので、この曲で彼らの名前を覚えたリスナーも多いだろう。

彼らのサウンドルーツ、モータウンの音をぷんぷんと匂わせる一曲。この頃は、モダンな雰囲気はほとんど無かったなあ。でも良曲だと思う。

「キッス~」同様、女性に対してちょっとシニカルな詞が(モーホーっぽい彼ららしくて?)個性的であります。

「僕のポータブル・ラジオ」はふたりの共作。79年のアルバム「X-STATIC」から。

このあたりから、エレクトリック・ポップというか、ディスコ・オリエンテッドというか、時代の変化を意識した音になってきたような気がする。チョッパー・ベースとか、シンセの使いかたとか、今聴いても実にカッコいい。

「ふられた気持ち」は「モダン・ヴォイス」収録。ブルーアイドソウル・デュオの大先輩格にあたるライチャス・ブラザースのカヴァー。スペクター=マン=ウェイルチームによる作品。

オリジナルは掛け値なしの名曲だが、ホール&オーツも決して負けてはいない。ホールの高音、オーツの低音、それぞれのヴォーカルの個性を見事に生かした名唱である。

「バック・トゥゲザー・アゲイン」はオーツの作品。「ビッガー・ザン・ボゥス・オブ・アス」に収録。

アレンジとか聴くに、ストリングスの使いかたとか、サックスの入れかたとか、このころはまだサザン・ソウル色が強く、洗練度はイマイチであった。でも好きだけどね。

ホール&オーツといえば、当然、立役者はホールのほうだけど、こうやってオーツ・フィーチャリングな曲にもイカしたのが結構あるのがうれしい。

「世界は美しい」は、アルバム「X-STATIC」収録。ホールとサラ・アレン(「サラ・スマイル」でも歌われたホールの恋人、サラのことね)の共作。

ベースがガクンガクンと腰に来て、いやーなんともカッコええ。ファンク=ディスコ路線の中では一番好きな曲かも。

B面トップの「ウェイト・フォー・ミー」は、おなじく「X-STATIC」収録。ホールの作品。

バックのジェイ・グレイドンのギターが実に目立っている。いなたいソウル路線を一歩踏み出して、いま風に衣替えできたのは、グレイドンの功績大かも。

「ドゥー・ホワット・ユー・ウォント」はふたりの共作。「ビッガー・ザン・ボゥス・オブ・アス」に収録。

「リッチ・ガール」同様、まだまだ泥臭さが抜けない音作りですが、ふたりの歌のディープな絡みは素晴らしい。

「ユー・メイク・マイ・ドリームス」は「モダン・ヴォイス」収録。ホール、オーツ、アレンの共作。

かなりエレクトリック・ポップ色の強い一曲。メリハリのはっきりしたリズム。あまりメロディとか歌い口に味わいはないが、ディスコではウケそうな感じ。

「イッツ・ア・ラーフ」は、78年のアルバム「アロング・ザ・レッド・レッジ」から。ホールの作品。

このアルバムあたりから、ポップ化が進行したといえそう。グレイドンも、本作から参加するようになったんじゃなかったっけ。

ホールの高らかな歌唱ぶりがとにかくいい。ここから「キッス~」そして「プライヴェート・アイズ」での大ブレイクへの道のりは、ほんのわずかだ。

「想い出のメロディ」はオーツの作品。同じく「アロング・ザ・レッド・レッジ」収録。彼のシブい歌声、これもまたH&Oの魅力だ。

ヴォーカルデュオというと、勿論ふたりともちゃんと歌えないとダメなんだが、意外と双方の声質がカブっている場合が多い。

例えばケミストリーとかエグザイル、キンキキッズみたいに、よほどのファンでもない限り、どっちがどっちかよくわからんというケースが多いのだが、H&Oはその点、見事に個性の塗り分けが出来ている。

ホールの声をオーツと聴き間違える奴なんて、ありえないでしょ(笑)。

華のあるホールの影に隠れがちではあるが、オーツの歌もかなりうまい。ある意味、正統派のソウルシンガー然としているのは、オーツのほうかもしれない。

ソロ、掛け合い、ハモり、すべてオッケーで、しかも個性がまったくカブらない。彼らこそ、究極のデュオという気がするね。

さて、ラストは、本作中では最も初期のヒット、「サラ・スマイル」。ふたりの共作。75年、RCA移籍後初のアルバム「ダリル・ホール&ジョン・オーツ」に収録。

この当時は、ホールの歌いぶりも後のそれとはだいぶん違う。なんかまだ、か細い印象。自分のキャラが決まらなくて手探り状態、ってところですな。

でも、この曲は本当に名曲だと思う。ゆったりしたバックのサウンドに、優しく、しみじみとした情感のある歌。後のキレのいい歌声はそこには見られものの、素材としての良さ、みたいなものは隠しようがない。

いなたいアレンジも含めて、いとおしく感じられる一曲であります。

今でも活動は続けているものの、リリースは完全にマイペースになってしまったH&O。だが、80年代前半の活躍ぶりはまさに「ミラクル」と呼べるものがあった。

そしてその黄金期に彼らが生み出した作品群の充実ぶりは、ハンパなものではなかった。

今回紹介した「ベスト」は、当時の筆者の所蔵盤中ベスト3に入るへヴィー・ローテーション・アルバムだったが、ひさびさに聴いてみて、それも当然だったなと確信した。

歌、サウンド。H&Oに死角なし。やっぱ最高であります。

<独断評価>★★★★★


音盤日誌「一日一枚」#268 ゲイリー・ムーア「AFTER HOURS」(ヴァージンジャパン VJCP-28097)

2022-08-09 05:00:00 | Weblog

2005年4月24日(日)



#268 ゲイリー・ムーア「AFTER HOURS」(ヴァージンジャパン VJCP-28097)

ゲイリー・ムーアのソロ・アルバム、92年リリース。ゲイリー&イアン・テイラーのプロデュース。

90年、ゲイリーはブルース色を前面に打ち出したアルバム「STILL GOT THE BLUES」を大ヒットさせ、以降、ゲイリーのブルース路線が続くことになる。これはその二年後に発表された、新路線第二作。

ハード・ドライヴィンなブルース・ナンバー「COLD DAY IN HELL」でスタート。

これがまあ、なんともコテコテ、ギトギト。

ギターはもちろん、歌ももちろんゲイリーによるのだが、例によってアクの強い歌声を披露している。

この一曲だけで、おなか一杯な感じ。

2曲目はギター・フレージングにアルバート・キングの影響がモロ見えな、ファンク・ブルース「DON'T YOU LIE TO ME(I GET EVIL)」。軽快なノリが◎。

3曲目「STORY OF THE BLUES」も、かなりアルバート・キングっぽい。「AS THE YEARS GO PASSING BY」をほうふつとさせるマイナー・ブルース。

ゲイリーの「タメ」のプレイが本領発揮なナンバー。レスポールの音色がまことに艶っぽい。

4曲目でスペシャル・ゲスト登場。B・B・キングである。

「SINCE I MET YOU BABY」はゲイリーのオリジナルなれど、まるでBBのオープニング曲のような雰囲気をもった、軽快なテンポのシャッフル。

BBのソロ、そして「怒り節」やふたりの掛け合いもしっかりと聴けて、ちょっとお得な気分。

「SEPARATE WAYS」は、どこかフォリナー風のバラード。ほとんどブルース色は感じさせないが、しみじみとした歌唱がイケてます。いつもバリバリ、テンションの高い歌ばかり歌っているイメージが強いゲイリーだが、抑え気味の表現もなかなかのもの。

「ONLY FOOL IN TOWN」は、アップテンポのハード・ドライヴィング・ブルース。ゲイリーらしさが、最も良く出た一曲。ギター・ソロが熱い! へヴィメタ・ファンにもおすすめ。

「KEY TO LOVE」はジョン・メイオールの作品。ブルースブレイカーズの代表的ナンバー。

ここでのゲイリーのギターも、シブさ知らずなハッスル・プレイであります。

「JUMPIN' AT SHADOWS」では一転、メロウなスロー・ブルースの世界を追求。

ここでのゲイリーのヴォーカルって、フリートウッド・マックのそれに通じるものが非常に大きい。

実際、前作「STILL GOT THE BLUES」ではピーター・グリーンの書いたマック・ナンバー、「モタモタするな」をカヴァーしていたくらいだから、ピーター→ゲイリーの影響力は想像以上に大きいものがあるのだろう。

「THE BLUES IS ALRIGHT」は、おなじみのリトル・ミルトン・キャンベルの作品。

ブルース・コミュニティにとって一種の「象徴」みたいな曲だが、この名曲をテキサスの名ブルースマン、アルバート・コリンズを迎えて演奏しているのだから、ファンならずとも聴かないわけにいくまい。

おなじみのステディなビートに乗って、アルバート・コリンズのソロも披露されるが、やっぱり、彼のテレキャスターはスゴ~い音、してます。

ソリッドで一音一音、耳に突き刺さるようなプレイ、ホンモノは違いますな。

「THE HURT INSIDE」はちょっと聴いた感じではスティーリー・ダン風の、AORなミディアム・テンポ・ナンバー。あまりブルースっぽくはない。

ギター・プレイもどことなくジャジィで、ひたすらソリッド。他の曲とはだいぶん趣きが違っていて、面白い。

「NOTHING'S THE SAME」もかなり異色。抑え目の歌唱でマイナー・バラードを歌うゲイリーは、一聴、スティングふう。

コアなファンからはこんなのゲイリーじゃない!というブーイングも来そうだが、彼の音楽性の幅広さを示す例といえるだろうね。本人は十分、マジでやっていると思う。

ラストは、ひたすら重心の低いスロウ・ブルース「ALL TIME LOW」で締めくくり。

ギターのオブリがじつにカッコよろしい。もちろん、歌にもリキが入っていて、聴き応え十分。

ゲイリーはギタリストとしてばかり評価されがちだが、その歌もけっして悪くはない。もっともソウルフルな英国の白人シンガーといえば、スティーヴ・ウィンウッド、ヴァン・モリスンあたりが上げられるだろうが、ゲイリーもその流れの中で、もっと評価されてしかるべき人だと思う。

歌をうたい、かつギターを弾く。このふたつの行為が相互に影響し合って、ミュージシャンとしての「器」がより大きくなっていく、そういうものだと筆者は思っている。

ゲイリーもまた、ブルースをみずから歌うことで、音楽への理解を年毎に深めている、そういう人だと思う。

音楽に究極の完成形などはない。自分が歌いたい、演奏したい、そう思った音楽へ向かって、一歩一歩あゆみよって行く。その「姿勢」こそが、いい音楽の本質だと思う。

ゲイリー・ムーアの「ブルースへの道」は、われわれブルースを愛好する人たちのそれと、全く違いはない。

売れる売れないで選ぶのでなく、「自分のやりたいことをやる」、このピュアな姿勢を、同じブルース愛好者のひとりとして、筆者も大いに評価したいと思う。VIVE LES BLUES!!

<独断評価>★★★★


音盤日誌「一日一枚」#267 バルネ・ウィラン「FRENCH STORY」(Alfa ALCR-7)

2022-08-08 05:57:00 | Weblog

2005年4月10日(日)



#267 バルネ・ウィラン「FRENCH STORY」(Alfa ALCR-7)

いまは亡きフランス人サックス奏者バルネ・ウィラン、1990年のアルバム。オランダ録音。

バルネといえば、50年代にマイルス・デイヴィスやアート・ブレイキーらアメリカのトップジャズメンと共演、はたちそこそこで一躍時代の寵児となった男。

70年代には音楽活動をほとんど休止していたが、80年代に主流派ジャズの人気復活とともにカムバック。

以来、96年に59歳の若さで亡くなるまで、第二の黄金時代ともいうべき活躍を見せている。

筆者も、日本のレーベル「アルファ」制作によるこの一枚がきっかけで、彼の音楽に興味を持つようになり、しばらくは新作が出る度にチェックしていた記憶がある。

ステージも、一度だけ観に行ったことがある。バブルまだまだ華やかなりし頃(91年くらいか)、東京にもいくつか本場のジャズマンが出演する、ゴージャスなジャズクラブが出来たが、そのひとつ、原宿の「キーストン・コーナー」に彼が出演したのである。

MCの紹介とともに、バルネがステージにおもむろに登場した時、筆者は思わず心の中で、こう叫んだものだ。

「ものすごく雰囲気がある人だな。まるで俳優のようだ」

20代の頃のバルネは背ばかり高く、ガリガリに痩せていて、なんだか食い詰めた大学の助手みたいだった。存在感などまるでなかった。

しかし中年となり、適当に押し出しもよくなって来たこともあり、しぶとさ、したたかさを感じさせるような容姿になっていた。若い頃より、断然魅力的になったのである。

ほとんど語らず、ボソボソと曲名だけをアナウンスするさま、それも実にキマっていた。

残念ながら、生のバルネを観たのは後にも先にもその一回きりになってしまったが、その男伊達ぶりは、しっかりと筆者のまぶたに焼き付けられたのである。

さて、この一枚、ジャズCDとしては異例の好セールスを記録、まさに日本にバルネ・ブームをもたらした切っ掛けとなったわけだが、今聴いてみても実に見事な出来ばえだ。

タイトル(邦題は「ふらんす物語」)が示すように、おもにフランス映画で流れたジャズ系のナンバーを中心に選曲してある。

トップの「男と女」はもちろん、クロード・ルルーシュ監督作品の主題歌。フランシス・レイのペンによる名曲だ。

オリジナルのインストやピエール・バルーによる歌ヴァージョンも素晴らしいが、このバルネ版も最高の雰囲気。

バルネのテナーが、抑え目のトーンでおなじみのテーマを吹き出すや、そこはもうフレンチ・シネマの世界だ。

ワン・フレーズで、これだけリスナーを惹き付けるとは、まさに天才の業だな。

また、バルネと同じくらい、いい仕事をしているのが、ピアノのマル・ウォルドロン。

この人のやや控え目というか、沈んだ調子のトーンが何ともいい。

「オレがオレが」的に前に出まくるピアノではなく、あくまでもコンボ全体のアンサンブルを重視した演奏、さすが稀代の職人ピアニストである。

続く「死刑台のエレベーター」は、ルイ・マル監督の出世作であり、またバルネ自身の名前を全世界に知らしめることとなった同題映画のテーマ曲。

バルネはここでは、テナーをソプラノ・サックスに持ち替えて、オリジナルではマイルス・デイヴィスのトランペットによって奏でられた主題を吹く。

その気だるく、物憂いトーンは、ブルースそのものだ。

再びテナーに戻って演奏するのは「シェルブールの雨傘」。フレンチ・ジャズ界を代表する作曲家、アレンジャーにしてピアニスト、ミシェル・ルグランの作品。ジャック・ドゥミ監督による映画の主題曲だ。

スタッフォード・ジェイムズのベース・ソロにいざなわれて、バルネのテナーがおなじみの主題を紡ぎ出す。2コーラス目からは、自由闊達なインプロヴィゼーションを展開。

後を継いで、マルのピアノ・ソロが始まる。淡々と、訥々と、しかし一音一音に想いを込めるようなフレーズが続く。テクニックで唸らせるようなタイプのプレイじゃないが、これぞマル節という感じ。味わいが深いのだ。

再びベースがソロ、そしてベースとエディ・ムーアのドラムの応酬をへて、バルネの吹くテーマに戻る。

その演奏は力んだところのない、リラックスしたものだが、中身は濃い。

彼の30年以上にわたる音楽体験のすべてが、そこに凝縮されている。やはり、若造にはとても出せない、円熟した境地なのだ。

「危険な関係のブルース」は、これまたバルネの十八番。ロジェ・ヴァディム監督による同題映画のテーマ。

アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズとの共演以来、彼の代名詞的ナンバーとなった。デューク・ジョーダンの作品。別題「ノー・プロブレム」。

のっけから早いテンポでゴリゴリと吹きまくるバルネ。バックの三人も、高いテンションでバッキングをつとめている。

「黒いオルフェ」はマルセル・カミュ監督、フランス・ブラジル合作映画。リオ・デ・ジャネイロのカーニヴァルを描いた作品。その主題曲であるこれは、アントニオ・カルロス・ジョビンのペンによるもの。

50年代末に、ボサノヴァ文化を世界中に知らしめる契機ともなったナンバーだ。

ここでは、10分半にも及ぶ長尺の演奏を繰り広げている。バルネはソプラノ。そのソロ、そしてマルのソロも、十二分に堪能出来る。

「殺られるのテーマ」は、エドゥアール・モリナロ監督によるフィルム・ノワールの主題曲。

これもまたジャズ・メッセンジャーズがサントラを担当。この時代は本当に、フランス映画とジャズの関係は密接だったのだ。

作曲はブレイキー、そしてベニー・ゴルスン。ルースなテンポのブルースで、テナーのフレージングがなんともクール。

場末のジャズクラブのアフターアワーズ・セッションをほうふつとさせるものがある。これがカッコいいと感じられないようでは、音楽を聴いて来た意味がないってもんだ。

「オータム・リーブス」、つまり「枯葉」はジャック・プレヴェール=ジョゼフ・コスマの作品。45年に書かれ、翌年、映画「夜の門」の中で、イヴ・モンタンが歌いヒットした。

だが、この曲はシャンソンという枠を超えて、もはやジャズ・スタンダードの最重要曲に位置しているナンバーといえるだろう。

マイルス&キャノンボール、ビル・エヴァンス、サラ・ヴォーンなど、ジャズ史上名演の多い曲であるが、バルネ版ももちろんいい。ジャズとシャンソン、その両方に通暁した男ならではのプレイといいますか。

ここでバルネは、無伴奏のヴァースからじっくりと歌い込むようにプレイしていく。

次第にテンポを上げ、白熱化していく演奏。バルネからソロを渡されたマルも、彼なりのスタイルで、リラックスしたフレージングを聴かせてくれる。

エヴァンスあたりとはまた違った、枯れた味わいのあるソロである。

ラストの「クワイエット・テンプル」はアルバムでは唯一の、マル・ウォルドロンのオリジナル。

どことなく、かの名曲「レフト・アローン」にも通じるもののある、スロー・バラード。

物憂い雰囲気のメロディが、いかにもマルらしい。

バルネは、孤独、寂寥感といったこの曲のエッセンスを見事に捉え、至高の演奏を聴かせてくれる。もちろん、マルの演奏の素晴らしさは、いうまでもない。

そのフレージングの絶妙さ加減といったら、とても言葉では表し難いものがあるな。ここはもう、聴いていただくしかない。

フランス映画音楽のカヴァーという、当アルバム自体のコンセプトからいえば、この曲だけ異質な存在ではあるのだが、アルバムの締めくくりとしては、これ以上ふさわしい曲はない、そう思う。

ジャズの歴史という観点からいえば、このアルバムはジャズという音楽が急激な発展・進化をいったん終えてしまい、オーソドックスな「型」に戻ってからの作品、つまり「歴史の終焉」後に作られたものであるから、何かモニュメント的な価値があるわけではない。

いってみれば、芸術作品というよりは職人の手により数多く生産された「製品」のひとつ、といった位置付けをすべきなのだろう。

しかし、そうであろうがなかろうが、この一枚に収められた演奏が素晴らしいことに変わりはない。

10年たとうが、15年たとうが、聴く度にその味わいはいよいよ深まっていく、上質のウイスキーを思わせる一枚。筆者はこれを愛してやまないのである。

<独断評価>★★★★


音盤日誌「一日一枚」#266 沢田研二「STRIPPER」(ポリドール 28MX1040)

2022-08-07 05:00:00 | Weblog

2005年4月3日(日)



#266 沢田研二「STRIPPER」(ポリドール 28MX1040)

ユニバーサルミュージックによるディスク・データ

沢田研二、81年リリースのアルバム。加瀬邦彦ほかによるプロデュース。

わが国の文化の悪い点のひとつに、「(過去、偉大であった存在を)あたかも無かったもののように扱う」みたいなところがある。

80年代前半において、日本で最も魅力的で、ゴージャスで、かつ実力あるシンガーといえば、矢沢永吉でもなく、井上陽水でもなく、松山千春でもなく、ましてや世良公則や大友康平や玉置浩二や藤井郁弥や吉川晃司などであろうはずもなく、間違いなく沢田研二であった。「決め付け」のそしりを恐れずにあえて言ってしまえば。

つまり、「華」があるという一点において、他の連中などまったく比較にもならなかったってことである。

とにかく、当時の彼はテレビにおいてせよ、ステージにおいてせよ、他のシンガーとは段違いのオーラを放っていた。スター性とか、カリスマとかいった言葉は、彼のためにある。そういう気さえした。

ところが20年以上経った今、誰も彼のことを話題にもしなければ、CDを聴いたりもしなくなっている。オーマイガッ!

これは、どう考えても、ヒドい扱いとしかいいようがない。

そりゃあ現在のジュリーは、ただの人のいい、小太りなオジサンかも知れない。だが、60年代後半から70年代、80年代までの彼はまぎれもなくアジア最大のスターであった。日本にロックを根付かせた、最大の功績者といってもいいだろう。

そういう彼に対して、どの後輩ミュージシャンもリスペクトを表明しない。この国のミュージック・シーンはどうかしているぜ。

ということで、せめて筆者だけでも、偉大なるスター、沢田研二へのオマージュを記しておこうと思う。

このアルバムは全編、ロンドンにてのレコーディング。これは別に初めての試みというわけでなく、タイガース時代からずっとやって来たことだ。

あくまでもアメリカでなく、イギリス。そのへんの「こだわり」がとても嬉しい。

引き連れて行ったバックバンドは、後に「エキゾティックス」と呼ばれることになる面々。

ギターの柴山和彦(元ジュリエット)、同じく安田尚哉、ベースの吉田建、キーボードの西平明、ドラムスの上原豊。

いずれも若くして、経験豊富な実力派ぞろい。

ソングライティングの顔ぶれもなかなかのもの。

作詞が松田聖子などでおなじみの三浦徳子、近田春夫。

作曲は小田裕一郎、かまやつひろし、プロデューサーでもある加瀬邦彦、バンドの吉田建、そしてジュリー自身。

また、当時売り出し中の、佐野元春のオリジナルも一曲、カヴァーしている。

アレンジは全曲、当時佐野元春のバックバンド「ハートランド」にいた伊藤銀次が担当。彼の持ち味である、軽快なポップンロール色を前面に出した仕上がりとなっている。

アルバムはまず、異色のインスト・ジャズ、「オーバチュア」でスタート。

これはジュリーともゆかりの深いベテラン作曲家、宮川泰のペンによるもの。

ストリップティーズの定番BGM「THE STRIPPER」をほうふつとさせる、オールドタイミーな仕上がりが泣かせます。

続く「ストリッパー」はもちろん、ジュリーの大ヒット曲。彼自身の作曲によるもの。

トレモロもビンビン。いかにもギター・バンドなサウンド。まさにシビれます。

「BYE BYE HANDY LOVE」は佐野元春提供のナンバー。オリジナルもカッコいいのだが、ジュリー版も決して負けてない。ゲストとして、英国のパブロック・バンド「ロックパイル」のメンバー、ビリー・ブレムナーがギター・ソロを弾いているが、これが最高。

音色といい、スピーディな乗りといい、極上のロカビリー・ギターを聴かせてくれる。

「そばにいたい」はロッカバラード調。小田裕一郎の作品。B面の「渚のラブレター」にも一脈通じるものがある。

「DIRTY WORK」も小田の作品。小粋なロックンロールナンバー。ここで再びブレムナーがソロをとっているのだが、なんともいえずいい。日本人でこういう軽妙なギターを弾けるギタリストがそういるとは思えない。

彼のゲスト起用は、見事に成功したといえよう。

「バイバイジェラシー」は加瀬邦彦の作品。「ワン・ファイン・デイ」「恋はあせらず」とかを連想させるオールディーズ路線。加瀬は沢田との付き合いが長いだけに、その曲はジュリーの伸びやかな声に実にフィットしている。

ブレムナーの、根っから明るい感じのソロも◎。

「想い出のアニー・ローリー」はGS時代からの友人、かまやつひろしの作品。

これまた「カラーに口紅」ふうの、軽快なポップ・ロック。体が思わず動き出しそうなグルーヴだ。

ジュリーの声って、独特のものがあって、太いわりに重くはない。基本的に突き抜けた明るさがある。どんな悲しい曲、マイナーの曲を歌っても、沈んだ調子にはならない。

これぞまさに、トップシンガーとしての証明だと思う。

B面トップは「FOXY FOXX」。近田春夫/吉田建の作品。アルバム中ではちょっと異色の、ソウル色の強いナンバー。

ソウルとはいえ、どちらかといえばブルーアイド系のポップな仕上がりだ。

「テーブル4の女」は加瀬邦彦の作品。ちょっとパンクの入ったラフなロックンロール。

ジュリーのお家芸、マイナーでのせつない泣き節をしっかりと盛り込んであるあたり、加瀬サン、いい仕事してますな。

「渚のラブレター」はシングル・ヒット曲。ジュリー自身の作曲によるロッカバラード。

ジュリーは以前から作曲にも力を入れていて、自作曲をコンスタントに送り出して来たが、ここに来てその才能が全面的に開花した、そういう感じだ。

「テレフォン」は加瀬の作品。マイナーのメロディが魅力的なロック歌謡といったところか。

あくまでも日本語の歌詞をベースとした、ジャパニーズ・ロック。洋物ロックとは似て非なるものだが、筆者はこれはこれで好きである。

「テレフォン」からシームレスに続く「シャワー」は、これまたマイナー調の吉田建の作品。アルバム中では一番実験的というか、アヴァンギャルドな匂いのするナンバー。バンドのメンバーも、自分たちの好きなように演奏している。ここはひとつ、音のカオスを楽しむといいだろう。

ラストの「バタフライ・ムーン」は珍しくカリプソ調なナンバー。沢田自身の作曲。陽性のメロディが、ジュリーの華やかな歌声とマッチしている。

B面はいささか散漫な印象があるのだが、これはサウンドの統一感がいまひとつということによるのだろう。一方、A面だけを取ると、ほぼ完璧に近い出来。やはり、要所要所において、ブレムナーの存在は大きい。

ロカビリー、ロックンロール、パブロック…要するに「ライト(軽い&明るい)」なロックというわけだが、これは沢田研二の歌声をフィーチャーするサウンドとしては大正解。

ジュリーの声と、ハードロック系の音はやはり合わないだろうし、変に先端っぽい音よりは、ポップの王道こそ彼にはふさわしい。

ロックという音楽は、ややもすると汗臭く、泥臭くなるものだが、ジュリーのロックは、そのへんを見事に昇華して、真にグラマラスな世界を作り上げることに成功している。

これは彼が表舞台から去った後、他のどのアーティスト、たとえばB'Zにせよ、桑田佳祐にせよ、桜井和寿にせよ、生み出しえなかったワンダーランドなのだ。

今後彼が、再びこの国のショービズで華やかなスポットを浴びることは、ないのかも知れない。

だが、彼の作り出した音楽は、空前絶後のものであることに変わりないと、筆者は確信している。

<独断評価>★★★★


音盤日誌「一日一枚」#265 須藤薫「AMAZING TOYS」(CBS/SONY 28AH 1416)

2022-08-06 05:06:00 | Weblog

2005年3月20日(日)



#265 須藤薫「AMAZING TOYS」(CBS/SONY 28AH 1416)

須藤薫のサード・アルバム。82年リリース。川端薫プロデュース。

須藤薫ほど、実力のわりにヒットに恵まれない女性シンガーもいないような気がする。彼女のヒット曲って、何を思い出せる? 「FOOLISH(渚のポストマン)」? 「ブラックホール」? せいぜいそのくらいだろう。

79年にデビューしてしばらくの時期こそ、毎年アルバムをリリースしていたものの、他レーベルへ移籍後はリリースのペースも大幅にダウンしている。

過去のオリジナルアルバムの多くは廃盤状態。でもそのかわりデジタル技術の発達のおかげで、今でもその音をネットでダウンロードして聴ける。だから、彼女の音楽は不滅だと思っている。

ちょっとハスキーで、パンチのある発声、伸びやかなハイ・トーン。これぞ、永遠のポップス・シンガーって声だよな。

さてこのアルバムは「ブラックホール」ヒット後に出した一枚で、そのコンポーザー、アレンジャー陣を見ると、相当気合いが入ってるな~と思わされる。

作詞に杉真理、呉田軽穂こと松任谷由実、伊達歩こと伊集院静、田口俊(REICO)、有川正沙子、そして来生えつこ。

作曲に杉真理、堀口和男(REICO)、林哲司、東郷昌和、田口俊、来生たかお、そして松任谷正隆。

アレンジは杉真理、堀口和男、林哲司、松任谷正隆。

要するに、ユーミン組を初めとして、当時最も勢いのあったポップス・ライターたちを総投入した感があります。

ミュージシャンも、ユーミンのバック勢を初めとして超豪華。マンタさんを筆頭に、新川博、林立夫、島村英二、長岡道夫、高水健司、後藤次利、吉川忠英、笛吹利明、鈴木茂、松原正樹、林仁、難波弘之、浜口茂外也、ジェイク・コンセプションといった顔ぶれ。

これで出来ばえが悪いわけがない。

「恋の最終列車」は、セカンドラインとマントラ風のジャズィなサウンドが融合したようなナンバー。林立夫のドラミングが見事である。

「さよならはエスカレーターで」は、明らかにシーナ・イーストンの「モーニング・トレイン(9 to 5)」を意識したサウンド。ジェイクのサックスがなんともキマっている。

「この恋に夢中」はドゥワップ・コーラスをフィーチャーしたミドルテンポのナンバー。黄金のパターンに、ツボを刺激されまくり。間奏の鈴木茂の多重録音ギターがいい。

シングルカットされた「涙のステップ」は、コニー・フランシスあたりの60年代ポップスを下敷きにしながらも、アレンジはしっかりと80年代風に洗練されたダンス・ナンバー。

そのサウンドは、きわめて完成度が高い。ついでにいうと、かのつんく♂氏が最近ハロプロでやっているロッカ・バラード、ドゥワップなどのオールディーズ路線は、須藤サウンドのチンケな焼き直しにしか聴こえない。

一番ポニーテールが似合う女性歌手といえば、(岩井小百合とか、渡辺満里奈とか、みうなとか)諸説あるだろうが、やはり須藤薫でFAだろ、そういう気がする。

「1950 TEAR-DROPS CALENDAR」はアップテンポの50年代調ロックンロール。須藤薫定番の失恋ソングで、でも曲調は根っから明るい。

「RAINY DAY HELLO」はきわめつけのバラード・ナンバー。大人の恋の行方を歌った、しっとり感120%のナンバー。こういう曲でこそ、彼女の歌のうまさがよくわかる。高橋真梨子あたりと十分タメを張れてる。

「PRETENDER」は須藤薫版「悲しき街角」とでもいうべきナンバー。シャネルズの「ランナウェイ」にも相通ずるものがある。アレンジ的には大滝詠一も相当意識してるかな。

「さみしいハートにSING A RING」は、アップテンポのナンバー。これもちょっとコニー・フランシス風、ネオ・オールディーズとでもいうべき路線の、懐かしいサウンドだ。

「恋の雨音」はひとりハーモニーが印象的な、マージー・ビート調のナンバー。

ハンク・マーヴィンふうの鈴木茂のプレイも、イケてます。

「DIARY」は「涙のステップ」と好一対をなす、ロッカ・バラード。もう、60年ポップスの乙女ちっくな歌詞全開で、泣かせますな。

須藤薫のウリ、泣き節も絶好調であります。

「緑のスタジアム」は、この一曲を題材に、まんま一編の映画かTVドラマが出来そうな歌。フットボールを観戦中の男女がふとしたきっかけで知り合い、恋が始まり、そして終わるというストーリー。

アイビーリーグの大学生たちの日常生活を、そのまま切り取ったような感じで、こういう恋に憧れる女性も多いはず。

ま、筆者なんぞにはまるきり縁のない世界でしたが(笑)。

ラストの「LITTLE BIRTHDAY」は、来生姉弟による正統派ラブ・バラード。内容もハッピー・エンドで、一枚を締めくくるにふさわしいナンバーであります。

ちょっとバカラックが入ったアレンジもナイス。もちろん、須藤薫のみずみずしい歌声がこの曲の命であります。

最後に豆知識をひとつ。タイトルにちなんでアルバム・ジャケットにあしらわれたブリキ玩具は、「お宝鑑定団」でもおなじみの北原照久サンのコーディネートによるものだそうです。

彼女のようなシンガーは、男性受けというよりは、同性に支持されてこそ人気が出るタイプだと思うが、セールス的にはイマイチだった。たぶん、同時期デビューの松田聖子にだいぶん食われていたように思う(男女ファンを問わず)。

でも、歌のうまさでは決して聖子にもヒケを取らなかった。押しの弱さ、タレントとしてのキャラの薄さゆえ、人気こそ出なかったが、非常にいいシンガーだったと思う。

近年では長年来の友人、杉真理とデュオ・ユニットを組んで活動している彼女。このふたりの息の合い方といったら、ハンパではない。夫婦デュオでもなかなかこうはいかないというくらい。

その原点は、やはりこのアルバムあたりにあるといえよう。楽曲提供、アレンジ、コーラス等々、陰の功労者、杉真理のサポートぶりにも、注目である。

<独断評価>★★★☆


音盤日誌「一日一枚」#264 ミスター・ビッグ「MR. BIG」(ATLANTIC 7 81990-2)

2022-08-05 05:27:00 | Weblog

2005年3月13日(日)



#264 ミスター・ビッグ「MR. BIG」(ATLANTIC 7 81990-2)

ミスター・ビッグのファースト・アルバム。89年リリース。ケヴィン・エルスンによるプロデュース。

ミスター・ビッグという名のロック・バンドは、70年代のイギリスにもあったが、こちらはその解散後出て来た、アメリカ産のほうである。

デビュー当時のメンバーは、エリック・マーティン(vo)、ポール・ギルバート(g)、ビリー・シーハン(b)、パット・トーペイ(ds)の四人。現在はギターがリッチー・コッツェンに替わっている。

いまやロック界において、「ベテラン」の域に到達している感のあるミスター・ビッグ。そんな彼らのデビュー盤を改めて聴き直してみるに、いまさらながら、そのサウンドの完成度の高さを痛感する。

彼らのサウンドは言って見ると、70年代以来、ZEPを筆頭とする諸バンドが築き上げて来たハードロック/へヴィーメタルというジャンルを総決算、総まとめしたという印象がある。

つまり「いいとこ取り」といいますか。

たとえば、アルバムトップの「ADDICTED TO THAT RUSH」。もう、のっけからトリッキーなギターリフ、耳に突き刺さる超高音シャウト、体を揺さぶるハイテンションなビート、HR/HMのショーケースそのものなんである。

続く「WIND ME UP」も、迫力あるコーラスを前面に押し出した、ドライヴィング・ナンバー。ポールの火を噴きそうなプレイも実にカッコよろしい。

他のナンバーもいずれも、そういうハードロック・ファン好みの濃いサウンドばかり。甘ったるいバラードやスローな曲、フォーキーなナンバーなどほとんどなく、ほぼ全編テンポのあるハードなチューンで統一している。

いささかワンパターン、一本調子なのは否めないが、とにかくプッシュに次ぐプッシュ。勢いだけでは誰にも負けない、押し相撲型のバンドなんである。

エリックのヴォーカル・スタイル、声質は、ポール・ロジャーズ、ルー・グラムあたりに近い。ブリティッシュ系のハードロックにもかなり影響を受けていると見た。

そういえばバンド名は、バンド一ののっぽ、ポールのニックネームにちなんで付けられたようだが、もちろん、フリーの名曲「ミスター・ビッグ」も意識していたのだろう。エリックのフレージングには、どうしてもポール・ロジャーズ(どちらかといえばバドカンの頃のだが)の面影を感じてしまう。

デビューしたてのバンドとしては極めてレベルの高い演奏、歌、そしてコーラス。エルスンのキメの細かいアレンジも素晴らしい。いささか曲調が偏っているといううらみはあるものの、「ただ者ではない」とすべてのリスナーに思わせるだけのものを持っている。まさに、バンド名に恥じない出来。

ただ、筆者としては、欲をいうと、そのあまりのソツのなさのゆえに、特別なひっかかりがなく、どこか物足りなさを感じてしまうのも事実。

なんか購買者の全ての欲求を、可能な限り満たすべく作られた「最大公約数」的商品だなぁ~と思ってしまうのだ。

だから、筆者の個人的な偏愛の対象には、絶対ならないタイプのバンドではある。

でもアルバム中、一曲だけには「おっ!やるじゃん」と思ってしまった。

それは、アナログ版アルバムには未収録だったトラック、「30 DAYS IN THE HOLE」である。

これはもちろん、スティーヴ・マリオット作、第二期ハンブル・パイの代表的なナンバー。ライヴ・ヴァージョンを収録。

原曲にほぼ忠実なアレンジで、あのホットなグルーヴを再現するミスター・ビッグ。ことに、生のコーラスの素晴らしさは、ご本家パイとタメを張っている。これには驚き。

正直、ミスター・ビッグの、質の高いあのコーラスは、スタジオ録音でしか出来ないんじゃないかとタカを括っていただけに、見直しましたよ。

やっぱ、各メンバーのミュージシャン能力の高さは、その歌を聴けばわかりますな。

あちらのバンドと日本のバンドとの決定的な差は、演奏よりむしろ歌。そう思いました。

「最初っから大物の貫禄、それがミスター・ビッグ・クォリティ」といったところでしょうか。

<独断評価>★★★★


音盤日誌「一日一枚」#263 AB'S「AB'S」(アルファムーン MOON-28007)

2022-08-04 05:00:00 | Weblog

2005年3月6日(日)



#263 AB'S「AB'S」(アルファムーン MOON-28007)

「Act-Show」によるディスク・データ

AB'Sのデビューアルバム、83年リリース。AB'Sと小栗俊雄の共同プロデュース。

ロックにもいろいろあって、筆者の私見では大別すると「アイドルなロック」「不良なロック」「大人なロック」の三つに分かれるように思うのだが、さしずめこのAB'Sなぞは「大人なロック」の代表格ではないかと思う。

つまり、技術的に複雑なこともさらりとこなす、高度の音楽性を持ったロックといいますか。

そのことは、AB'Sの顔ぶれを見れば、すぐに納得がいくだろう。とにかく、経験豊富な巧者ぞろいなのだ。

ギター、ヴォーカルの芳野藤丸、同じく松下誠、ベース、ヴォーカルの渡辺直樹、キーボード、ヴォーカルの安藤芳彦、ドラムス、ヴォーカルの岡本郭男。松下をのぞけば、いずれもSHOGUN、スペクトラム、パラシュートといった実力派バンドに在籍していた連中ばかり。また松下も、スタジオ・ミュージシャンとして既に高い評価を得ていた。

こんな五人が結成したので、当時はスーパーグループの出現と、話題になったものである。

とはいえ、商業的には成功を収められず、結局バンドとしての活動は短命に終わってしまう。残されたのは、4枚のアルバム(ラスト・アルバムではメンバーが変わっている)。

解散後、おのおののメンバーは再び別のバンド、ソロ、スタジオワークへと散っていってしまった。

そんな不遇なAB'Sだったわけだが、貴重な音源を聴き返してみるに、「なんや、けっこうイケてるやん!」と思ってしまった。ホント、もったいないな~と思った。

AB'Sの強みは、ただ演奏力があるというだけでなく、パーソネルを見ればわかるように「全員が歌える」ということだ。少なくとも三人はリード・ヴォーカルを取れるだけの力を持っている。

これはバンドとして強力な切り札だと思う。日本のバンドは演奏に比べて歌の方がおおむね弱い。

ソロ・シンガーはまあそこそこ歌えても、バックコーラスがまるでダメとか、そういうバンドがプロでも多い。

そんな中で、ダントツの技量のリード・ヴォーカルこそいないものの、平均的な歌唱力の高さは評価していい。

ただ惜しむらくは、芳野にしても、松下、渡辺にしても、「華」がないんだよなぁ。これは致命的なウィーク・ポイントだったかも。

この国の音楽界では、「総合力」の高さって、ほとんど評価の対象にならないんですわ。やっぱ、ひとりのフロントマンの個性如何に左右されてしまいがちで。

そういう意味で、このAB'Sもまた、SHOGUN、スペクトラム、パラシュートといった先輩バンドがたどった道をたどらざるをえなかったということです。本当に残念だけど。

このアルバムでいえば、シングルカットされた「DJANGO」をはじめ、結構いい曲が多い。

アレンジ、演奏のレベルは完全に洋楽と拮抗している。そして、聴くひとが聴けばニヤリとするような上質なパクりが、随所にちりばめられているのも、聴きどころだ。

たとえば「DJANGO」には明らかにジェイ・グレイドンの影響が見られるし、「FILL THE SAIL」はモロ、ラリー・カールトン。

スティーリー・ダンの影響も見逃せない。「GIRL」なんか、まさにそう。もちろん、まんまパクりみたいなダサいことはせず、ちゃんとAB'S流に料理してあるところが評価出来る。

22年経過した現在聴いても、その演奏水準の高さには舌を巻く。世間では銀蝿一家だの、シブがき隊だのが流行していた頃、これだけ高度なサウンドを生の演奏で生み出せるバンドがあったのだ。

AB'Sのバンド名の由来はごくシンプルで、五人中三人も血液がAB型だったことから来ている。日本人では十人にひとり位しかいないAB型がこんなに集まるのは、確率的にも相当低いことである。

ただ、天才型の人間が多いとよく言われるABが揃うと、バンドの運営はものすごく大変だったかもね。

みんなの向いているベクトルが一緒のうちはまだいいが、一旦バラバラになったら、もう収拾がつかないんじゃなかろうか。

ある意味、短命はいたしかたなかったのかも知れない。

インストだけなく、ヴォーカル、コーラスも含めたかたちで、フュージョン、ファンクな音楽を追究していたAB'S。

あまりに先進的であったがゆえに、その意欲的な試みはまったく評価されずに終わってしまったが、そのサウンドは今だって十分にスゴい。

あえていおう。下手糞なミクスチャーとか、ラップとかばかり聴いてても、音楽を聴く耳は養われない。

やはり、こういう確かな技術に裏打ちされた音楽もじっくりと聴いてこそ、「違いのわかる」大人になれるんじゃないかな。

<独断評価>★★★☆


音盤日誌「一日一枚」#262 安全地帯「Remember to Remember」(KITTY 28MS 0025)

2022-08-03 05:00:00 | Weblog

2005年2月20日(日)



#262 安全地帯「Remember to Remember」(KITTY 28MS 0025)

"N"'s Home Pageによるディスク・データ

安全地帯のファースト・アルバム。83年リリース。星勝プロデュース。

知らぬ人もいないと思うが、安地は北海道旭川市出身の、リード・ヴォーカリスト玉置浩二を中心とした5人組。82年、シングル「萌黄色のスナップ」でデビュー。

このアルバムは「ワインレッドの心」の大ヒット(83年末~84年)で一躍メジャーブレイクする前にリリースされた、彼らの原点ともいうべき一枚だ。

ひさしぶりにレコード棚から引っ張り出して聴いてみると、その音の完成度には本当に舌を巻く。

サウンドの基本はヘヴィー・メタルなんだが、それにジャズやブルースやカントリー・ロックやブラック・コンテンポラリーなどさまざまなジャンルの音が融合されて、言ってみれば安地独自のサウンドに昇華されている。

とにかく、歌唱力や演奏、歌作りのうまさはデビュー当時から、折り紙付きであった。

ところが、デビューしてしばらくは、なかなか人気に火が付かなかった。

その理由は、アナログ盤ジャケットの裏の写真を見れば、明白だろう。

もう、フツーのアンちゃんたちの集団。芸能人オーラまるでナシ(笑)。衣装もダサダサ。



一応バンドの立役者のはずの玉置でさえ、ヘンなカーリーヘアでえらくイモっぽい。後は推して知るべし。

これではアカンということで、「ワインレッドの心」リリースの頃からは、アパレル・メーカーと衣装タイアップをし、髪型やメイクもバッチリ決めて、メディアに露出するようになった。

これが功を奏したのか、彼らも黄色い歓声を浴びるような、アイドル(?)・ロックバンドへと脱皮したのであった。

それ以降の、破竹の大進撃ぶりはみなさんご存じであろうから、特に記さないが、このアルバムをリリースした頃までの安地は、ただの「実力はむやみにあるが、まるで売れない玄人好みのバンド」のひとつに過ぎなかったのだ。

一曲目の「ラスベガス・タイフーン」から、そのサウンドには際立ったものがある。

玉置の張りつめたようなドラマティックなヴォーカル、矢萩のアグレッシヴなソロ、武沢の緻密なアルペジオ、六土と田中のタイトなビート。

さらには、プロデューサー星による、サックス、ハープ等を駆使した精緻なアレンジがバンド・サウンドに絡み合い、極上のサウンド・カクテルをリスナーに提供している。

特に感じるのは、6thや9thやメジャー7thといったコード遣いのうまさ。単調で平板になりがちなヘヴィメタ・サウンドに堕していないのは、やはりこういう音楽的に複雑なことをさらりとこなしているからだと感じる。

個人的に好きな曲は、シングルカットもされている「オン・マイ・ウェイ」や、「アイ・ニード・ユー」あたりかな。歌、コーラス、演奏ともに出来がいい。「エイジ」「サイレント・シーン」も、後のヒット群へと連なる黄金パターンの曲だな。

「ラン・オブ・ラック」「ビッグ・ジョーク」あたりの、シンコペーションを多用、リズムに凝った曲もいい。こういう音の捻りが出来るバンドは、そうそういないと思う。

長い活動休止の後に復活、一昨年には10枚目のアルバムをリリースした安地。いわゆるバブリーな人気とは無縁になった彼ら、今後は自分たちのペースで地道に活動していくのだろうな。

大人のリスナーも納得出来るロック・サウンドを生み出せる稀少なバンド、安全地帯。

デビュー以来不動のサウンド・クォリティで、いまの低レベルなミュージック・シーンに喝を入れて欲しいもんだ。

そのためにも、ぜひ今年はガツンと一発、ヒットを出していただきたい。期待してます。

<独断評価>★★★☆


音盤日誌「一日一枚」#261 久保田利伸「THE BADDEST」(CBS/SONY CSCL 1001)

2022-08-02 05:00:00 | Weblog

2005年2月13日(日)



#261 久保田利伸「THE BADDEST」(CBS/SONY CSCL 1001)

久保田利伸のベスト盤。89年リリース。彼自身によるプロデュース。

久保田のベスト盤は現在までに3枚出ているが、これはその第一弾。セカンド・シングル「TIMEシャワーに撃たれて」以降の12曲を収録。

キムタク・ドラマの主題曲以来、ヒット・チャートにはとんとご無沙汰気味の久保田ではあるが、もちろん音楽活動をやめているわけではない。

93年より始めたアメリカでの活動もすっかり長期化、一年の半分は日本、半分はアメリカに滞在というパターンが定着してきた。

けっして彼の国ではブレイクしたとはいえないものの、「TOSHI」というジャパニーズ・シンガーの名は次第にアメリカ人にもなじんで来たようである。

これまで何人もの日本人ミュージシャンがアメリカでの成功を目指し、その大半が惨敗の結果に終わり、ほうほうの体で本国に戻るというのがお決まりのコースだっただけに、おそるべき粘り強さですな。

宇多田ヒカルみたいに、女王様気分で乗り込んでいったところで、人種や民族の壁、言葉や文化の壁はとてつもなく厚い。一発ヒットなど狙わずに、相当な時間をかけて地道に自分の音を知らしめていく、やはりそれしかないような気がする。

今後、「スキヤキ」以来の全米ヒットを出しうるのは、久保田をおいて他にないだろう。健闘を期待したい。

さて、当盤を聴いて感じるのは、懐かしさ、あるいはこれらの曲をリアルタイムで聴いたころの記憶、どうしてもそういうものになってしまう。

告白してしまえば、恥ずかしながら筆者も、久保田にハマっていた時期があった。

87年ころだったか、トレンディ・ドラマ(死語)の嚆矢、「君の瞳をタイホする!」というのがあって、その主題曲の「You were mine」を聴いたとき、「これだ!!」とひらめいてしまったのである。

それまで筆者のカラオケの定番といえば、サザン・安地・チューブ・吉川といった大衆ウケ路線だったのだが、それらにはない粘っこい玄人好みのビートが見事にツボにはまってしまった。

以来、アップテンポの曲なら「You were mine」、バラードなら「Missing」が定番に加わるようになった、ということである。

もちろん、彼の歌はキーがおしなべて高く、フレージングも極めて難しかったのだが、周囲では他に誰も歌いこなせないだけに、歌っているだけでかなり目立てたのは事実。

今考えてみると、自己顕示欲の塊、それだけのヤナ奴でしたな(笑)。

筆者が思うには、シンガーの声にもいろいろタイプがあって、誰でもトレーニングすれば出せるような平凡な声(例えば杉山清貴とか)もあれば、百万人にひとりくらいの天賦の声というのもある。

後者の代表は、チューブの前田亘輝、そしてこの久保田利伸だと思う。

鋼(はがね)のように強靭で、しかもしなやか。歌手こそ天職!という感じの声である。

このベスト盤を聴くに、若干青い感じはあるものの、彼のヴォーカル・スタイルはデビュー当時からほぼ完成していたことがわかる。

もちろん、彼の魅力は歌声だけでなく、その生み出す日本人離れしたファンキーな楽曲にもあるのだが、これも彼の声があってこそ初めて輝きを放つもの。

他のシンガーが歌っても、たぶん、グッとくるものはないだろう。

しかしながら、現状を見るに、8年以上にわたって、久保田はヒットらしいヒットを出していない。

彼のような天性のシンガーが、何年もヒットに恵まれず、歌ともいえないような似非ヒップホップばかりがヒットする。まさに夜郎自大な状況。

現在のわが国の音楽シーンって、やっぱりどこかおかしくないか。

こんな時こそ、「本物」の復活が待たれるよね。

来年はいよいよデビュー20周年を迎えることになる久保田。ぜひ、「日米同時ヒット」という前人未踏の目標にチャレンジして欲しいもんだ。

<独断評価>★★★★