昨年の今頃、カントの純粋理性批判を読んでいた。
かなり長くかかった。
自分くらいだと、さわり程度しか理解もしていないのだろうけど・・・
今は、何か読書が加速した気がする。
気の向くままだけど、まあ哲学を本格的に学んでいる訳でもなく、
読みたいと思ったものを読む。すると、次はこれを読もうとか、
芋づる式に読みたい本が出てくる。
哲学の入門書なり、歴史なりを幾つか読んでいるので、ノーガードではないけれど。
本当は、順を追って読むのがいいらしい。
いろいろ読むと、あ、ここはニーチェっぽい、とか、ショーペンハウアーっぽいとか、
オルテガっぽいとか、色々分かって、さらに面白い。
年代は違うけど、誰かに影響受けてたり与えたりしている。
そういうものを読んだ事のある人なら、だれしも感じるのではないかと思うのは、
結局、紀元前の頃から人間は変わってないっていう事だ。
大衆について嘆いてるのが印象深いのだけど、
今の日本の様子を見ていると、なんだか絶望的な感覚にもなる。
オルテガの言うように、その大衆が20世紀になって激増し、
猛威をふるうようになった・・・・
といいつつ、現実は、ますます大衆天国の世の中になっている。
行きつく先は、ろくなもんじゃない。
すべての事に近視眼的になり、かつ、感情的になり、
物事を正しく見ようという姿勢もなく、
結果を見極めようともせず、
何が正しいか、自分なりに考えもしないし、
文句ばかり言っているだけ。コロナ脳になっているのも大衆だ。
自分が多数派の中にいると、それだけで満足してしまうし、
聞く耳を持たないどころか、封殺さえいとわない。
テレビは、そういう人を大量発生させる装置として力を発揮している。
政治家も、選挙で大衆に支持されるために、それに影響うけて行動するようになり、
大企業も、大衆という多数の客に媚び、
負のスパイラルから抜け出せなくなっている。
これを正常に戻すのは、何十年とかかるかもしれない。
けれど、そういう動きも見えない。
というか、大衆はメディアの中、政治の世界、学者、医者、至る所にいる。
今の世の中、できるだけ長生きしたい、長生きする事が目標、みたいな価値観が目立つ。
コロナにさえかからなければOKというのもそう。
未来の世界、次世代の人達に何かを託すとか、どうすれば良い状態で渡せるかとか、考えてない。
いかに生き、いかに死ぬか、の方が大切だと思うのだけど・・・
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