最近、自由を簡単に投げ捨ててしまう人が多いです。
本当はそこまでする意味も意義もないのに、
何も考えずに束縛される事を選ぶ。
でも、自由を考えると・・・・条件反射で感情的になる事も、
ある意味自由ではないというお話。
オランダに日本では江戸時代初期の頃に生まれたスピノザは、
ユダヤ社会から破門(追放・村八分状態)され、キリスト教社会からも
白い目で見られ、人生を終えたとされます。
でも、それは自分の主張、思考する自由を捨てられなかったから。
楽に生きたい、お金を稼ぎたいと思えばできたでしょう。
僅かな理解者のサポートを得ながら生きつつ幾つかの本を書きました。
聖書の矛盾を指摘する内容でもあり、(当然ながら)発禁になった
「神学・政治論」の冒頭の言葉が,
だいぶ端折りながら抜き出すと、
・・・・哲学する自由を認めないと国の平和や道徳心が必ず損なわれてしまう・・・
という言葉がでてきます。(神学・政治論 吉田量彦 訳:光文社古典新訳文庫)
続けで、生きているうちに出版する事が叶わなかった「エチカ」では、
自由な意思は遮ることはできないと言います。人だけでなく、
色々な物も、神の分身で意思である。
本人の生き方そのものです。
そして、似た感情や出来事によって、元の感情が出てくるという。
そして、他人の感情は伝搬して自分も同じ感情を感じるともいう。
この辺はよく分かる。
つまり、感情の嵐が世界を覆うという事になる訳です。
メディアが感情を煽って、それに影響されてしまう人が増える。
さらにエチカの中で、感情に関する部分でこんな事を書いています。
大まかにですが・・・
・理性的に生活している人には哀れみは悪であり無用
・理性の命令によって生活している人にはできるだけ哀れみに動かされない様努力すること
・我々は感情に導かれているときは、確実に善と知っている事をなさないし、容易に偽りの涙に騙される。
(理性によっても哀れみによっても他人を助けないような人は非人間である)
・感情に従う人は、自分の意識の全く知らない事を実行している。
・理性に導かれる人は、自分以外の流儀に従う事なく、人生で重要だと思う事を実行し、
そのために重要と思う事を求める、
・感情的な人を奴隷、理性的な人を自由な人と呼ぶ
(参考:中央公論社 エティカ (中公クラシックス) 工藤 喜作・ 斎藤 博 訳)
あくまで抜粋だし、簡略化してるので、あしからず。
一部にだけフォーカスした感情的な情報で煽らて、
冷静な思考ができないまま、血気盛んに、お互いに血の雨を降らす。
感情にはその力がある。熱狂して戦争に突入するとき、こうなっているのでしょう。
終わってから冷静になって反省するんです。でも遅い。
独裁国家は堂々とそれを利用して世論を作るし、
西側だって、広告代理店や専門家など、あの手この手で世論を動かします。
今の報道など、西側は正義、それ以外は悪に色分けしていますが、言うならば両方悪です。
だから、思考をすっ飛ばし(他人が作った)感情に乗っかって、
怒りを露わにして、片方を責め立てるだけにならないよう注意した方が良いと思います。
(一部、プーチンだけを応援してるだけの人もいるし)
当事者になるとそんな事も言ってられない訳ですけど、
でも自分たちは違うはずです。冷静になれる。
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