リョウの近況

筆不精のリョウが親・子・兄弟・親戚・友人・知人・幼なじみ達と彼らの友人達にお届けする究極のエコ便りです。

令和元年スタート

2019-05-10 01:08:02 | 国内
新しく令和の時代がスタートしましたね。
皆さんはどのように迎えられましたか?
私は娘家族と一緒ににぎやかにこの日を迎えました。

4月は私の誕生月、70歳になったので東京都内を走る全部のバスと都営地下鉄は乗り放題のパスを千円で取得しました。あちこち出かけようと数年前から楽しみにしていたのに4月に入って体調が優れない日が続きまだ1度しか利用していません。4月4日の糖尿病の定期検診では過去最悪の数値でした。

そんな中、母の93歳の誕生日を祝ってあげようと九州に行って来ました。今回は夫も一緒です。
熱もなく、どこかが痛いわけでもないのですがあまり食欲がありません。いや食欲はあるもののあまり食べる事が出来ないのです。そんな日が続いていました。

4泊5日で九州から戻って来たもののこんな状態は続いていました。
21日の夕方選挙に行っての帰り、スーパーに寄って買い物をしている途中に倒れてしまい、恥ずかしいことに救急車で搬送されてしまいました。

前日の夕飯に具沢山の味噌汁を2杯飲んだだけでお腹いっぱいでした。翌朝食欲は無かったものの薬を飲むため少し食べました。でもお昼はどうしても食べる事が出来ず抜いてしまいました。そして夕方の外出です。低血糖になってしまったのでは?と思います。今まで経験した事のない何とも言えない状態に陥ってしまいました。低血糖で命を落とす人もいるそうなので気を付けなければと思いました。

平成はそんな重い気持ちで終わってしまいましたが、令和の幕開けは可愛い孫たちと楽しく数日を過ごすことが出来て本当に素晴らしい日々でした。不思議なことに食欲不振はどこに行ったのか全く違和感なく普通に毎日3食しっかり食べていました。

体調も少し良くなってきたので無理をせずあちこち出かけようと思っています。

平成という時代

2019-04-25 01:22:10 | 国内
あと1週間で平成は終わり、新しい「令和」の時代になります。
皆さんは何か感じることはありますか?
昭和から平成に変わった日の事覚えていますか?


私はその日をシンガポールで迎えました。
国際電話で目が覚め昭和天皇が崩御されたという事を知りました。私は「崩御」という言葉をこの時初めて知りました。


この日は在留日本人もやはり日本からの連絡で知ったという人が多く、いろんな人から電話がかかって来ました。現在の様にネットやNHKの国際放送もなかったので同胞に日本の大きな出来事をいち早く知らせてあげようという想いだったのでしょう。一日中電話がかかって来て忙しかったことを思い出します。
特に多かったのは大使館に記帳に行きたいけれど何時から受け付けるのか? 服装はどんな服装が良いか? などでしたが正直私に聞かれても・・・ねぇ~? まるで私が窓口ででもあるかのようでしたが直接電話で問い合わせるのもちょっと敷居が高いからなどでした。


平成という時代は日本で大きな災害や事件が沢山ありましたが私自身も大きな出来事が沢山ありました。
平成元年3月に父が他界、6月にチュニジアに引っ越し、その後も日本、チェコ、モンゴル、兄の死、日本、ニュージーランドそして日本。

辛い出来事で始まった平成でしたが終わり良ければ全て良し!
今日(既に日付は変わっていますが)ママ友に誘われて亀戸天神に藤の花を見に行って来ました。
時々小雨も降りましたが思いがけずスカイツリーが目の前に大きく見え、藤の花も太鼓橋を渡る時上からの眺めになりとても見ごたえがありました。
まだ行った事の無い方は是非この連休に行ってみてはいかがでしょうか?




卒業式の思い出

2019-03-18 02:57:26 | 国内
3月は卒業シーズンですね。最近街で羽織袴の女子学生をよく見かけます。中には外国の観光客の人が羽織袴で歩いているのも見かけますが持ち物で卒業生か観光客かは分かります。

皆さんは心に残る卒業式の思い出はありますか?
私は一つだけ思い出深い卒業式があります。
沢山の知識を得、人生で一番勉強をしたな~という達成感がありとても嬉しく思った日です。

私は2000年のミレニアムの年に何か心に残る事を始めようと考えていました。
それでこの年からパソコンを始めようと思い先ずパソコンを買いました。

私の周りでパソコンを使っている人がいなかったので説明書を読みながら全て自分で設定しました。パソコン用語も知らなかったので何かと大変だったという一言に尽きますが、文字を読むことは好きなので何とか設定することが出来ました。

準備が出来れば先ずはインターネットです。その頃テレビで「放送大学」のCMを毎日のように目にしていて気になっていたのでホームページを開いてみました。そして資料を取り寄せることにしました。資料は直ぐに届きましたが気になりながらも毎日の生活に追われそのままにしていました。

ある日友人が、浅草の浅草寺への初詣に誘ってくれました。本堂の中まで入ってのお参りです。終わっておみくじを引きました。
「今一番気になっているやりたい事を始めるには今が最高の時期です。迷わず始めましょう」
と書かれていたのです。単純な私はそこで「放送大学」に入学すると決めました。家に帰ると放送大学から「迷っているようでしたらまだ間に合います。直ぐにお手続きを・・・」という内容の封書が届いていました。何てグッドタイミング。勿論直ぐに手続きをしました。

放送大学は文部省認定の大学です。主にテレビやラジオで勉強するのでNHK学園と間違えている人も多いのですがそれとは違います。普通の大学と同じように卒業するには既定の単位取得が必要ですし、教師の資格を取りたい人はそれも可能です。教育実習もあります。
何と言っても学費が安いことが魅力です。私の時は1科目(1単位)4,000円くらいだったと思います。

2000年の4月から私は大学生になりました。そして6年かかりましたが無事卒業しました。
千葉の幕張メッセで卒業式がありました。全国から集まっているので数千人いました。
空も晴れ渡り風もなくとても穏やかな春の一日でした。







観梅

2019-03-04 21:11:38 | 国内
2月はいろんなところで梅まつりが行われていました。
今年は3回も梅まつりに行って来ました。

1回目は2月20日(水)湯島天神の梅まつりです。梅の樹は約300本だそうです。
25年前に知り合った息子のママ友と一緒です。
5分咲きと言ったところでしょうか。雲一つない青空で気温も20℃近くまであり暑いくらいでした。
人が多くて中々納得のいく写真が撮れませんでした。

その後、重要文化財に指定されている旧岩崎邸庭園が直ぐ近くにあることを知り急遽そこにも行って来ました。急に提案した旧岩崎邸庭園行きですが気心知れたママ友も即承諾してくれました。
ここはず~と前から一度行ってみたいと思いながらまだ足を運んだことがなかったのです。写真を撮ってこなかった事が心残りです。

2回目は2日後の22日(金)、世田谷区羽根木公園の梅まつりです。
この公園はパソコン教室の近くにありますが私は一度も行った事がありませんでした。
教室の人たちが書いているブログには1年を通して何度も羽根木公園の事がUPされています。
その中でも梅まつりは盛大で今年は42回目とのことです。公園には700本以上の紅白の梅があるそうです。
天気予報では日中曇り、夕方から雨となっていましたが予想を反してほとんど雲の無い青空で暖かく良い天気になりました。

この日の本来の目的はやはり同じパソコン教室の先輩でブログを通して知り合ったSさんとおしゃべりをすることでした。同じ教室でも曜日も時間も違うのでお会いしたことは無かったのですが先月「三土代會(みとしろかい)」という伝統あるお餅つきの件で初めてお目にかかりお世話になりました。
この「三土代會」についてはまた改めて記事にしたいと思っています。

羽根木公園の直ぐ近くにお住いのSさんと待ち合わせ、園内を案内していただきました。売店で毎年一番人気で売り切れることが多いという「梅大福」と「梅まつり」というお饅頭を買って帰りました。どちらも掛け値なしに美味しかったです。どちらも梅そのものが丸ごと1個入っています。酸っぱくないけれど甘すぎでもなく絶妙の美味しさです。甘い物はあまり口にしない夫も「これは美味しい」と言っていました。

その後近くの人気のカフェで美味しいケーキとコーヒーをご馳走になりました。人生の在り方に共感することが多かったので是非お話をしたいと時間を割いていただきました。この日も本当に充実した実りある良い1日でした。ご馳走さまでした。

3回目は2月24日の日曜日です。
再び羽根木公園に行って来ました。この日も穏やかな暖かい日に恵まれました。
Sさんが送ってくれた梅まつり実行委員会作成の「世田谷梅まつり」の小冊子に24日にお餅つきが3回あると書かれていました。このお餅つきは毎年「三土代會」が担当するとSさんから聞いていたのです。
この日は梅よりも、お餅つきを見たくて正午からの時間に合わせて行きました。
出来上がったお餅は無料で配られるそうで長蛇の列でした。
私は写真を撮りたかったので人が並んでいない所に行き広い所で見ることが出来ました。
お餅を搗く時間は1回で約5分です。正午の回だけでも5~6回(もっとかな?)は搗いていたと思います。
その後1時半からの受付が始まったので私も並びました。2個のお餅、あんこときなこは搗き立てでどちらも美味しかったのは言うまでもありません。

たまたま隣に並んだ地元のおばさま(大阪のおばちゃんとは違います)とずっとおしゃべりをして思いがけなく貴重な時間を過ごしました。
隣の駅の豪徳寺という所に住んでいるとの事。豪徳寺も訪ねてみたい所の一つだったのでいろいろ教えて頂きました。招き猫はいつでも沢山おかれていること、春も良いけれど秋は紅葉がとてもきれいなので秋にも是非行ってほしいとの事でした。
この豪徳寺もブログには良く出てくるところなので行ってみようと思っています。
梅大福も梅まつりというお饅頭も完売で買えませんでした。来年に期待!


パソコンの調子が悪く急にメールの送受信ができなくなりました。今は全く問題はありませんがブログUPの出鼻をくじかれました。

下の写真の1枚目は湯島天神の梅です。
2枚目と3枚目は羽根木公園の梅です。24日はほぼ満開でした。












記録的な寒気

2019-02-10 02:31:15 | 国内
9日(土)は観察が始まって以来の記録的な寒気がやって来るらしい。都心でも雪が降り2㎝~5㎝位は積もるとのこでした。東京でも私が住んでいる所は日付が10日に変わる頃やっと降り始めました。

ワイドショウなどでもー10℃、ー20℃ではバナナやタオル、洋服などは数分でこうなりますと実演して見せてくれていました。
正直「凄いな~」とただ驚き!でしたが私は実際それ以上に凄い所に住んでいたんだな~と他人事の様に見ていました。

2009年11月末に気温+6度のチェコのプラハからモスクワ経由でモンゴルのウランバートルに引っ越しました。夫の転勤の為です。

到着したのは早朝で地上の気温は-27℃とアナウンスがありました。
飛行場の中は暖かく-27℃の実感はありませんでしたが一歩外に出た瞬間に実感しました。
それは顔に小さい何かがプチプチプチっと当たったのです。痛かったです。
外があまりにも寒かったので瞬間的に「うわ~っ!」と悲鳴を上げてしまいました。その時吐き出された息が凍って丸い粒になって私の顔に当たったのでした。後で説明を受けて納得しました。

モンゴルでは-20℃、-30℃では驚きもしません。流石に-40℃、-45℃となるとモンゴル人は家畜の事が心配で心配でどこに行ってもその話ばかりです。

私たちが行った最初の年はゾド(雪害)と言って気温は-45℃までになった所がありました。
そして真冬はあまり降らない雪が50㎝も積もったのです。そして家畜がたくさん死にました。家畜は彼らの財産なので本当に深刻な問題です。世界中から援助の手が差し伸べられました。勿論日本からも援助を受けました。

モンゴル人がなぜ50㎝ごときで顔色を変えてそんなに心配するのかと顔には出しませんでしたが最初私は内心呆れていました。日本では1mや2m積もる所も沢山あるよと言いたかったのですがモンゴル語がほとんど話せなかったので黙って聞いていました。

なぜ真剣なのかは直ぐにわかりました。
家畜の餌は草原に生えている草なのです。冬場は枯れてはいますがそれでも夏に生えた残りがあるのです。そのまだ生えている草を求めて遊牧するのですが冬の草は丈が短いので雪が積もるとヤギや羊は雪を取り除くことが出来ず飢え死にしてしまうのです。
少しの雪なら牛や馬は足で雪を取り除いて食べることが出来るそうですが50㎝は馬でも大変でその年は多くの家畜が死に遊牧民が財産を失いました。

テレビの画面はいつも現在の外の気温を表示


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我が家のベランダ側から家の内側に向けて温度計(日本製)を張り付け外出する時はいつでも確認


車の外気温が-30℃の表示になっているのに気付きパチリ! しかしこの車はトヨタのランドクルーザーなのですが日本仕様なので-30℃までしか表示できないのでは? この日は本当はもっと気温は低かったのでは?との声もあり