リョウの近況

筆不精のリョウが親・子・兄弟・親戚・友人・知人・幼なじみ達と彼らの友人達にお届けする究極のエコ便りです。

3夜連続の水難

2012-02-08 10:07:54 | その他
サェンバイノー!

1月28日(土)のお昼前のことでした。
「今、家に居ますか? 居るのでしたら玄関のドアを開けて欲しいのですが・・・。工事関係者が行きますが怪しい人ではありませんから」と上の階に住むSさんから電話がありました。その少し前に玄関のチャイムが何度も鳴っていたのですが事前に連絡が無いのは知らない人だからと安全上の理由で出ないようにしているのです。

Sさん宅は朝から水が出ないとのことです。私の家ではちゃんと出てるのですが他にも数件出ないところがあるそうでアパート全体をチェックしているとのことでした。
我が家は関係ないと思っていましたが我が家にも問題がありました。

以前夜中にゲスト用のバスルームの暖房が破裂しそれ以来、お湯が回らないように止めていたのです。そのため配管の中の水が凍っていると言うのです。
他の家もバスルームの暖房が破裂してお湯を止めていると聞いていました。Sさん宅も夜中にバスルームの暖房が破裂して我が家に滝のような水が落ちてきたことがありました。(2010/12/19深夜のパニックの記事)

メンテナンスの人が卓上コンロ用のガスボンベを両手に持っています。外から配管を暖めるそうです。モンゴルの厳しい寒さを改めて感じたところです。
そしてこれで解決・・・と思いきや・・・。

何とその日の夜中(午前2時15分)にそのバスルームの天井からまた水がポタポタと落ちているのです。以前の洪水状態を思い出しすばやくSさんに電話をかけましたが出ません。大家さん宅と交互に電話をかけていると15分後大家さんに繋がりました。
事情を話してそこから連絡を取ってもらうことにしました。
しばらくすると大家さんから電話。Sさんが電話に出ないのでこのアパートの社長に電話をしセキュリーティーの人に直接部屋に行ってもらいたたき起こしてもらうとのことです。
その間も1年前のあの‘土砂降りの雨‘状態にならないかと気が気ではありませんでした。

しばらくするとSさんがやってきました。
そして驚いたことに「ウチは水1滴も漏れていない」と言うのです。そして我が家の水漏れの様子を見て不思議そうに帰って行きました。
少し時間が経って管理会社の人とSさんがやって来ました。
どうやら原因は昼間の点検に来たときSさん宅のメーターボックスのバルブをきちんと閉めてなかったらしくそこから水がこぼれていたとのことでした。今はもう水は出ていないのでそのうち止まるとのことでした。
やれやれ・・・ベットに入ったのは午前4時でした。
そして水は翌日の午後2時半ごろ止まりました。

翌日の日曜日、夜中の1時半ごろ寝る前に水を取りに台所に行くと流しと調理台の間から水が出ているのです。なぜこんな所から?と思い流しの下を開けて見ると水が溜まっているのです。中の物を取り出して配管を見てみましたがそこからは漏れてはいないような感じです。急を要することでもなさそうなのでこのまましばらく様子をみるということで寝ることにしました。午前3時になっていました。

月曜日のお昼過ぎ大家さん夫婦が業者の人を連れて土曜日のダメージを見に来ました。
その時に流しの水漏れも見てもらいました。
その原因は蛇口の支柱からの水漏れでした。ここから溢れた水が流しを置いている台の隙間から下に流れていると言うのです。こんなところからの水漏れなんて聞いたことありません。しかもまだ築6年なんですよ。蛇口が左右に動くようになっているのでテープで補強はできません。
水道(蛇口)本体を取り替えることになり流しを取り外しての大工事になってしまいました。
ボンドを使っているので今日は流しを使わないでと言われ夕食はカップラーメンかな?と頭をよぎりました。

そして夫に電話をしているとき「今日は結婚記念日」だと思い出し外食をすることにしました。(夫は3年前からこの日を忘れています)1年に1度の贅沢です。

そしてこの日はまたまた、寝る前トイレに行くと下に水が溜まっていました。
昼間大家さんがバスルームの暖房を修理をするからとはずして持ち帰ったのです。そのお湯の通り道の栓が良くないみたいです。
今度も急を要するものではなさそうなので床の水を取りバケツを据えてまた翌日連絡することにして寝ました。午前3時でした。

昼間は大家さんや業者の人が来るのでお昼寝はできません。かなりの睡眠不足です。






再び極寒の地へ

2012-01-18 16:40:43 | その他
サェンバイノー!

先週「13日の金曜日」に極寒の地に戻ってきました。
1週間前は満席だったと言う機内のこの日はガラガラに空いていてほとんどの人は3席分使って横になっていました。私もその一人でした。
着陸前の機内のアナウンスでは時刻は21時30分、地上の気温はー27℃とのことでした。約20分遅れでしたが無事到着しました。
日本のニュースでは毎日のようにこの冬一番の寒さだと言っていましたがありがたいことに私には毎日暖かい日々でした。

実家の母が腰を痛めて寝込んでいて少し心配でしたが友人・知人の方たちが食事を差し入れしてくれたりいろいろ気にかけてくれていたのでとてもありがたく思うと同時に感謝の気持ちで一杯です。
具合が悪いと聞いてもすぐに駆けつけられないので本当に皆様には感謝しています。
勿論兄嫁にも感謝しています。
少しずつではありますが回復に向かっているようですので無理をしないよう願うばかりです。

当地に戻ってきてもなかなかエンジンがかからず少し怠け者になっています。
今まで旅行などしても全く疲れ知らずの私でしたが今回は自分の年をしっかりと受け止めなくてはいけないとしみじみ感じております。
昨日友人が頂き物のおすそ分けを届けに来るというのでテーブルに置きっぱなしにしていた日本から持参した食料などを取り合えず別の部屋に移動して見栄えよくして友人を迎えました。(笑)

さて今年もスタートを切りました。
残り少ない(と思われる?)モンゴル生活を十分堪能したいと思っています。
今年もよろしくお願いします。














新年のご挨拶(2012年)

2012-01-01 09:16:37 | その他
アマルバイノー?

       

新たな気持ちで新年をお迎えのことと存じます。
今年は今まで以上に健康(身も心も)に気をつけて生活していきたいと思っています。
今年も宜しくお願いします。

   2012年 元旦         リョウ


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上の写真は昨年11月に孫に会いに行ったときに登ったユングフラウヨッホ(3,454m)で撮ったものです。
「ユングフラウ」はドイツ語で「乙女・処女」と言う意味だそうです。
「ヨッホ」は山と山の間の鞍(くら)のように低くなった所なのだそうです。
スイスには○○ヨッホと名のつくところが沢山あるので気になっていました。

写真の後ろに写っている人たちは韓国人でとても親日家の若者達でした。数人の人は日本に留学していたとかで日本語が上手でした。「東日本大震災」のお悔やみを述べ「日本は大丈またすぐ立ち直れると励ましてくれました。こんなところでこういう人たちに会うと
嬉しくなります。


まだまだ寒い日が続くと思いますので皆さんお体には十分気をつけてお過ごし下さい。



お知らせ

2011-12-15 01:15:18 | その他
サェンバイノー!

春に予定していた一時帰国がのびのびになっていましたがやっと取れることになりました。
12月19日(月)~1月6日(金)までです。
年末年始で皆忙しい時期なんですよね。おしゃべりできるかどうかちょっと心配です。
メディカルチェックと歯医者さんにも行かなければいけないし・・・・。
でもスーパーマーケットや本屋さん、秋葉原電気街を歩くのがとても楽しみです。
そしてお決まりの美味しいものをいっぱい食べてまた太って帰るんだろうなと思います。
太ってもいいんです。期間限定でしか食べられないんですから。
ウキウキ、ランランのリョウでした。

娘と楽しい買い物

2011-12-05 00:54:48 | その他
サェンバイノー!

久しぶりに楽しい、楽しい買い物に出かけました。
買い物がこんなに楽しいと思ったことはありません。
ただ近くの普通のスーパーに行っただけなのに無償に嬉しく楽しいのです。
娘も3ヶ月前まではカメルーンですから私の気持ちは十分察してくれます。
時間はたっぷりあるからゆっくり見て回ってと言ってくれます。
1つ1つがきれいにパックされ並んでいます。
価格もチェックしましたが高かろうが安かろうがいいのです。
そこに安心して買える物があると言うのがいいのです。
どこの国の物かや偽物ではないか、偽装表示ではないかとチェックする必要もありません。

娘や孫と一緒なのですから楽しいのは勿論なのですがUBでいつも一緒なのは運転手です。言葉もできないのですから楽しいわけではありません。買い物は気分転換みたいなものです。

いつも行くコースは決まっていて東方面に行くときは2~3ヶ所のスーパーを回って食品や生活雑貨を買います。
それに今年春にオープンした「tokyo bread」というパン屋さんに寄ります。
ここは埼玉のパン屋さんで修行をしたというモンゴル人がモンゴル人価格でパンを造り販売をしています。
日本のパンを多くのモンゴル人に食べてもらいたいとの彼の師匠の気持ちを守ってモンゴル人価格で販売しています。ですから日本人にはとても安く美味しいパンを買うことが出来ます。メロンパンやクリームパン、ジャムパンなどもあります。
それにガラス張りで製造過程が見えるのも良いところです。
残念なのはあまりの人気で製造が追いつかないとのことで早く行かないとほとんど売り切れてしまいます。

西方面では両替所、市場で生鮮食品、スーパー、韓国系のパン屋さん。こちらは美味しいけれど外国人価格で高く、早く行くとまだ出来上がっていなくて買えません。

一週間の買い物(外出)はこんな感じなので楽しいなんて感覚はゼロです。
私の仕事のような義務感で行っているようなものです。
たまには一人でブラ~と出かけてみたいと思うことが多々ありますがガマン、ガマンです。
こんな日々なので日本に帰ったときは本当の意味で健康を取り戻す感じです。
近いうちに日本に帰れそうな感じです。益々元気になりそうです。

昨日は久しぶりに雪が降りました。
明日の昼間はー14℃、夜はー32℃の予報です。

今日で丸2年

2011-11-30 10:11:25 | その他
サェンバイノー!

当地に来て今日(27日)で丸2年になりました。あっという間の2年でした。
人恋しくて辛い日々も多々ありましたが何とか頑張っているというのが正直な気持ちです。
辛い原因は何といっても日本語での気楽なおしゃべりが出来ないというのが一番だと思います。
当地の日本人は単身赴任の人が多く、在住している夫人たちもしょっちゅう日本に帰っているのでなかなか親しくなれません。
日本語ができる現地の人は沢山居ますが皆仕事をしているので昼間に気軽に声をかけて食事やお茶などはできません。
モンゴル人の友人や知人は沢山出来ましたが会話はすべてモンゴル語か英語です。
年も年ですからその時はそれなりに楽しいのですがやはり疲れるのものです。

そのてん子供たちと遊ぶのは心からリラックスできて楽しめます。
現在とても私になついている子供が3人います。10才、3才、1才の子供です。
時々その家に遊びに行っています。私のことをエメー(おばあちゃん)と呼んでくれています。
その家に行くとずっと私にまつわりついて喜んでくれます。私には孫のような感じです。

そして私は今月8日から本当の孫に会いに行ってきました。昨日帰ってきたばかりです。
最初は2週間の予定でしたがその後1週間延長してしまいました。勿論夫には申し訳ないと思いましたが・・・。
娘のところからブログを書いていたのですがパソコンの調子が私の家のものよりも悪く(カメルーンの砂埃が沢山入っているためらしい)途中で何度もフリーズしてしまいとうとう帰るまでに完成しなくて諦めました。

現在の孫とはまだおしゃべり相手とはいきませんが本当に可愛いものです。
ママ、マンマくらいしかできませんが自分が怒っているときは一生懸命何か言って(赤ちゃん語と言っておきましょう)抗議していることがわかります。それがまた可愛いんですね。

音楽が聞こえると体を左右に動かして聞いています。
「むすんで、ひらいて」を教えたら私の顔を見るとその動作をしてアピールするので歌って一緒に遊びました。
この3週間で何度この歌を歌ったことでしょう。

近くに住んでいたらどんなに良いかと思いながらも今までは行きたくてもなかなか行けなかったのですからそれを思うとたま~には行ける所なので良かったと思うことにします。

孫家族に会えて本当に心も体もリフレッシュして帰ってきました。
またこれからも当地で頑張れる気がします。
婿さんと夫に感謝・・・です。

孫、スイスへ

2011-10-23 01:28:16 | その他
サェンバェノー!

お知らせが遅くなってしまいましたが孫の翔くん(と呼んでいます)は8月にスイスのジュネーブに引っ越しました。
勿論父親の転勤のためです。
もうすぐ1才4ヶ月になります。

カメルーンに居るときは食べ物や病気のことなどいろいろと心配でしたがとりあえず今度は先進国なので少しホッとしています。
今まではお互い途上国だったのでネットのつながりも悪くなかなか顔も見れなかったのですが、今度はこちらの状態が良ければ映像チャットができるので時々話をしています。
まだおしゃべりはできないので一方的に呼びかけているだけですがしっかりパソコンの画面を見て付き合ってくれるのでとても楽しい一時です。

「こんにちは~」というと頭を下げて日本式の挨拶をします。
スプーンやフォークでちゃんと口まで運べたとき上手、上手と拍手をすると一緒に拍手をします。
先日食事をしているとき私が口をあけて「ちょうーだい」と言うと画面に向かってパンを差し出してくれました。

あぁ~ウチの孫もこんな時があったな~と思い出されるでしょう?
本当に可愛いですよね。今私にとって一番の癒しになっています。

今年の夏は当地に遊びに来る予定でしたが夏場の転勤になったため計画は流れてしまい会うことが出来ませんでした。
今度は随分近くなったので時々会いに行きたいな~と思っています。



今年はアラブやアフリカで民主化のためのデモや暴動が各地で起こっていますが娘の家族のことを心配してメールを送ってくれた友人がいます。
「大丈夫です」と返事を送ったのですが、ブログを楽しみに見ている人たちの中には心配している人も沢山いるんだからそういうことはちゃんとブログに書いて欲しいとの助言がありましたのでここで報告いたします。
ご心配をおかけしましたが娘たちのところは大丈夫だったようです。


お久しぶりです

2011-10-17 01:45:13 | その他
サェンバェノー?

随分長い間ご無沙汰しておりますがその後お元気にお過ごしでしょうか?
私は取り敢えず元気ですのでご安心ください。
時々何もしたくない気持ちに陥ることがありますが生身の人間ですからそれがあっても普通なのかなと割り切って、そんなときは何もしないことにしています。(笑)

長い間ブログの更新が無く皆様には随分ご心配をおかけして申し訳ありません。
書きたいことは沢山あるのですがネット環境があまり良くなくインターネットになかなか接続できなかったり突然切れたりしていました。
せっかく書いているのに途中でどこかに飛んでいったりするので書く意欲が失せてしまっていました。

昨年はそれほどでもなかったのに今年の春頃からはひどいものでした。
パソコンを使う人が急激に増え回線がしょっちゅうパンクしているそうです。
そんなわけでつながっている時は急いでメールチェックと友人・知人のブログやtwitterを見ています。
友人や知人の書き込みは私を元気にしてくれるので欠かせない日課となっています。

私が楽しみにしているのと同じように私のブログを楽しみに見てくれている人が沢山いることをあらためて知り、また更新する気になってきました。
筆不精のリョウですがまた頑張ります。


*メールの返事を出したら文字化けして全然読めなかったという人が数人いました。
もう一度返事を書きますので遠慮なくお知らせください。


驚きの速さ

2011-05-24 02:43:14 | その他
サェンバェノー!

先日、北九州から小包を2個航空便でモンゴルまで送りました。
6kg弱と7kg弱で料金は2つで約13,500円くらいでした。
5日(木)の午前中に郵便局から送ったのですが9日(月)には既にウランバートルに到着していました。

7日(土)に東京の郵便局から15kgの小包をやはり航空便で送ったら9,850円で10日(火)には届いていました。
まとめて送ると安いです。

今はパソコンに送り状の番号を入力すると荷物が現在どこにあるのかがすぐにわかるので便利です。
今回は自分で郵便局まで行って荷物を引き取りました。

近いとはいえ一応外国ですからこの速さは驚きですよね。


*先週また雪が降りました。
朝起きてみると山は真っ白に雪化粧です。

毎年5月15日~9月15日までは暖房が止まってしまうので春とはいえ肌寒い感じです。
しかし週間天気予報では今週から最低気温も毎日プラスになっていて確実に春の訪れを感じています。




急性ストレス障害

2011-04-25 04:07:12 | その他
サェンバェノー!

モンゴルでは現地の人たちが一番いやな季節の春です。
最低気温はまだマイナスですが最高気温はプラスが表示されるようになりました。
春風と共に黄砂が舞い始めています。もうすぐ砂嵐の季節です。

さて今回の東日本大震災の影響で「急性ストレス障害」の患者が急増しているということを聞きました。
頭痛や吐き気、食欲がない、夜眠れない、なんとなく体がだるい、何もやる気がしない、いつも体が揺れているような感じ、などなどだそうです。
そして今回の大地震や津波を体験した人はもちろんこんな症状が出ても理解できるのですが全くその体験をしていない人にもこんな症状を訴えている人が多いそうです。

実は私もそんな症状が出た一人でした。
10日後くらいからです。
頭は痛くはないのですがなんとなく重い感じ、食欲はあるのに食べれない、夜眠れない、なんとなく体がだるい、何もしたくない、テレビを見ていて涙が出てくる、急に怒りっぽくなるなどです。
感情のコントロールがうまくできなくて夫に八つ当たりをしたこともあります。このときはなぜ八つ当たりをしたのかと自分でも不思議でした。

地震発生直後からず~とテレビの前から動けませんでした。
あの想像を絶する大津波も生中継で見ていました。
家や車だけではなく大型漁船までもがいとも簡単に流されていくのです。
まるでジオラマか映画でも見ているような、現実とは思えない光景でした。
でもそれが現実なのです。

上空のへりからの映像では走っている車に「早く早く、そっちはダメ危ない、Uターンして」などと心の中で叫んでいました。
大きな余震はまだまだ続いていました。
地震警報がなるたびに動きが止まり緊張し何も落ちては来ないのになぜか天井を見上げていました。

3月20日の日曜日、イギリスのBBC放送で今回の地震の特別放送すると言うので見ました。
そしてそのとき初めて目にした映像に衝撃を受けました。
福島原発の何号機かで最初に水素爆発が起きた瞬間の映像です。
11日の地震発生直後から毎日朝から夜中までほとんどテレビを見ていましたがこの映像は初めてでした。

我が家のテレビは「NHKワールド プレミアム」を受信しています。これはほぼ日本での番組と同じで日本語で放送されます。
BBCは「NHKワールド」の画像を使っていました。こちらは英語で放送されます。
主に日本人が見ている日本語放送はその爆発の時の映像がカットされているのです。繰り返し、繰り返し、何度も同じ映像を見ましたがこの10日間一度も爆発の瞬間の映像はありませんでした。
英語放送も日本語放送もその部分だけを除くと他の映像は全く同じなのです。

息子に電話で爆発のことを聞くと知っていました。他の放送局で見たのかもしれません。
私はこのときかなりのショックを受けました。
大きな余震はまだまだ続いているし、この先日本はどうなっていくのかと本当に心配でした。

こんな不安定な私を変えたのはテレビで「急性ストレス障害」の患者が急増していると知ってからです。
それは体験した人だけではなく遠く離れていて体験していなくても、テレビなどであの凄まじい光景を目の当たりにした人にも起こりうることで今回は「阪神淡路」のときよりも何倍も多くの患者が出ているとのことでした。
毎日悶々とした気持ちで過ごしていましたが私もこの患者の一人だと思ってからは少し気が楽になりました。時間と共に必ず良くなるとのことでした。

そんな時、昨年末から仲良くなった2才の女の子が最近ちょっと大変なので家に遊びに来てくれないかと言われました。
モンゴルの放送局でも当時は毎日日本の地震やツナミ、原発などのニュースが頻繁に放送されていました。
女の子はそれを見て指差しながら「マシン(車)、ヤポン(日本)、ツナミ」と言っていたそうですが私のことを心配して毎日泣きながら「エメー ヤポン ヨースノー?」(おばあちゃんは日本に行きましたか?)と何度も何度も聞くんだそうです。
今年になってからは2月の旧正月前は忙しいだろうからと遊びに行くのを控えていました。まだ1回しか行っていなかったのです。
勿論喜んで遊びに行きました。顔を見ると飛んできてエメーを連発し私にまとわりついていました。
その日から女の子は泣かなくなったそうでこの子も「急性ストレス障害」だったのかなと思いました。

急に孫の顔を見たくなり久しぶりにメッセンジャーにアクセスして孫の姿を見ました。
顔は少しお兄ちゃんぽくなり伝い歩きをするようになっていました。
う~ん 孫はやっぱり可愛いものです。
この時から私はすっかり元気になりました。もう大丈夫。リョウパワー全快です。


急なお知らせです。
九州に居る甥っ子の結婚式のため今月の27日(水)から10日間日本に帰ります。
4月には休暇で日本に帰れると言っていましたがそれがダメになったので今回は私だけです。
東京に滞在する時間が少ないので残念ながら今回はお会いできそうにありませんが夏の終わりごろ休暇が取れればいいなと思っています。
そのときお会いできればいいな~と思っています。











東日本大震災

2011-04-05 00:44:43 | その他
サェンバェノー!

2~3日前から最高気温がプラスになり昼間はとても暖かく感じられます。
道行く人も厚手の防寒着から薄手のコートになりました。

今回の「東日本大震災」では世界中に地震大国日本のことが大々的に報道されています。
それと同時に日本人の素晴らしさも報じられています。
日本人としてはごく当たり前のこと、一般的な日本人だと思いますが他国ではそうではないから驚かれるのだと思います。
取材に来た各国のメディアの人が口々に伝えているのです。
日本人はみんな礼儀正しくマナーもすばらしいと言うことは以前から知ってはいたがこんな混乱の時でさえきちんとしていると。

家に帰れない人たちが駅やビルの階段に座って携帯で情報を得たりしているけれど通行人の邪魔にならないように皆左右の壁側に座っていていること。

タクシーやコンビニで長い行列ができていてもみんなきちんと並んで順番を待っていること。

避難所で朝からおにぎり1個だけ食べたと言う人に「大変ですね」と声をかけると「自分は命があるだけでもありがたい。亡くなった人やその家族はもっと大変です」と感謝の気持ちを誰もが持っていること。

開業医のドクターが病院ごと全部流されてしまい患者さんに何もしてあげられないと涙を流していること。

不眠、不休で治療や看護、物資調達や捜索などをしている人たちも皆自分は仕事をしているだけ、被災者の方たちはすべてをあっという間になくしてしまったのでその人たちのことを思うと疲れたとか休みたいなんて思わないと言っていること。

誰にでも親切。
東京に駐在しているあるメディア関係者がたまたま休暇を利用して友人5人と仙台に遊びに行きちょうど海岸を散歩しているときこの地震にあったそうです。
地震だけでもかなり恐かったのにその後のサイレンがとても恐くて(津波警報とは知らなかった)右往左往していると近くにいた年配の人がトラックに乗れと言って荷台に上がって手を差し伸べてくれたそうです。
そして高台まで連れて行ってくれその後5分もしないうちにツナミが来たそうです。彼が居なかったら今頃私たちは・・・と涙ぐんでいました。

また歩いて帰っているとき疲れはてて立ち止まってしまったらペットボトルを1本くれた。お金を払うと言ったのに「いらない、暗いから気をつけて帰ってください」と言われた。

足に豆ができて痛くてしゃがみこんでいたら年配の女性がバンドエイドを差し出してくれた。
などと言っていました。

そして何よりも略奪がおきないと言うことが信じられないくらいの驚きだったようです。
どこの国でもこんな混乱状態のときは我先に店に飛び込んであらゆる商品を持ち帰り、奪い合いをし争いになる。
しかし日本では少ない食べ物を分け合って、しかも小さな子やお年寄りを優先に食べさせる。

救援物資をもらうときも皆きちんと並んでもらっている。こんな光景は今まで見たことがないと言う人もいました。


日本人は本当にすばらしい国民だ。どんな教育をしているのか。なぜこんなに礼儀正しいのかと座談会形式で話しているチャンネルもありました。
某国の人は日本のように礼儀正しく、マナーをわきまえてと教育をしても自国民では100年経っても同じようにはならないでしょうと言っている人もいましたよ。






大災害

2011-04-01 03:06:09 | その他
サェンバェノー!

2011年3月11日、東北地方太平洋沖に巨大地震が発生しました。
その後大津波が発生しその影響で福島第一原発も被害を受け今、日本は大変なことになっています。

この東北関東大震災で被害にあわれた方には心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く普通の生活を取り戻すことができますようお祈りしています。

2001年アメリカの「9,11」はとてもショッキングな出来事でしたが私にはそれ以上に2011年の「3,11」はショックが大きかったように思います。それは母国日本の出来事だったからでしょうか?


その日は午前中馬頭琴の練習に行き、その後買い物をして帰宅し、昼食を終え当地の午後1時45分を少し過ぎたころでした。

「NHKを見て!すぐに!」と夫からの電話でこの巨大地震のことを知りました。
夫の実家は茨城県です。水戸のすぐそばです。水戸では震度6強となっていました。

義母や義兄、義姉たちは無事だろうかと何度も電話をしてみましたがダメでした。いつもならメールを出せばすぐに返事が返って来る義兄にメールをしても長い時間返事がなくとても心配しました。

夜9時か10時ごろやっと義母の元気な声を聞き、また義兄も義姉たちもみんな無事と聞き一先ず安心しました。
「海からも近いし(7~8km)近くに大きな川もあるので津波にも気をつけてください。」と言うと
「そうだね、2mくらいの津波が来るかもしれないと言ってたね。」と言うのです。
停電になりテレビも見れないので今どうなっているのかわからないとのことでした。
現在の日本の様子を簡単に説明するとさすがに驚いていました。


東京も震度5弱となっていたので息子にも同じように何度も電話をしましたがやはり通じません。
義母と連絡が取れると私も少し落ち着き、息子にはメールをすればいいんだとそこで気がつきパソコンを開くと「生きてます」というメールが既に届いていました。

その後すぐに電話が通じたので少し話をしましたが「会社はビルの9階なので怖かった。揺れが激しかったのですぐに非常口のドアを開けに行った。」と言っていました。
とりあえず安堵しましたが余震が続いていたのでとても心配でテレビから目が離せませんでした。

津波の映像が中継で流れた後からはモンゴル人の友人や知人から沢山電話がかかってきました。皆日本語ができます。
「お父さん、お母さん、息子さんは大丈夫ですか?」と心配の電話です。
私の母は地震から遠く離れているから大丈夫だけれど義母と息子にはまだ連絡が取れていないと言うと皆本当に心配してくれました。

我が家の運転手のところにも親戚や友人から電話が沢山来ていて皆自分の家族と同ように心配していると電話がありました。
義母と息子にまだ連絡が取れていない旨伝えると益々心配そうでした。
「モンゴル放送で、今日本の携帯にはかかりにくいので家の電話にかけるようにと言っていますからそうしてみてください。」と再び電話で教えてくれました。
「義母は携帯を持っていないので家にかけているんだけれど・・・」と言うと運転手だけではなく私まで益々心配になってきました。

翌日の朝電話で目が覚めました。
「バイノー?(もしもし?)」
モンゴル語で始まる電話はほとんどが間違い電話です。先方が間違いを悟り電話を切るまで私はいつもお付き合いをします。
今回も先方がモンゴル語で何か言っていたのでそうするつもりで聞き流していました。
しかしその中で私の名前が聞き取れたのです。 まじめによく聞いてみると、日本、ツナミ、あなたのご主人、お母さん、息子、大丈夫? と言っています。
どうやら2人の安否を聞いているようです。

「ヘン ベー?(どなた様ですか)」と聞くと
「バテネン アーウ(バテネンの父です)」と返事です。(カタカナで書くとバトゥエルデネと書くのですがそう言ってるようには全然聞こえません)

運転手のお父さんからでした。
そう言えば最初にエルデネという単語も聞こえたなーとも思いました。

急に背筋を伸ばして丁寧に答えました。
「ミニー ヌフル エイジ ズゲール(私の夫のお母さんは大丈夫です)」
「タニー フー ウェ?(あなたの息子さんは?)」
「ミニー フー ズゲール(私の息子、大丈夫です)」

「OK お母さんも息子さんも大丈夫で良かった。私の息子からはまだご主人のお母さんとあなたの息子さんの2人と連絡が取れていないと聞いていたので心配していました。」多分このようなことを言っていたと思います全部は聞き取れませんでした。

運転手のお父さんには2回お会いしたことがありますが日本語は全くできません。
そして私がモンゴル語ができないのもよく知っています。(お会いしたときは今よりもできなかった)
それなのに自分で直接電話をしてくるなんてと驚きですがとても気持ちが伝わってきて嬉しかったです。

日本と連絡が取れた時点で運転手に電話をしておこうかとも思ったのですが翌日伝えればいいかと電話はしなかったのです。
翌日無事を伝えると既に知っていました。
お父さんが何度も電話をしてきて安否を気遣っていたそうですが朝自分で電話をしたと言って2人の無事を知らせてくれたと。
昨年の一人旅の時1泊したのですがゲスト帳に私の名前と電話番号を書いてほしいと言われ携帯番号を書いてきました。
全く言葉がわからないのにこの行動力に脱帽です。









ノー アルコール デー

2011-03-05 22:54:37 | その他
サェンバェノー!

旧正月が明けて少し暖かくなったので時々雪が降るようになりました。
こちらでは暖かい日の後は雪と言われています。
去年はこんなに雪は降らなかったように思ったのですがちょうど去年の今頃は日本に帰っていたので記憶になかったのでした。
まだまだ最高気温はマイナスです。

当地では毎月1日は「ノーアルコールデー」でレストランではお酒を提供できません。
そればかりではなくスーパーや個人商店でもお酒の販売はできないのです。
この法律は2009年12月から施行されました。

私たちが当地に来たのは2009年11月末でした。
初めてのこの「ノーアルコールデー」の日はまだホテル住まいで夕食は毎日ホテルの中華レストランで取っていました。
毎日ホテルのレストランとはなんて贅沢なことと思わないでください。
外は-35℃の世界、歩いて外には出られないので選択の余地はないのです。
チェコと比べるとかなり美味しかったのでまだよかったのですが…。

12月1日の第1回目の「ノーアルコールデー」はお店の人たちもまだ慣れていないようでした。
いつものように食事とビールをオーダーしました。
しばらくすると別のウエイトレスがやって来てきつい口調の片言日本語で「お酒はだめよ!」とだけ言って立ち去りました。
「はっ??? 何今の人? よけいなお世話だよね!」何がなんだかさっぱりわかりません。
後日わかったのですが困ったスタッフは日本語のできる友人に電話をし教えてもらった即席日本語でした。

ただ一言告げて立ち去ったため半信半疑でしたがビールは出てこなかったのです。
それでは売店で買って行こうと立ち寄ってもビールはありません。勿論他のお酒も。

数日後現地の人にこの話をして初めて「ノーアルコールデー」が施行されたということを知りました。
当地での犯罪はお酒がらみの喧嘩が一番多く傷害だけではなく殺人に至ることも多いそうです。
また酔いつぶれて路上で寝てしまいそのまま凍死する人も多いそうです。
皆に飲酒の意識改革を促すために設けられたそうです。

夫と違ってお酒が飲めなくても買えなくても私には全然関係のないことと思っていました。
ところがこの「ノーアルコールデー」が私にも大きく関係する出来事がありました。

中国より夫のお客さんが2泊3日で当地を訪れました。
1日目の夕食は日本食レストラン、2日目は我が家でとなっていたのです。
2月28日の午前中夫から電話がありました。
我が家での夕食を明日に変更して欲しいとのこと。中国からのお客さんは明日到着なのです。

日本食レストランのシェフから電話があり明日(3月1日)の予約が入っているけれど、明日はお酒の提供ができない日なのでそれでも良いのか一応確認したかったと。(シェフは夫がお酒大好きなのを良く知っています)
勿論夫は予約を翌日に変更したのは言うまでもありません。

この1時間前に私は友人宅に午後遊びに行く約束をしたばかり。日本に帰っていた友人がお土産に生鮮野菜を買ってきてくれたのでそれを受け取りに行くことにしていました。買い物はその後です。夕方野菜だけ買って帰りました。

実は3日前の金曜日に我が家でちょっと大きなパーティーをやったばかりだったのでこのお客さんたちのメニューはまだ決めていませんでした。気分的には少々焦ります。
食材や飲み物は多めに買っていたのでまだ十分残っています。
ゲストは3人なので買い物のあと運転手に手伝ってもらってテーブルやソファーを以前の状態に戻し、日本人なので比較的楽にメニューも決まり(レパートリーが少ないからかも)落ち着きました。

ノーアルコールデーはこんな形で私に降りかかってきました。











大病を患ったパソコン

2011-01-30 14:20:16 | その他
サェンバェノー?

ずいぶんご無沙汰していましたがその後お変わりなくお過ごしでしょうか?
前回の投稿から40日あまりが過ぎてしまいましたがその間変化の多い刺激的な毎日を送っていた私です。
投稿がないので多くの方がもしかしてまた病気では?と心配してくださったようで申し訳なく思っています。
今回は私ではなく当地での私の親友マイ・パソコンが大病にかかってしまい、ただ一人付きっ切りで看病していました。

そうなのです。ウイルスに感染してしまったのです。
昨年の12月中旬に夫が撮った写真を夫のパソコンに取り込もうとカメラを繋いだら何と「ウイルスに感染しているのでパソコンへの取り込みをブロックしました」と表示されたのです。

夫は少し焦ったようですが私はそれを聞いて、”あ~やっぱりそうだったのか~”と納得しました。
というのもその1ヶ月くらい前からパソコンの動きがおかしかったのです。
マウスを動かしてもいないのに勝手に動き出したり、自分とは違うパソコンの画面が一瞬チラッと見えたり(日本語ではない)、極めつけは画面右下に「新しいディバイスが見つかりました」「不審なディバイスが見つかりました」「安全なディバイスが見つかりました」などとメッセージが出てくるのです。
ネットで友人たちのブログを覗いたり調べものをしている時にです。

USBなど接続したりしてもいないのになぜこんなメッセージが出てくるのか理解できませんでした。毎日のように出てくるのです。
今までにもパソコンの調子が悪いとすぐ、”もしかしてウイルス?”と思ったことがありましたがそうではなかったので気になりながらもそのままにしていたのです。

12月下旬に娘たちが休暇で日本に帰るということなので私たちも年末年始は孫と一緒に過ごすことにしていました。
日本に帰ってもお店は休みだろうし修理には出せないけどパソコンを持って帰ることにしました。パソコンに強いさとし君に見てもらったら?と言う夫の提案でした。

新しいウイルスバスターを買って(今までのは10月ですでに期限切れ)調べてもらったらウイルスは次々と入って来ますがまた次々と削除もされているのがよくわかります。
でも8つは削除できないとのメッセージなのでリカバリーをしないとダメとのことでした。

「リカバリー用のソフトがあれば今やりますよ」と言ってくれたのですが残念ながら持って来なかったのです。
仕方がないのでやり方を教わり帰ってから自分ですることにしました。簡単にできそうな気がしました。

こっちに戻って来た翌日一番に取り掛かりました。
バックアップウイザードを使い途中どちらのコースにするか選択するところがありましたが「初心者にはこちらを強くお勧めします。」の方を勿論選択しました。これはバックアップしたものを別のドライブに移しその後Cドライブを初期設定に戻すという方法です。

そのときちょっと心配になりました。パソコンの中で移動させるだけならもしかしてウイルスも入ったままなのでは?と。
どうしても気になったのでその前にCDにも焼いておこうと思いました。DVDーRなら2枚、CDーRなら10枚必要とのこと。
生憎どちらも持ちあわせがなく買いに行ったのです。しかしここはモンゴル、そう簡単には手に入りません。4日後にやっとCDーRが手に入りかなり時間はかかりましたが作業は無事終わりました。
作業はいつも夕食後、時間はかかったけれど気分は爽快でした。乾杯をしたい気持ちでしたが朝7時なのでお預けです。

ところが気分爽快もつかの間、私の予想通りウイルスはしっかりと残ったままでした。
ブログの更新をしなければと書き始めたらやはり「ディバイスが見つかりました」と表示されるのです。
これっていったい何?とアイコンにマウスを近づけると何とパソコンの持ち主らしい人の名前や番号が表示されました。「○○○○’PC」というふうにです。”困ったときの右クリック”を使ったら何と34人分のパソコンのアイコンが表示されました。驚いたのは言うまでもありません。

早速また最初からやり直しです。今度は上級者向けのコースを選ぶしかありません。こちらはパソコンの中をすべて空にし買ったときの常態に戻すということです。選択の余地はありません。説明書を読みながら慎重にやってみました。間違わないようにと何度も確認しながらです。”買ったときの状態”という言葉にかなり緊張しましたが何とかそれもできてしまいました。

今度は気分爽快ではありません。本当に大丈夫なのかと心に残ります。
まずは使えるようになったことを子供たちに知らせました。返事も返ってきて一安心。いつものメッセージも出てきません。
とりあえず届いていたメールの返事を出さなければ…。(新年のためいつもより多くのメールが届いています)
1日中使っても問題はありません。少し笑顔が戻ってきました。

ところがところがここはモンゴル、翌日にはまた使えなくなってしまいました。今度はインターネットにアクセスできないとのメッセージです。週末だったため利用している人が多くてアクセスできないのだと思っていました。
ところが週が明けてもやはり接続できません。
もしかしてネット使用料を払っていないのでは? 昨年1月この家に入ったとき1年分払ったと言われたのに使えるまで数日かかったのを思い出しました。1年分の期限が切れた時期です。大家さん代理に確認してもらったら一昨日払ったとのこと。蕎麦屋の出前だったのか一昨日から計算すると1週間もかかってようやく接続できました。

めでたし、めでたし。メールは問題なく使えます。
ところがこれからがまた一苦労。パソコンは買ったとき(2006年12月)の状態です。バックアップしたものはいろんなソフトが自動更新でバージョンアップされているのでそのままでは使えないのです。ソフトの一つ一つを手動でバージョンアップしていきました。これはかなりめんどうです。上級者向けと言うのもわかります。

どうにかこうにか私のパソコンも回復しリハビリも終えてまた元のように元気に働いてくれるようになりました。
そんなこんなで私は少々疲れ気味(毎日夜中の作業だったため寝不足)ではありますがまた近況をお伝えできると思います。

今振り返ってみると難しく考えたり緊張したりでしたので大変な作業だと思っていましたが一度経験すると意外と簡単なんだという感想です。もし誰かにリカバリーを頼まれたらすぐOKしそうです。(笑)

今年もよろしくお願いします。





















深夜のパニック

2010-12-19 00:25:35 | その他
サェンバェノー!

金曜日の夜の出来事です。
翌日は土曜日。夕食後をのんびりと過ごし遅い時間のシャワーを浴び、そろそろ寝ようかと思っているとき廊下から何か音がするのです。ポトッ、ポトッ、と。
行って見ると廊下の真ん中の一部分が光っていました。
水です。
何だろう? と思って上を見上げたら天井に張り付いている電気の笠の割れ目(プラスチックに亀裂が入っている)から水が漏れているのです。
何が起こっているのかちょっと理解できませんでした。照明器具から水漏れ???
とりあえず夫を呼びバケツを置いて二人で何が起きているのか考えましたがさっぱり理解できませんでした。
時間は深夜の2時半。
このまま様子を見ようとその場を離れました。

ちょっとテーブルの上を片付けて寝室に行こうと廊下を通った時ザァーザァーと激しい雨のような音が聞こえました。
珍しく豪雨かと思って書斎のカーテンを開けましたが雨は降っていません。
豪雨なんかじゃないよね~、この気温(-36℃)なんだから降るなら雪でしょうと思ったのですが、ではこの音は何?と音の正体が気になりました。

廊下の横にあるゲスト用のバスルームのドアを開けて悲鳴をあげてしまいました。
洗面所の方は壁のタイルのつなぎ目から、奥のお風呂場は壁と天井から水がザァーザァーとものすごい勢いで降っているのでした。

とりあえず一番ひどい所に洗濯物を入れるバスケットを置き、すのこやマットなどを取り除き雑巾で水を絞り取りました。
それでもどんどん水は落ちてきます。
そうだ上の階の人に連絡しなくちゃ。
大家さんは今海外です。何かあったときはこの人にと連絡先をもらっていたのでその人に電話をかけました。(日本語の出来るモンゴル人)
お風呂場の滝のような水音も聞いてもらって上の人に連絡をしてもらいました。

ありがたいことに大家さん代理の人は時々上の人の状況を知らせてくれました。
上の階の人は全くこの水漏れには気がついてなかったようで電話で初めて知り大慌てしているようです。
水漏れの原因はバスルームの暖房のパイプが割れて温水があふれているとのこと。
暖房の会社のセキュリティーに連絡して地下にあるバルブを止めてもらうよう手配したけど会社の人が来るまで少し時間がかかるのでもう少し待って欲しいとのこと。

どのくらい時間が経っていたのか分かりませんが上の人がやってきました。
英語が出来る奥さんでした。かなりパニックになっているのがわかります。
「ソーリー、ソーリー」と興奮して言いながらお風呂場に向います。
「もっと早くここに来たかったけど雑巾で何度も水を絞り取って一段落したところです。お詫びが遅くなってごめんなさい。ダメージの修理は私の方でやりますので安心してください」と言うようなことを早口で言って帰って行きました。

完全に水漏れが収まったのは午前6時ごろでした。