8月7日(金)西日本新聞夕刊などで、元西鉄ライオンズ投手・西村貞朗さん逝去の記事が出ました。本日8日(土)は西日本新聞朝刊をはじめ、西日本スポーツなど各紙でも掲載されていますが、ご本人およびご遺族の意向で密葬等が済み、静かなお見送りとなったようです。
写真は、雑誌「野球界」昭和28年12月号より、全米チームの一員として日米野球で活躍、ロバット投手に指導を受ける西村さん。翌年にはニューヨーク・ヤンキースから春季キャンプ招待の話も来ますが、三原脩監督らの説得で渡米を断念。幻の大リーガー投手でもあります。
西日本新聞の記事「元西鉄ライオンズ投手、西村貞朗さん死去 完全試合達成、黄金期支える」
実は、西村さんご本人からつい数週間前までお電話をいただく等、晩年は親しく交友させていただきました。西村さんは西鉄ライオンズだけでなく、太平洋・クラウン・西武を含めたライオンズ球団OB会結成を真剣に模索して動かれていました。ご自身の経験や視点からの西鉄ライオンズの本を私に書くように強く勧めていただき、お身体の状態が良い時は平尾のロイヤルホストでお会いし、打ち合わせを重ねていました。
また、来年の初日本一60周年で私が提案したプランにもいち早く賛同いただき、実現へ向けて進行中の記念企画で改めてご活躍いただく予定でしたが、全て叶わず本当に残念です。
上の写真は2011年9月、西武ドームでのライオンズクラシック試合(対ソフトバンク戦)にて、ダグアウト裏の選手用階段にて小久保裕紀さんと西村さんのツーショット。写真はたしか西村さんのカメラで私が撮影し、その後にお二人の直筆サインが添えられていただきました。この時、西村さんの周囲には中西太さんや豊田泰光さんらも居たんですが、小久保さんはまっすぐに西村さんのところへ駆けつけ真っ直ぐに挨拶。試合後、送迎バスでの見送りにも来られていて、師弟関係という噂が本当だったんだなと驚いた記憶があります。
豪快なOBが多いなかで、常に冷静に周囲を観察され気配りをする紳士という印象の西村さん。ジャズがお好きで、福岡における戦後のジャズ史談義を幾度も伺い、福岡の音楽シーンに名を遺し歌手・高橋真梨子さんらを見出した深見俊二さん(2年前から闘病中、まだご存命かと)の事も色々教えてもらいました。
完全試合を達成した際の配球をはじめ、肩を壊した後の苦労話も含めて確かな記憶と勉強熱心な性格で小さな質問にも親身になって返答してくれる方でした。西村さんとの会話や解説で気づかせていただく事も多く、また野球だけでなく福岡の文化史にも見識が広い西村さんには感謝ばかりです。
ご冥福をお祈りするとともに、私にできることで恩返しができればと決意新たに…。