marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(94回目)

2016-08-15 11:09:36 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆最近引用は口語訳 国際ギデオン協会(BOOK OFF 100円から)
さて、前回のこと。第13章から飛んでしまいますが、前回の終わりに書いたことの宿題を済ませます。
自分の言葉で、正直、8W1H(who,whose,whom,which,what,where,when,why,how:=通常は5w1hと言われていて不要なのがありですが)そのことを考慮しながらでも順序立てて読んでいくと、どうもこれは、割り込ませたのかなと思う章があるわけです。かといってイエスの言葉は決して否定されることではなくて、むしろ、ヨハネさん(の属する群れの人達が)最終章21章25節に書かれたように「イエスのなさったことは、この他にもまだ数多くある。もし、いちいち書き付けるならば、世界もその書かれた文書を収めきれないであろう」との言葉のとおり、いろいろ多くのイエスの述べたことが記録されており、また、イエスが天に帰られてから送られた助け主(真理の霊)に多くのことを教えられ、その”わざ”を反芻するに及んで、そのことを書留め伝えたいとの思いが、事実、イエスが話されたであろう説教が割り込まれているところがあると(僕が思うだけかもですが・・・)思わされる訳だ。公の三年間ほどで、世界も収めきれない文書が書けるというのは、むしろ、イエスが送ると言われた真理の霊が彼を信じる多くの真摯な信者によって今も証し(キリスト者がイエスを述べんとする体験、あるいは経験としての口で、言葉で言い表すこと)として書き続けられている事実を見ると、当然そのこともすべて含んでいると考えられる訳だ。さて、もどり
◆それは、第14章(今回だけ宿題終わらせるので飛んでます)の終わり31節、「~さあ、ここから出かけて行こう。」は最後の晩餐を終えて、イエスが弟子達に出かけようと言われたとこと。この節は、ずっと飛んで第17章の終わりに27節として(或いは第18章1節の前に)挿入した方がよかったのではないのかな皆さん、よんで確認してみてください。この間の告別説教は、すでに第6章当たりまでに話されていた、イエス(自分)はなんであり、何の為に使わされ、そのため十字架に掛かり、”わざ”を表し、天の父なる神のもとに返り、真理の霊を送り、再び迎えに来る。それまで、わたしに繋がっておれ。わたしを信じろ。世の終わりまでわたしは共にいる。このように言われたことが書かれている訳であとは内容見ると、告別説教は受難劇(こう簡単に書いては不謹慎ですが)はあるが要は、同様のことがイエスが言われているようだ。
◆ヨハネさんの群れは、時間経過の中で、イエスがおられたときの話、また、動かしがたい”わざ”の証人、天に帰られてから送られた真理の霊(聖霊)による、人々の証しによって、当時もそして、信ずるであろう将来のイエスが再び迎えにくるまでの起こされたキリスト者への励ましの言葉をイエスは告別説教で残したのだということを記録した訳だ。ということで、わたし個人のこと・・・
◆わたしが訳もわからず兎に角、その路線にまずは乗ろう、どこ行くか分からんがと意を決して乗り込んだとき、もらった言葉が、ヨハネ伝第1章12-13節であった。また、外から見ると、どうしてもいろいろ雑多な知識ばかりが、腐るほどあるしそれだけ、世界もその文書も収め切れないとなる訳だろう。欧米の哲学や政治、歴史、経済、心理、教育、芸術など、どれをとっても今を動かしているそれぞれの学は必ずと言っていいほど、どこかでキリスト教に結びついているを知った。それら我々に言葉を委ねる事によりイエスの言葉は万人に開放された、命の言(ことば)、霊なる命の言は解放されたのだ。前にも書いたが地球に生きる被創造物としての人間共同体のひとり一人の責任は非常に重くなっていると言えるのではないだろうか。歴史においてイエスをことばを信じた事により、喜んで死を掛けて生涯を全うした人々の謎を知りたいと思う気持ちは今後も変わらないだろう。・・・Ω 




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