marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(100回目)

2016-08-17 20:26:07 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆
98回目を読んで欲しい。口語訳は裏切ったユダによって神は栄光をお受けになったと読める箇所があると書いた(13:31-32)。写本によっては32節が無いものもあると書いた。口語訳を30節からそのまま書いてみます。
 (13:30)ユダは一切れの食物を受けると、すぐ出て行った。時は夜であった。
 (13:31)さて、彼が出て行くと、イエスは言われた、「今や人の子は栄光を受けた。神もまた彼によって栄光をお受けになった。
 (13:32)彼によって栄光をお受けになったのなら、神ご自身も彼に栄光をお授けになるであろう。すぐにもお授けになるであろう。~」
これは、どうもおかしく読めるので他の訳ではイエスが言われた「 」内の”彼”は、イエスが冒頭に言われた”人の子”という言葉できちんと書かれています。
◆随分な昔、「ユダの弁護人」という本を読んだ気がする。その本どこかに埋もれてしまったが、イエスと父なる神の最終目的、ひとり子イエスを十字架刑にしたのが、その目的を達成し栄光を帰した役目を負ったのがユダであった、というような内容であったかと思う。
◆それで、僕は何を言いたいのか。ヨハネさんが一番長生きしいろいろイエスとその周辺事情を他の福音記者よりは多く手に、また耳にすることが出来た割には、他の福音書が裏切ったユダをぼろくそに書いているのに較べさらりとしか書いていないのはなぜなのか?(13:2)夕食のとき、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていたが~、(13:26)~そして、ひときれの食物をひたしてとり上げ、シモンの子イスカリオテのユダにお与えになった。(13:27)この一切れの食物を受けるや否やサタンがユダに入った。そこでイエスは彼に言われた、「しようとしていることを、今すぐするがよい」。(13:30)ユダは一切れの食物を受け取ると、すぐに出て行った。時は夜であった。・・・それから長いイエスの告別説教がつづき次ぎにそのユダが出てくるのは(18:2,3,5)で一隊の兵卒と祭司長やパリサイ人たちの送った下役どもがイエスとその弟子たちのいたゲッセマネの園に捕縛の為に来ていた中に一緒に立っていた。で、それ以降彼(ユダ)の出番がないのだ。書かれていないのだ。 いずれもヨハネはその場にいた弟子のひとりであったのに!
◆イエスが昇天し、真理の霊を下されたその大任を負ったのはユダであった。「しようとしていることを、今すぐするがよい。」これは、イエスがユダの中に入ったサタンに話したのである。ヨハネは、ユダの弁護人の気持ちになったのか、又はミイラ取りがミイラにならにように闇ではなく常に光を求めよと思って書かなかったのか、長生きしたヨハネは彼のことをどう思っていたのか。ものすごい神の逆説がここに見える。・・・Ω 

世界のベストセラーを読む(99回目)

2016-08-17 19:09:59 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 来年はプロテスタントの開祖、ルターさんの宗教改革500年、彼が福音書を読むのであれば他はいいからヨハネによる福音書を読みなさいと言われたので(「聖書への序言(1522年)」)ずっとヨハネ伝を読んで来た。途中、かなり脱線したけど。んで、他の共観福音書と言われるマタイ、マルコ、ルカと違って少し毛色が異なるように書かれているのはヨハネさんでこの方は長命で書かれた順番から言えば、マルコが紀元70年ころ、マタイ、ルカが~80年ころにかけて、ヨハネさんは90~100年ころと言われてるらしいけど、特徴が、まず、はっきり本文の中に自分のことを「イエスに愛された弟子とか、その弟子とか」と書いている方なのね。直弟子で福音書を書いたイエスの出来事の結果としての検証も出来た人ということ。
◆ダビンチの最後の晩餐の左のピンク色ふうの女性のような姿に見えるけど、これは先の回に書いたけどペテロに「おい、ヨハネ、わたしを裏切る者がいると今、言われたのは誰のことか訊いてくれ」と耳打ちされている方となります。つまり、キリストに最も愛されている(そちらの方でなくアガペーの”愛”の方ね)弟子であり、イエスのその場、その場の当事者として現場の実況中継ができた人であったということです。最後のイエスが復活したお墓にもペテロと行き、空っぽの墓を確認した人でもある。その他、イエスに弟子として目の前でさしで語れた証人者、更にイエスの昇天後の母親の面倒も託された方でもあり、ですからその群れ(共同体)にはイエスのわざで奇跡を起こされた人やイエスを信じた人々が多くいただろうということが推測される訳ですね。
◇じゃぁ、マタイさんもそうなの、イエスにより改心した取税人の?。しかし、この方はマルコさんと共に部分的にしか福音書の中には出てこない・・・残念。
◆読まれたように周囲には多くの怖い存在となった権威あるユダヤ人達がいたわけでしょう。こういう緊張関係の中にあって、ヨハネさん(その群れの人々)は、昇天されイエスが送られた真理の霊に励まされながら、旧約聖書に言われて来たこと、そして、生前イエスが言われたこと、何より復活されたことなどから、今までの一つひとつを反芻しながら、間違いなくイエスはキリストであったということに自信を深め勇気づけられ立ち上がった訳なのだな(イエスの弟子は皆そうだったのだ)。で、そういう証人を託されながら、ヨハネさんの群れはイエスの物語を書くことになるわけだ。だから、他より具体的な言い回しがあったり”わざ”を信じなさい(それは群れを見れば事実であるから)と強調する訳だ。 (当然、先に書かれた福音書のことも知っていたと思う。)そして、今一度、イエスが言われたことをその群れを励ますように丁寧に繰り返し最後の説教として記録していくのだ。これは、天地創造の父なる神=わたしを見たのは父を見たのだと言われた、人間を創造し、その魂を永遠に導くイエスの言葉にそれは今、我々も命あり今日も生きているから、そのひとつ一つの言葉に2016年生きている我々も励まされるのであるということになる。見えないが生きている真理の霊としていつもでもあなたと共にいると言われた方が今も語られているからなのだ。・・・Ω 

世界のベストセラーを読む(98回目)

2016-08-16 18:16:13 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 口語訳、新改訳と新共同訳
(口語訳)素直に(13:31)を読むと文としてはおかしい。それはこうあるから。「さて、彼(イエスを裏切ったユダ)が出て行くとイエスは言われた『今や人の子(④)は栄光を受けた。神もまた彼(①)によって栄光をお受けになった。(13:32)彼(②)によって栄光をお受けになったのなら、神ご自身も彼(③)に栄光をお授けになるだろう。~」淡々と読むと①~③もユダと読めてしまう。ユダの裏切りの行為によって栄光を受けたと読めてしまうな、口語訳このままだと。けれども①から③は、その前の④の人の子(つまりイエスのこと)なのだな。今は口語訳使われているところは少なくなり、一番流布してるだろう新共同訳では、①~③の「彼」のところをきちんと「人の子」と書いている。いのちのことば社でもそうなっている。ただ、いのちのことば社には32節を欠く写本があると正直に引照欄に書いてましたから、僕は原典読んでないのでなんとも言えないですが、先のように「彼によって」が「ユダの行為によって」と読めちゃうことがあったかもですね。まあ、とりあえず真相はどうでも一件落着。
◆それから、ついで、口語訳(13:19)「わたしがそれであることをあなた方が信じる為である」、この”それ”という指示語はどこを指すんだ。”それ”は、その前の詩編の引用の『わたしのパンを食べている者が、わたしにむかってそのかかとをあげた』の、”わたし”であることが、苦しいけど理解される、口語訳では。いのちのことば社の新改訳では(13:19)「わたしがそのひとであることをあなたがたが信じるためです」と書かれていて、先の引用された詩編の”わたし”であることが先の口語訳よりは分かる。・・・ところが、一番現在流布されているであろう新共同訳では(13:19)「『わたしはある』ということを、あなたがたが信じるようになるためである。」とスゴイ飛躍というか、意訳になっているのね。んで、この『わたしはある』ということばは、旧約でモーセさんが出エジプト記で神の名を尋ねたときに答えたそのものなの。出エジプト記第3章14節「わたしは、『わたしはある』というものである。」つまり、「神であるわたしだ」といっている訳だ。新共同訳では、その前の18節の引用詩編の関連が吹っ飛んで訳されているのね。本来、あくまで18節に言われたることは”わたしのことなのだ”という解説が19節で言われていることが、いきなり、新共同訳では18節の説明でなくてイエスは、”神そのものだ”(とご自分で宣言されていること)ということを信じるようになるためだという訳になっています。
◇僕は、揚げ足をとる為にこのようなあら探しをしているのではなくて(なんと畏れ多い)多少なりとも訳者によって、また時代によって、更にいうなら長命だったヨハネさんがいた群れの時代状況や環境によってもニュアンスが変わるものだと言いたい訳。ですから、聖書にこう書いているからとかの規制が入って来て苦しくなったり、もしそれがあなたの心からの納得に不都合がある場合は、パウロの手紙にあるように”文字は人を殺し、霊は人を生かす”とあるようにまずは、普段の生活を送りイエスが送ると言われた真理の御霊(聖霊)に教えられる時があるからそれまでしっかり待ちなさいということになります。誰彼が言ったからではなく、主イエスはあなたに語っているのですよということを決して忘れてはいけません。説教じみた終わり方となってしまった。・・・Ω 

世界のベストセラーを読む(97回目)

2016-08-16 15:12:38 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 口語訳です。
第13章 ヨハネさんは、光、そして夜、闇のコントラストをうまく書いている。イエスは「光ある内、光の中を歩め、闇に追いつかれないようにせよ」と言われる。(13:30)「ユダ一切れの食物を受けとると、すぐに出ていった。時は夜であった。」。明るい光と夜の闇。うまい。ユダは闇の中に消えていった・・・。僕が今見ている国際ギデオン協会より贈呈のものは口語訳だが、小さいので手ぜまの机上ではこれすぐ見てしまうが、その中で場面が変わるところの節の前に「¶」のマークが小さく記載され、次の場面変わる31節の前にも記載。
◆問題は次ぎ、(13:31)¶さて、が出て行くとイエスは言われた。「今や人の子は栄光を受けた。神もまた彼によって栄光をお受けになった。(13:32)彼によって栄光をお受けになったのなら、神ご自身も彼に栄光をお授けになるであろう。すぐにでもお授けになるであろう。・・・というところ。
◇脱線:レオナルド・ダ・ビンチの最後の晩餐で、イエスの左のペテロに耳打ちされている女性のような人がヨハネさんですがこれは丁度(13:24)の場面、ペテロにイエスに誰が裏切るのか訊いてくれと耳打ちの場面。一時、ダビンチコードという映画で解説された、そのヨハネをイエスの右にずらしていくと丁度、(13:25)ヨハネがイエスに尋ねるポーズに重なるという訳だった。そこまで、ダ・ビンチはよんで構図を捕らえていたと・・・。イエスの愛しておられた弟子と出てくるのは、この福音記者ヨハネさんその人である。
◇脱線2:(13:18)の『わたしのパンを食べている者がわたしにむかってそのかかとをあげた』という箇所は旧約聖書(当時では聖書)詩編41編9節「わたしが信頼し、わたしのパンを食べた親しい友までが、わたしに背いて、かかとを上げた」。(いのちのことば社)がそのとおりになったということ。細かい聖書の所まで事の成就であると書くのは、やはりそれだけ旧約来の言い伝えの神の言葉のイエスのことがらについての成就がどこにあるかとの聖書の調査を十分にしたからなのだろうなと思わされる。
◆サタンが入ったユダについては、他の共観福音書に較べ、それほど悪く決定づけていないのはどうしてなのだろう。一番長生きのヨハネさんは検証しようと思えばユダの事も詳しく(悪く決定づけられるように)書けたのにと思う。そう思いません? それに、先の問題のイエスの言葉、良く読むとどういう意味なのだろうと思いませんか?”彼”と書いているいるのは、イエスを裏切った”ユダ”のことでしょう・・・さて? 

世界のベストセラーを読む(96回目)

2016-08-16 14:04:04 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 脱線つづき。
終戦記念日の季節になると、頭に描く日本国憲法の第97条の一節がある。「基本的人権は人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果である」というところ・・・。自民党の憲法草案では、この一条がすっぽり無くなっていたと記憶しているが・・・いくら理念だけ書いても現実味のある憲法ではあるまいということなのだろうが、そもそも人間というのは理念の実現を目指して努力するものではないかと思ってしまう。人類の多年にわたる自由獲得の努力・・・多くの痛ましい命が戦争で亡くなったのはその自由獲得のために人類が血を流して来た成果だったのではないかと何故かこの時期にいつも思わされてしまうのだ。(基本的人権はキリスト教から来ているのです。だから自民党は消したいと思っている訳ではないでしょうけど) 
◆さて、前回書かせていただいた「セレニティーの祈り」を紹介したい。また、絶版になっていたが昨年だったか再版になった大木英夫訳、ニーバーの「道徳的人間と非道徳的社会」の紹介(この本の末尾に訳者あとがきとしてこの祈りの紹介が掲載されている(小生のは1998年4月10日発行の初版白水社) 
 「平静を求める祈り」 
  O God, Give us
  Serenity to accept what cannot be changed,
  Courage to change what should be changed,
  And Wisdom to distinguish the one from the other.
  Amen
  神よ、
  変えることのできないものを受け入れる平静を、
  変えるべきものを変える勇気を、
  そして変えることのできないものと変えるべきものとを識別する知恵を、
  われらに与えたまえ。                          
  アーメン                           
                                     
                            
◆作家、石川達三の講評も書かれています。再販も白水社かどうかは不明だが是非、あとがきだけでも立ち読み?されたい。また、もと東京大学総長だった政治学者佐々木毅さんの解説も掲載されている。そもそも、こう本の題名だけでも我々人類ひとりひとりに課せられた大きな課題があるように思わされるのだ。次回から聖書に戻ります。・・・Ω