marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

ヨハネによる福音書(敷衍訳)(第3章16-19節、31-36節 世の審き)

2016-10-02 20:05:41 | 日記
◆ヨハネによる福音書◆世の審き(第3章16-19節、31-36節) 八木誠一訳(1970年)
(この日記の投稿者より・・敷衍訳(ふえんやく)なので八木先生が原文で挿入されたとかダブっているとか前後が入れ替わっているとかがあるので、先生ご自身が読者が煩雑にならないように原文を壊さず省いたりしている並びとしていることをお断りしておきます。)・・・

3:16神は、神に叛いている救うために、あえてその独り子を世に与えるほどに世を愛した。だから独り子を信ずる者は滅びることなく、かえって永遠の生命を得る。神はその子を、世を審くために世につかわしたのではない。そうではなく、世が彼によって救われるためにつかわしたのである。だから、彼を信ずる者は審かれない。
18:決定的な救いの出来事が起こった。そしてこの出来事は、同時に不信の世に対する審きでもある。世の審きとは、いつか来るというこの世の終末のときに、行われるのではない。救いの出来事、すなわち世へのキリストの派遣と、世からのキリストの高挙とが、同時に審きでもあるのだ。救いの出来事が、世は自分の力では救いに到達出来ないことをあらわにして、世の倒錯と阻害の決定的な深さを暴露するだけではない。救いの出来事に対する不信仰自身が、すでに神に審かれていることなのである。
19:すなわち、審きとはこのことにほかならない。光が世に現れたのに、人々は光より闇を愛してこれを択びとった。それは彼等の業が邪悪だからである。こうして光が世に来ったことによって、信ずる者と信じない者とが分かれた。これがすなわち審き(クリシス=分けること)なのである。

 (3:22-3:30 は 次回、「イエスとヨハネ」の章)

3:31上から来った者キリストは万物に優越している。しかし地からでるものは地のあり方に規定された存在であり、語ることも地のことを出ない。天に由来する者は万物に優越して32:いる。彼らは自ら見聞きした天のことを証言するが、その証言を受け入れる者は誰もいない。
33:しかし彼の証言を受け容れる少数の者があり、彼等はキリストの証言を受容することを通じて、同時に神の真実を承認することになる。何故かといえば、神が世に遣わしたキリストは、ほかならぬ神の言葉を語るからであり、その言葉によって、神の一部や一面ではなく、神を全面的にあらわすからである。
35-36:父なる神は子なるキリストを愛してすべての事柄を彼に委ねたのである。だから子を信ずる者は神との交わりに入り、永遠の生命を受ける。これに反して、子に従わない者は生命とかかわりがない。そればかりか、神の審きが彼に到来するのである。

 (第4章は次回以降 「サマリアの女との対話」の章へ) (<「世の審き」の章> 終わり) ・・・