◆世界のベストセラー聖書を読む◆
自己紹介に”すべてのしがらみから解放されて永遠の命を与える神の言葉をひとりひとりのものに!”と書いてありますでしょ。そんでよく考えてみるとね、僕などはとてもひねくれてるから 結局、”よい意味”でも、聖書を読むことは、先理解していることがらがないと読む気持ちにもならないということがあるでしょ。つまりきっかけ。”すべてのしがらみ”というもの・・・。それは何なのよということを考えるのね。
◆”悪い意味での先理解”というのは何なのさというとね・・・だれでも感ずると思うんだけれど、宗教は必ずというか、盲信というやつとか、どこかの怪しげな団体とか、誰それの教祖様なんていうのが、そぞろ恐ろしいじゃないかという類の人としては、当たり前のような常識感覚ね。昔ありましたよ・・・今もあったりして、だから詳しくは書かないでおこう。その中には、少しいい意味のもあるけどよく分からないというのがあるのね、これらも、僕の言う”すべてのしがらみから解放されて・・・”の部類に入るのね。しかし、メンタルな部分というのは悪魔がつけいるから難しいね、ミイラ取りがミイラになったりするから、この辺はあまり深入りしない方がいいいな。
◆さて、そんな時イエスの言葉を思い出すべし。「真理はあなた方を自由にする」おおなんと、聖書のどこだったかいなと目の前の、口語訳聖書をぱっと開いたら、そら目の前にこの言葉が飛び込んできたではないか。ずっと今まで読んできたヨハネ伝第8章31~32節
(31節)イエスは自分を信じたユダヤ人達に言われた。「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうに私の弟子(でし)なのである。(32節)また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。 この言葉は人気あるのよとても。んで、迷ったら、イエスのこの言葉を自分の言葉でとらえるべし・・・。そこには、イエスしか浮かんで来ないというのが正解。もし、なんらかの自己卑下するような苦いイメージが浮かんできたら、まあ、それが自分にまとわりつく嫌なイメージと思いこんで欲しい。”すべてのしがらみから解放されての一つだ”からかなぐり捨てよ。
◆来年はプロテスタント開祖マルチン・ルターさんの宗教改革から500年。彼がなんと言ってもイエスの言葉を一人一人のものにとがんばった人だった、万人祭司というのを言われたのだ。彼(イエス)を信じた(契約した)すべての人が直接、イエスからお言葉をいただき(読めて)ともに人生を生き、地上の生涯を終えてもその約束によって、彼と永遠の住まいに共に生きるということなのだ。さて、あなたはこれを信ずるか・・・なのだ。イエスを救い主(キリスト)と信ずること。クリスチャンがおまじないのように言う”アーメン”ということば「確かに信じます」という言葉なのだ。このとき、過去のイエスを信じているのか、未来のイエスを信じているのか、今のイエスを信じているのか・・・。
◆それで書いてきたけど、過去であれば一番最後に書かれたヨハネ伝からスタートしなさい(今のイエスと未来のイエスを信じなさい)と言われていたのがルターさんなのだ。それ以前の共観福音書を無碍にするという意味ではない。むろん旧約聖書も。けれど、肝心要はヨハネ伝に書かれているということなのだ。そのあとは、パウロの手紙ロマ書を読めと・・・。(「新約聖書への序言」から)
◆なんで? 同じこと書くけど、人の言葉というのはむなしく消えていくものなの、どんな言葉でも・・・。そこでヨハネさんは一番長生きしたから、イエスの業(神様しかできない奇蹟)にふれた死からよみがえったラザロやその他の人々と暮らした可能性大なのだ。つまり実証した(目で見て、手で触れた)人だったからなのだ。これほど確かなことはあるまいということなのだな。このように、イエスを生きていてイエスをキリストと信じた人は死ぬことがない、また、眠りから覚めて天国でみんなと再会し永遠に生きるということを確信したのだな。どうです・・・。あなたも”すべてのしがらみから自由にされてアーメンの(真実の)広い世界に触れて見ませんか・・・
自己紹介に”すべてのしがらみから解放されて永遠の命を与える神の言葉をひとりひとりのものに!”と書いてありますでしょ。そんでよく考えてみるとね、僕などはとてもひねくれてるから 結局、”よい意味”でも、聖書を読むことは、先理解していることがらがないと読む気持ちにもならないということがあるでしょ。つまりきっかけ。”すべてのしがらみ”というもの・・・。それは何なのよということを考えるのね。
◆”悪い意味での先理解”というのは何なのさというとね・・・だれでも感ずると思うんだけれど、宗教は必ずというか、盲信というやつとか、どこかの怪しげな団体とか、誰それの教祖様なんていうのが、そぞろ恐ろしいじゃないかという類の人としては、当たり前のような常識感覚ね。昔ありましたよ・・・今もあったりして、だから詳しくは書かないでおこう。その中には、少しいい意味のもあるけどよく分からないというのがあるのね、これらも、僕の言う”すべてのしがらみから解放されて・・・”の部類に入るのね。しかし、メンタルな部分というのは悪魔がつけいるから難しいね、ミイラ取りがミイラになったりするから、この辺はあまり深入りしない方がいいいな。
◆さて、そんな時イエスの言葉を思い出すべし。「真理はあなた方を自由にする」おおなんと、聖書のどこだったかいなと目の前の、口語訳聖書をぱっと開いたら、そら目の前にこの言葉が飛び込んできたではないか。ずっと今まで読んできたヨハネ伝第8章31~32節
(31節)イエスは自分を信じたユダヤ人達に言われた。「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうに私の弟子(でし)なのである。(32節)また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。 この言葉は人気あるのよとても。んで、迷ったら、イエスのこの言葉を自分の言葉でとらえるべし・・・。そこには、イエスしか浮かんで来ないというのが正解。もし、なんらかの自己卑下するような苦いイメージが浮かんできたら、まあ、それが自分にまとわりつく嫌なイメージと思いこんで欲しい。”すべてのしがらみから解放されての一つだ”からかなぐり捨てよ。
◆来年はプロテスタント開祖マルチン・ルターさんの宗教改革から500年。彼がなんと言ってもイエスの言葉を一人一人のものにとがんばった人だった、万人祭司というのを言われたのだ。彼(イエス)を信じた(契約した)すべての人が直接、イエスからお言葉をいただき(読めて)ともに人生を生き、地上の生涯を終えてもその約束によって、彼と永遠の住まいに共に生きるということなのだ。さて、あなたはこれを信ずるか・・・なのだ。イエスを救い主(キリスト)と信ずること。クリスチャンがおまじないのように言う”アーメン”ということば「確かに信じます」という言葉なのだ。このとき、過去のイエスを信じているのか、未来のイエスを信じているのか、今のイエスを信じているのか・・・。
◆それで書いてきたけど、過去であれば一番最後に書かれたヨハネ伝からスタートしなさい(今のイエスと未来のイエスを信じなさい)と言われていたのがルターさんなのだ。それ以前の共観福音書を無碍にするという意味ではない。むろん旧約聖書も。けれど、肝心要はヨハネ伝に書かれているということなのだ。そのあとは、パウロの手紙ロマ書を読めと・・・。(「新約聖書への序言」から)
◆なんで? 同じこと書くけど、人の言葉というのはむなしく消えていくものなの、どんな言葉でも・・・。そこでヨハネさんは一番長生きしたから、イエスの業(神様しかできない奇蹟)にふれた死からよみがえったラザロやその他の人々と暮らした可能性大なのだ。つまり実証した(目で見て、手で触れた)人だったからなのだ。これほど確かなことはあるまいということなのだな。このように、イエスを生きていてイエスをキリストと信じた人は死ぬことがない、また、眠りから覚めて天国でみんなと再会し永遠に生きるということを確信したのだな。どうです・・・。あなたも”すべてのしがらみから自由にされてアーメンの(真実の)広い世界に触れて見ませんか・・・