marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

ヨハネによる福音書(敷衍訳)(第3章22節-30節 イエスとヨハネ)

2016-10-05 23:38:40 | 日記
◆ヨハネによる福音書◆イエスとヨハネ(第3章22節~30節)八木誠一訳(1970年)
22:こののち、イエスとその弟子達はユダヤの地方に行った。イエスは弟子達と一緒に滞在して洗礼を授けていた。
23:他方ヨハネもサリムに近いアイノンで洗礼を授けていた。そこには水が豊かだったからである。人々が彼のもとに来ては洗礼を受けていた。
25:さてヨハネの弟子達とあるユダヤ人の間に、イエスの洗礼とヨハネの洗礼のどちらが潔めの力を持つかというような議論が始まった。そこでヨハネの弟子達は師のもとに来て言った。
 「先生、ヨルダン川の東岸で先生と一緒にいた人で、先生が『この人こそ当の人だ』と証をされた方ですが、御覧ください、その方が洗礼を授けていて、誰もかれもそのもとに行ってしまいます」。
27:ヨハネは言った。
28:「人間は神様がくださったものでなければ、何も手にすることはできないのだ。私は救世主(キリスト)ではなく、その証人にすぎないのは、私が言った通りで、それは君達自身がよく知っている筈ではないか。
29-30:花嫁は花婿のものだ。花婿の友人は花婿の傍らに立ち、花婿の声を聞いて喜ぶのだ。私の歓喜はそういう歓喜であり、それは今や全うされた。新しい星がのぼり、私は沈んでいかねばならないのだ」。

 (<イエスと洗礼者ヨハネ>の章 おわり)・・・

世界のベストセラーを読む(149回目)自己内の偶像化の回避Ⅱ

2016-10-05 06:34:21 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ ・・・前回からのつづき
旧約のその後はこう続くのです。19:神がハガルの目を開かれたので、彼女は井戸を見つけた。それで行って皮袋に水を満たし、少年に飲ませた。20:神は少年とともにおられたので、彼は成長し荒野に住んで、弓を射る者となった。(ここまで)
◇つまりあい争うような国民となっていくと暗示されているわけだ。イスラムの人々の祖に対して神は「大いなる国民とすると約束された」・・・どうですか現在。旧約を読むと「私が私であらしめるために(つまり神が存在されていることを示すために単にイスラエルの神であるだけでなく全世界の支配者であることを示すために)歴史の上で敵をも引き起こすのであると。愛するイスラエルのために神に立ち返るように裁きをも宣告する。アモスという預言者の書には”神に真に立ち返ることなしに人は隣人との正しい関係を回復することは絶対に出来ない”と述べられているな。僕は、only one の預言者アモスがとても好きなのね。(pureな方は以下 読まないでね) 
◆さて、その神が言われた”偶像化してはならない”についてですが、この物語にも少し関係があって、神の言葉を”人間に都合のいいようにいいとこどりで納得してくれるなよ”ということです。人間がいいように自己肯定化するのであれば、必ずマンネリ化が起きる。生ぬるい世界で満足し異臭がそのうち立ち込めてくるというものだと。その道の人たちにも一言であるが、”教師は特別に厳しい裁きを受ける”とあるのは周知のことだと思うが、先生と呼ばれ、当然、否なことは飛び込んで耳に来るような立場にないし、それでインカムがあればよほど精進し勉強せねば、いかほど道がずれてきているかを見極めていくのかに注意せねばいけませんよと言いたいのだね。はっきり言えばもっと勉強してください。傷つくのをおそれ、決断しないで御心のままになんていうのは、accountability(説明責任)<前から読まれて来た方は分かる>が群れを牧会する者の資格としてはちょっとね。文字だらけで心情的に作ってしまっている落としどころで初心者の方は”ああいいお話でした”なんてことは、表面つらは言うだろうけど心から満足するような時ではなくなっているのよ、これだけ世俗化されてくれば(過去にも何度も繰り返されているのね)・・・今日は少し力んだな・・。(つづく)