◆世界のベストセラー聖書を読む◆
ベストセラーを読むと言って、この日記の最初からは、来年宗教改革から500年と言うことでマルチン・ルターさんがご推薦の福音書を読むのであればヨハネ伝をといことから、ずっと読んできた。はじめの方からね。途中で僕の敬愛する八木誠一先生の1970年に訳されたふえん(敷衍)訳というのを書いてきた。これはまだ途中ですけど。そして、どうして、ルターさんは、そう言ったのかを考察してきた。曰く、使徒ヨハネさんは一番長生きし、イエスの業にあずかった人々と実際に生活を共にしたという承認であるらしいことが分かってきた。つまり、よみがえったラザロや会堂から放り出された目が開いた盲人たちと・・・。その事実のように、イエスを信じれば、復活の命にあなたも預かることができるという揺るがない信仰を獲得して、それを維持してまた伝道をしなくてはいけないと今まで以上に思わされたことであったのだ。ちなみに僕の好きな新約聖書で惹かれる箇所は、ヨハネ伝第9章と第11章、それから次は、第20章後半のトマスさんのところなのだ。それは、事実なのだと生々しい書き方をしているでしょ。ラザロさんなんか死んでから4日も立ってますから臭いますとか、トマスが十字架にかけられたイエスの手の釘の穴に指を入れてみないと信じないとか言わせているところ。話は飛ぶけど・・・
◆で107回目に乗せた本の紹介をもう一度するから、是非立ち読みでもして欲しいな。
この方の書いたのは、別の本でも同様の内容で読むことができると思う。レムナントの久保有政さんなんかの本とか共著もあるね。久保さんのはyoutubeでも見ることができるから興味のある方は見られるといいですね。
◆僕は小さいことから神社がどうして日本のあちこちにあるんだろう、そして一つ奥にまたつながっている小さな社があるのだろうと不思議に思っていたのね。鳥居は何の意味なの、鳥が止まるのかなとか、それと諏訪神社とか八幡神社とか同じ名前の神社があるし・・・。それを知りたいと思っていたんだね。それから、あの疑い深いと言われたトマスさんがインドまで伝道に行ってそこで殉教したという話を聞いていたのだな。その他、もろもろずっと昔、失われたユダヤ人達は、日本に来ていたんだろうなきっとと思っていたのね。訳のわからない民謡のかけ声、漢字もね、羊なんかいないのにどうして「祥」という字はめでたいのとか・・・それから僕の実家は真言宗なんだけど、唐に行った空海さんはそこで景教(ネストリウス派キリスト教)に触れていたということも小説で知っていたのだ。ぼんやり思っていた回答がこの本に書いてあって嬉しくなったのね。それから仏教で言えば浄土真宗はキリスト教に似ていると言われるでしょ。悪人正機説。昔はお隣、中国からの漢文で来た宗教書はすべて仏教だと思っていたのね・・・親鸞さんが読んで大切にしていたのはどうもイエスの説いたことだったらしいとか。僕はとにもかくにもイエスに結びつくのは真実かどうか自分の言葉で確認してみないといけないと思っているのだね。だから納得すれば、それはそれで知識が広がって、この国の歴史においてもそうだったのかと理解してくれる方がひとりでも多く起こされてこの国の先理解のこととして、もっとひっかかりなくイエスに近づけるのではないかなと思っているのです。
◆いずれにしろ、イエスをしれば知るほど今の時代が分かるように思われるし、知的視野が広がって、おまけにイエスの霊は生きて信じた者をサポートしてくれているし、死んでも永遠に生きると保証してくれているから、こんなにいいことは無いのではないかと思ってしまうのね。あとは恐れを催すすべてのしがらみを振り切って”祈ればいいのだ”ということになるのだね。どうぞひとりでも多くの方が自分の言葉でイエスと対話されるまでにならんことを祈ります。・・・Ω
ベストセラーを読むと言って、この日記の最初からは、来年宗教改革から500年と言うことでマルチン・ルターさんがご推薦の福音書を読むのであればヨハネ伝をといことから、ずっと読んできた。はじめの方からね。途中で僕の敬愛する八木誠一先生の1970年に訳されたふえん(敷衍)訳というのを書いてきた。これはまだ途中ですけど。そして、どうして、ルターさんは、そう言ったのかを考察してきた。曰く、使徒ヨハネさんは一番長生きし、イエスの業にあずかった人々と実際に生活を共にしたという承認であるらしいことが分かってきた。つまり、よみがえったラザロや会堂から放り出された目が開いた盲人たちと・・・。その事実のように、イエスを信じれば、復活の命にあなたも預かることができるという揺るがない信仰を獲得して、それを維持してまた伝道をしなくてはいけないと今まで以上に思わされたことであったのだ。ちなみに僕の好きな新約聖書で惹かれる箇所は、ヨハネ伝第9章と第11章、それから次は、第20章後半のトマスさんのところなのだ。それは、事実なのだと生々しい書き方をしているでしょ。ラザロさんなんか死んでから4日も立ってますから臭いますとか、トマスが十字架にかけられたイエスの手の釘の穴に指を入れてみないと信じないとか言わせているところ。話は飛ぶけど・・・
◆で107回目に乗せた本の紹介をもう一度するから、是非立ち読みでもして欲しいな。
この方の書いたのは、別の本でも同様の内容で読むことができると思う。レムナントの久保有政さんなんかの本とか共著もあるね。久保さんのはyoutubeでも見ることができるから興味のある方は見られるといいですね。
◆僕は小さいことから神社がどうして日本のあちこちにあるんだろう、そして一つ奥にまたつながっている小さな社があるのだろうと不思議に思っていたのね。鳥居は何の意味なの、鳥が止まるのかなとか、それと諏訪神社とか八幡神社とか同じ名前の神社があるし・・・。それを知りたいと思っていたんだね。それから、あの疑い深いと言われたトマスさんがインドまで伝道に行ってそこで殉教したという話を聞いていたのだな。その他、もろもろずっと昔、失われたユダヤ人達は、日本に来ていたんだろうなきっとと思っていたのね。訳のわからない民謡のかけ声、漢字もね、羊なんかいないのにどうして「祥」という字はめでたいのとか・・・それから僕の実家は真言宗なんだけど、唐に行った空海さんはそこで景教(ネストリウス派キリスト教)に触れていたということも小説で知っていたのだ。ぼんやり思っていた回答がこの本に書いてあって嬉しくなったのね。それから仏教で言えば浄土真宗はキリスト教に似ていると言われるでしょ。悪人正機説。昔はお隣、中国からの漢文で来た宗教書はすべて仏教だと思っていたのね・・・親鸞さんが読んで大切にしていたのはどうもイエスの説いたことだったらしいとか。僕はとにもかくにもイエスに結びつくのは真実かどうか自分の言葉で確認してみないといけないと思っているのだね。だから納得すれば、それはそれで知識が広がって、この国の歴史においてもそうだったのかと理解してくれる方がひとりでも多く起こされてこの国の先理解のこととして、もっとひっかかりなくイエスに近づけるのではないかなと思っているのです。
◆いずれにしろ、イエスをしれば知るほど今の時代が分かるように思われるし、知的視野が広がって、おまけにイエスの霊は生きて信じた者をサポートしてくれているし、死んでも永遠に生きると保証してくれているから、こんなにいいことは無いのではないかと思ってしまうのね。あとは恐れを催すすべてのしがらみを振り切って”祈ればいいのだ”ということになるのだね。どうぞひとりでも多くの方が自分の言葉でイエスと対話されるまでにならんことを祈ります。・・・Ω