marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

ヨハネによる福音書(敷衍訳)(第4章35節-42節 使徒と信徒)

2016-10-13 20:03:10 | 日記
◆ヨハネによる福音書◆使徒と信徒(第4章35節~42節)八木誠一訳(1970年)
35:イエスは続ける。
 「この世では種まきから収穫まで数ヶ月の期間があり、しかもしばしば播く人と刈る人は別人なのである。しかし私は君達に告げるが、目をあげて見てご覧、向こうからやって来るスカルの人々の群れは黄ばんで借り入れを待っているではないか。今はもう、刈る人には労働の報いがあり、彼は永遠の生命にいたる実を集めるのである。だから播く人と刈る人、すなわち宣教の言葉を基礎づける者とこの言葉を告知する者とは、同時に喜ぶのである。
37:しかもこの場合、『播く人と刈る人は別人だ』という言葉も普通理解されるのとは別の意味で本当なのである。私は、君達が自分の労働38:の産物ではないものを刈り入れるために、君達をつかわす。労したのは別の人々である。そして宣教の言葉を告知する者は、先立つ人々の労苦の実を刈り入れるのだ」。
39: さてその町のサマリア人が沢山、「あの人は私のしたことをみな言い当てた」という女の言葉ゆえにキリストを信じた。そこでサマリア人はイエスのもとに来て、彼らのところにとどまるよう頼んだので、彼はサマリア人のところに二日間とどまった。
4-41.42:そしてもっと沢山の人々がイエスの言葉を直接に聞いて彼を信じた。この人々は女に言った。
 「私達はもうあなたの言葉ゆえに信じているのではない。自分で聞いて、そしてこの方こそほんとうに世の救い主だということを確認したのだ」。
 キリストを告知する人は必要である。しかしその人の言葉を聞いた信徒は、自分でキリストに接することができる。そして信徒はもはや使徒の言葉によってではなく自分でキリストこそ救い主であることを確認しなくてはならい。・・・

 (<使徒と信徒>の章・・・終わり)  ・・・