marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(866回) 全く無関係のない人はいない、霊の話

2021-05-24 15:21:35 | 思想・哲学

◆昨日、2021年5月23日はキリスト教歴のペンテコステ(聖霊降臨日)でした。この日は毎年移動するが、イエス・キリストの復活祭から50日めに近い日曜日にペンテコステ礼拝という特別に覚えての礼拝がもたれている。これは使徒言行録に書かれているが、都詣でに来ていた異国の人々に聖霊がくだり、それぞれの国の言葉で神を神を讃美しはじめたというので、世界で初めて教会ができた(発生した)日と言われています。教会は、神の言葉を伝える使命を託されているので、イエスの言われた聖霊を送ると言われたことが、その時、実現し世界の人々に神の言葉が伝えられるスタートが切られたということです。◆それで、霊の話です。このことはイエスという方がキリスト教という人の作った宗教カテゴリーに入ってしまっていますが、実はそのような宗教どうのこうのというは、まったくどうでもいいことなのです。これは、宗教どうのこうのという以前の人の生きている、動いて、食べて・・・という土台、そのインフラの生命あるすべての人に関わる事なのでから。無論、今のあなたにも僕にも誰にでも。◆天地創造において人は霊が吹き込まれ生きるものになった、とあるからです。人は、死ねば息をしなくなります。それを象徴的に同期させた言葉です。霊が充満して、その中で生きて来た人類。目には見ないが善い霊も、悪い霊も、再び肉体を持ちたいと願う霊も沢山あるでしょう。旧約時代は神の霊が語るという記事も多く見られます。キリスト教は、精神も肉体も衛生を保つことをいつも推奨します。それが出来ない人もキリストは私にいつも繋がっておれと言います。それは、悪い霊が入り込み、悩まされない土台が求められているから。潔い霊は天から送られる、キリストが送ると言われたのです。だから、聖霊にいつも繋がっていなさいと薦めています。◆これは、キリスト者だけのことなのでしょうか。否、すべての人への勧めです。宗教カテゴリーを超えたものなのです。事実として。ニコデモにイエスは、「新たに生まれなければ神の国を見ることはできない」と言われ「霊の動き」をことを風に例えて言われた。そのように私たちは見えないが多くの霊に囲まれています。「あなたは、イスラエルの教師でありながら分からないのか、地上で起こっていることを私(イエス)が話して分からなければ、天上で起こっていることを話してどうして分かるだろう。」と言われたのでした。誰でもその気配を感じることが出来るのです。


世界のベストセラーを読む(865回) 逃げてください!これからここに爆弾を落とします。

2021-05-22 06:45:42 | 思想・哲学

◆善悪を判断する木の実を食べてはいけないと、アダムとエバに語られた。この創世記の神の言葉は、ふと不思議に心の深層から響く言葉だ。様々なニュースから、人命が損なわれる現状を目にしたり、耳にしたりすると同じ人として心が痛む。しかし、例えば自然災害ではなく、人同士が意図して行う戦争はどうだろう。僕らが旧約聖書を読んだ時に、いつも心にひっかかる棘のようなものは、神がその住人を戦略的に駆逐するという場面が出てくる記事ではないだろうか。この辺の批判も巷の話題を語ると人を殺して聖書の神はおかしいぞ!と、例えば先のイスラエルのパレスチナのガザ攻撃でも、普段の人は思うだろう。僕らは、旧約の時代を生きている訳ではない。では、現代に生きて同時にそれを目にし、聞いて理解しているかといえば、その判断は、ただ、人の命をあやめてはいけない、という心情的な思いだけなのである。メディアはそれ以上のことは伝えられないし、伝えない。◆イスラム教原理組織ハマスはテロ組織である。目的は世の終わりまでイスラエルユダヤ人の殲滅である。命をかけても手段を問わず行う。手段を問わず? そうだ。自国住民を犠牲にして、自国の住民の間にロケット砲を設置してそこに攻撃を受けても楯にして行っている。それが犠牲が多くなっている理由である。ささいなことからハマスから先の攻撃がイスラエルからの反撃となった。ハマスがイスラエルに向けた砲撃はうまくいかず1/4程?が自国の上に多く失速爆発した。武力は雲泥の差である。イスラエルは、我々の攻撃はテロ組織ハマスである、ビラを蒔きここに砲撃を加えるから避難せよと住民に事前通告する。罪を憎んで人を憎まず? 我々の神は、人を創造したのだから罪なき人をむやみに殺すのは意図に反する、という思いなのかイスラエル側はそのことを行う。いつの時代も、人を憎んでその思い込みを土台にして、それが正義である善であると意気込む人々や組織、国がある。◆僕の居る場所、僕の務めた工場は、あの大戦でアメリカ軍の空襲で、日本で爆弾を落とされた最後の地である。終戦記念日近くになると、その時を忘れぬためにと被災の様子の展示が行われる。空爆の前に空から多くのチラシが蒔かれたが、その展示もなされている。日本語で書かれたそのチラシにはこう書かれていた。***「これから、ここに爆弾を落とします。逃げてくだい。悪いのは上にいる軍部の人たちです。・・・」


世界のベストセラーを読む(864回) イスラエル、パレスチナ「ガザ」への攻撃!!

2021-05-21 10:26:25 | 思想・哲学

◆戦争が絶え間なく、地震もあり、アフリカではバッタ(蝗)の大発生より食糧危機、疫病の蔓延! 温暖化など、少なくとも一人の国の試練では無く、世界中にその危機意識が共有化されつつある現代において、人よ、私の警告が分からないのか? と 神が宣う・・・とベストセラーを読んでいる多くのキリスト者は、公言しなくても誰でもが思っていることであろうと僕は思う。それは、すべて旧約聖書に描かれてきた地上のドラマにもあった事だからである。◆イスラエルのパレスチナの武装組織ハマスへのガザ攻撃などは、これも旧約に書かれたことだが、そのガザという町の名前を聞くといつもある物語を思う。それは、イスラエルの統一王国ができる以前の裁き司といわれる士師の時代、名前は聞いたことのあるだろう力の強いサムソンが、イスラエル人がエジプトから脱出し、カナンの地に侵入した実に遠い昔の時代からペリシテ人(パレスチナの語源はこのペリシテから来ているものだ)がいたので争いは絶えなかったのだが、その地のガザという都市でペリシテ人に復讐したドラマがあったからである。(旧約聖書、士師記13章から16章)◆***デリラという遊女に誘惑され、自分の力の源を教えてしまったサムソンは捉えられ、両目を潰され、青銅の足掛けをはめられ、長い牢獄での奴隷状態にあった。ペリシテ人の神の祭りに、見世物にしようとサムソンが引き出されるが、大衆が酔いしれる大きな建物の中、そこにはペリシテの領主、多くの男女、二階には三千人もの男女が見世物になったサムソンを見に集まっていた。建物を支える二本に寄りかからせてもらったサムソンは、主に祈る。「私の神なる主よ。わたしを思い起こしてください。神よ、今一度だけわたしに力を与え、ペリシテ人に対してわたしの二つの目の復讐を一気にさせてください。」左右二本の柱を両手で探り当て「わたしの命はペリシテ人と共に絶えればよい。」と言って、一気に力を込めてその建物の柱を倒す。建物は、そこにいたすべての大衆の上に崩れ落ちた。彼がその死をもって殺したものは、生きている間に殺した者より多かった、と。***力の源? それは生まれた時から髪の毛を切らない、その髪の毛にあったのだ。デリラに切られた髪の毛は、長い牢獄の奴隷状態の中で伸びていたのである。・・・とすれば、力の源泉は命を与える創造の神と言えるだろうか。◆BC1000年以上前のこの物語、「ガザ」という町の名前は僕の脳裏から消えることはない。


世界のベストセラーを読む(863回) 否応なく個人の言葉を要求するキリスト教

2021-05-21 06:00:00 | 思想・哲学

◆キリスト教がこの国で1%も満たない理由は、キリスト教は否応なく自分ひとりの言葉を要求するからであると言えるであろうと思う。他人から借りた言葉ではない、生身の痛いと感ずる生きている今の自分の言葉である。したがって、僕はシャーマンのような呪文は分からないから否定はしないが、キリスト教が、それらのことを否定して、自分の言葉で今を生きている生身の普段の言葉で祈れ(つまり語る言葉を持ちなさい)と薦めているのは、事実、「復活する」からであると言える。今のあちこち痛みを覚える劣化しつつある今の生身の体の自分という”からだ”ではなく、実に、今よりもっとリアリティーのある自分という”霊のからだ”での復活があるのだ。◆だからというか、キリスト者は作品としてドラマは楽しむだろうが、人の創作のドラマに感情移入はあまりしないだろう。人生ドラマの舞台の流れの途上の一コマとして、もっと上位の演出者としての冷めた目線で、いつも現実の世界に戻ることをスタンバイして人生を歩んでいるからと思う。唯一のドラマは、今の自分の生き様であると。演出者は、目には見えない、意識しないにもドラマを信仰させる意識以上の存在者たる神が居られるということになる。その一点に掛かる。様々な人それぞれのドラマがあるが、天上界からこの地上に自分の言葉で引きずり下ろして、固執してそれが信仰だなどと頑迷になってはいけない。◆旧約聖書を読むと永遠不変の演出者がいると思わざるを得ないのだ。例え、それが記者に何でも神主体に都合良く読まれるようにと書こうとしているように見えてもである。それは自由になるための契約だからという。兎に角、契約を結ぶことだ、早く。今の僕らの社会生活の契約も本来、ここから来ているのだから。人は地上に創造され、創造者との契約を結ぶ訳だ。再び、創造者のいる永遠の世界への帰還の為の契約である。◆今、コロナ禍の中で世界で実に多くの方が亡くなっている。世界中のニュースが瞬時に分かる時代になっているのだ。我々人類がこの地上に創造されて、肉体の内にも外にも霊的戦いをおこなって天上へ帰還するそのドラマのシナリオがベストセラーには書かれているのである。****世界を見渡せ!私が世界を動かしていることを、どうして理解しないのか!、と。    


世界のベストセラーを読む(862回) (その4)ベストセラー聖書、深刻な訳の改竄!?

2021-05-20 06:04:56 | 思想・哲学

◆考えて見れば、僕らは真にその人の思うところに同期しようと思えば、直接、その人に対面し話を聞かなくてはいけないということだ。その時代に。しかし、そんなことは当然、無理な事。したがって、昔の人を知ろうにも書かれて残された文章をあてにしないといけない。ところが、同じ言葉を使う同国人であっても、時代によっては文字や、言葉使いが移り変わりのよって元の言葉の意味と変わってきていることがあるから注意しないといけないが、同国人であれば調べればなんとか、少しは本質には近づける。しかし、歴史も異なるそうでない言語で伝える場合は・・・。◆ここで使徒パウロ自身のように、人手によらずイエス・キリストの啓示によるのだと宣言している場合は、彼の肉体における体験は、内なるものとしての告白は事実としても、それを自分の言葉で伝えるといった場合は、まして自分生まれとは異なる国の言語で語り、伝えようとした場合、かなりの制約を受け、制限されたものしか自分の言葉で伝えることができないのではないだろうか、ということを思わなくてはいけない、と。◆先の神学者、田川健三の「新約聖書」”はじめに”と”後の”解説”を立ち読みでも先にお薦めするとは、よく自分を含めて人と言うものがどういうものであるのかということを考えれば、ギリシャ語でパウロが「キリストの信」と書いている言葉を(ギリシャ語でキリストを信ずる信仰と書けば掛けるものをそうしないで)曖昧な「キリストの信」というかなり曖昧な幅の広い言葉で書いたと言うことに対して、翻訳するものが「キリストを信ずる信仰」というような、訳者の意図的な狭い訳を施しては、注意しないと改竄を結果することになるのではないか、と仰せられているのである。◆これは耳障りのよい言葉ばかりを話そうとしている内心体制にのっかているから大丈夫と考えている牧師さん達は真剣に考えて見なければいけないのではないだろうか。田川のローマ書簡の解説にはこう書かれている。***ローマ書簡は、以降のキリスト教2000年の歴史に大きく貢献してきてけれども宗教ドグマにのみ集中するのであればいいけれども、現実はそれではすまんだろう。この人は、自分の信仰と現実生活に取り組む姿勢をどのように対照させ、調和させるか本気になって考えたこともないのだろう、その他多数、と(パウロを非難する)。◆さて、それだからこそ、というか、人それぞれへのキリストと対話する宿題が、詰まり誰でもがキリストと対話する自分の言葉が要求されているのだと(その時代の言葉による哲学、思想なども含め責任が人類に委譲しつつあると、僕は考えてしまうのではあるが・・・)。結局、神学し、現実の今の世に身体的にも苦しまない牧師が多数いない限り、キリスト者がこの国で1%を超えることはないだろう。(だから、問えばいいのだ。伝道するためにあなたはどのように行動されますか、と!)