仙台市青葉区の霊屋下にある瑞鳳殿(ずいほうでん)は、伊達藩の創始者である藩祖の伊達政宗の“お墓”に当たる廟です。このために、ここの地名が「霊屋下」(おたまやした)と名付けられています。「霊屋」とはお墓の意味のようです。
瑞鳳殿などは、仙台城(青葉城)がある青葉山の一部が広瀬川にせり出した経ケ峯に築かれています。正確には、広瀬川がS字形状に曲がっているのを利用して、仙台平野側に少しせり出した山麓に建っています。
瑞鳳殿は、寛永13年(1636年)に70歳で生涯を閉じた伊達政宗公の遺体を大きな壺に入れ、その壺などを守る建物です。
瑞鳳殿の入り口に当たる門です。桃山様式の豪華絢爛な建築物です。

門の裏側に施された装飾です。

この門の上に設けられた瑞鳳殿です。

本物は昭和20年(1945年)の戦災で焼失しています。現在の建物は昭和54年(1979年)に再建されたものです。
少し離れた所に建てられた、二代藩主の伊達忠宗の霊屋となる感仙殿です。

やはり昭和20年の戦災で焼失しました。現在の建物は、瑞鳳殿に続いて昭和60年(1985年)に完成したものです。仙台藩六十二万石の当時の財力を感じる桃山様式の豪華絢爛な建築物でした。
瑞鳳殿や感仙殿などの伊達家のお墓が並ぶ霊屋は、うっそうとした杉木立の中に建っています。


広瀬川からの上昇気流が当たる杉木立の上空に、トンビが多数、飛んでいます。うっそうとした杉木立の中に、多数の野鳥がいます。カケスをちらりと見かけました。エナガも数羽いました。
霊屋下から瑞鳳殿までは、杉木立の中に設けられた、急な石段を登り続けます。登る途中で、神聖な地に入っていくという気分が高まります。
瑞鳳殿などは、仙台城(青葉城)がある青葉山の一部が広瀬川にせり出した経ケ峯に築かれています。正確には、広瀬川がS字形状に曲がっているのを利用して、仙台平野側に少しせり出した山麓に建っています。
瑞鳳殿は、寛永13年(1636年)に70歳で生涯を閉じた伊達政宗公の遺体を大きな壺に入れ、その壺などを守る建物です。
瑞鳳殿の入り口に当たる門です。桃山様式の豪華絢爛な建築物です。

門の裏側に施された装飾です。

この門の上に設けられた瑞鳳殿です。

本物は昭和20年(1945年)の戦災で焼失しています。現在の建物は昭和54年(1979年)に再建されたものです。
少し離れた所に建てられた、二代藩主の伊達忠宗の霊屋となる感仙殿です。

やはり昭和20年の戦災で焼失しました。現在の建物は、瑞鳳殿に続いて昭和60年(1985年)に完成したものです。仙台藩六十二万石の当時の財力を感じる桃山様式の豪華絢爛な建築物でした。
瑞鳳殿や感仙殿などの伊達家のお墓が並ぶ霊屋は、うっそうとした杉木立の中に建っています。


広瀬川からの上昇気流が当たる杉木立の上空に、トンビが多数、飛んでいます。うっそうとした杉木立の中に、多数の野鳥がいます。カケスをちらりと見かけました。エナガも数羽いました。
霊屋下から瑞鳳殿までは、杉木立の中に設けられた、急な石段を登り続けます。登る途中で、神聖な地に入っていくという気分が高まります。