長野県下伊那郡大鹿村という山里を、国道152号によって南から北に通り抜けた話の続きです。前回編に続いて、今回は大鹿村の中心部から北に向かい、伊那市に抜ける分杭峠(ぶんぐいとうげ)まで行ったとの話です。
長野県南部にある大鹿村は、北東側は伊那市の山麓部に接しています。大鹿村の村役場などがある大河原を右折し、北に向かいます。国道の片側に川が流れ、その片側に田畑があり、のどかな風景です。畑の脇では、ヒマワリが咲いています。

しばらくは片側1車線の幅広い走りやすい国道152号です。天竜川の支流の一つの鹿塩川沿いに北上します。

北に向かって撮影した、この国道152号線の画像に見えるカーブの先は、道幅が狭い山道になり、伊那市の分杭峠過ぎまで続きます。車はほとんど通っていません。すれ違うには、どちらかの車が道脇に寄せる必要があるからです。
この道幅が狭い国道152号線部分は、江戸時代から「秋葉街道」と呼ばれる静岡県浜松市にある火防(ひぶせ)の神の秋葉神社にお参りする街道だったものです。逆に、静岡県側からは、当時は下諏訪町などの諏訪大社や長野市の善光寺に向かう街道だったそうです。当時は、かなり厳しい山道だったと感じました。
実際には、国道152号線沿いの清流沿いに「秋葉街道」というハイキング向けの山道が整備され、街道歩きができるようになっています。


くねくねした山道に飽きたころに、分杭峠に到着します。標高は1424メートルです。

分杭峠には、江戸時代には高遠藩だったことを示す「従是北高遠領」の石碑があります。

分杭峠は“地場ゼロ”のパワースポットとして観光地として売り出されているため、土曜・日曜日・祭日には多くの観光客が押し寄せる日もあるそうです。このため、分杭峠付近は駐車禁止で、すぐ側に有料駐車場が設けられています。実際には、伊那市市街地などからシャトルバスで分杭峠に向かうことを薦めています。
長野県南部にある大鹿村は、北東側は伊那市の山麓部に接しています。大鹿村の村役場などがある大河原を右折し、北に向かいます。国道の片側に川が流れ、その片側に田畑があり、のどかな風景です。畑の脇では、ヒマワリが咲いています。

しばらくは片側1車線の幅広い走りやすい国道152号です。天竜川の支流の一つの鹿塩川沿いに北上します。

北に向かって撮影した、この国道152号線の画像に見えるカーブの先は、道幅が狭い山道になり、伊那市の分杭峠過ぎまで続きます。車はほとんど通っていません。すれ違うには、どちらかの車が道脇に寄せる必要があるからです。
この道幅が狭い国道152号線部分は、江戸時代から「秋葉街道」と呼ばれる静岡県浜松市にある火防(ひぶせ)の神の秋葉神社にお参りする街道だったものです。逆に、静岡県側からは、当時は下諏訪町などの諏訪大社や長野市の善光寺に向かう街道だったそうです。当時は、かなり厳しい山道だったと感じました。
実際には、国道152号線沿いの清流沿いに「秋葉街道」というハイキング向けの山道が整備され、街道歩きができるようになっています。


くねくねした山道に飽きたころに、分杭峠に到着します。標高は1424メートルです。

分杭峠には、江戸時代には高遠藩だったことを示す「従是北高遠領」の石碑があります。

分杭峠は“地場ゼロ”のパワースポットとして観光地として売り出されているため、土曜・日曜日・祭日には多くの観光客が押し寄せる日もあるそうです。このため、分杭峠付近は駐車禁止で、すぐ側に有料駐車場が設けられています。実際には、伊那市市街地などからシャトルバスで分杭峠に向かうことを薦めています。
東海地方などから、農村歌舞伎や人形浄瑠璃などの民俗芸能も伝えられました。
そして山間の中で伝承され続けたのです
信じる者には霊験があり、信じない者には霊験がないのは当然でしょう。
1970年代には3000人以上の村民がいましたが、40年後の現在、住民は1100人と激減しています。
昔ながらの自給自足の生活は今風の若者に人気がないようです。
東京や名古屋から、大鹿村に向かうには、車の場合は、中央道の松川ICで下りて、東側に向かって山々を越えて、1時間程度のようです。結構、山越えです。
問題は、バスやJRで向かう場合です。中央道の松川ICの近くから1日に1回、バスが出ています。このバスはJR飯田線の駅を経由し、約1時間で大鹿村に到着します。
登山などの観光目的の方は、タクシー利用がお勧めとの感じです。
1日1本の連絡バスは、車を持たない高齢者には厳しい環境です。