昨日待ち望んだ文芸賞の知らせは届かなかったけど、悲しい知らせが届いた。
中学でバレー部のキャプテンだったYが急死したということを知らせる葉書だった。それには9月に親友が亡くなり、翌月には実母が亡くなられたという。
なんとも辛い話だ。
バレー部では当時9人制で前衛のセンターに私、中衛のセンターにY、後衛のセンターにNこの3人が特に仲が良かった。
Nは中学卒業してすぐ集団就職で都会に出て行った。その出発する蒸気機関車を見送りに水俣駅に言った覚えがある。あれからそろそろ半世紀になる。
Yは熊本市内に進学校に進み、私は鹿児島の高校へと進路は3人それぞれ分かれてしまった。しかし、Yとは大学で再会することになる。
私は教員養成学部へ、彼は法文学部へ。鹿児島で交友が再開した。
大学卒業後はYは東京へ。私は熊本市内の高校へ就職。以降は疎遠になっていたが、還暦同窓会で再開したばかりだった。
東京に住んでいた彼は子供たちの巣立ちをみて水俣に帰郷。
晴耕雨読の生活をしていた。奥様の話では普段から血圧が高かったそうだが、体を鍛えているので自信があったのだろう。病院へ行かなかったという。
検査も普段の服薬(特に降圧剤も)もしていなかったのだろう。それは突然に彼を襲った。
心筋梗塞。
大動脈解離があったらしい。これは死後解剖で確認されたという。
どうしても信じられない!お母さんは93才、認知症があって通常会話ができなくて施設に入所していた。奥様は息子の死を知らせなかったという。
一月後に逝ってしまわれたというが親孝行のYが天国で再び孝行しているのではないだろう。
昨日奥様に電話してお悔やみを述べ、週末にはお線香をあげに伺いますと伝えた。
心がずーっと沈んでいる。