おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

「頑健な体」という過信が悲劇生む

2013年11月23日 07時31分48秒 | 日記


昨日、親友の家にお悔やみに行ってきた。

阿蘇から水俣まで高速を使って2時間足らず。

家は母校である水俣第一中学の近くですぐわかった。

1時過ぎに伺ったのだが、よく気の利く奥様でお昼まで用意して下さっていた。「ありがたいのですが途中で昼は済ませてまいりました、ありがとうございます」と丁寧に辞退。

気持ちだけを頂いた。

先ずは仏壇に線香をー

葬儀で飾ったのだろう大きな額に入った友人の笑顔が迎えた。しかし、その顔が見れない

周囲への心配りが細やかな男で、引っ張っていく力も強かった。私達中学バレー部のキャプテンだもの。

勉強も私より少しできた。いい男だし、こういう男のことをマルチ人間というのだろう。

高校ではサッカーで全国大会に行った。この高校以来サッカーはまったく振るわない。大学ではボート部で活躍した。
私が大学で書道部に入り、フォークソングに熱中していた「軟派」と進む方向性が少しずつ変わって行った。

日本専売公社に入社。

55歳で早期退職するのだが、奥様の話で事情が知れた。

彼は親孝行で年老いた親の面倒を見るために東京本社の高い地位を捨てふるさとへの帰還を選んだのだった。親類も彼に頼りきっていて、よく面倒を見ていたという。

まったく知らなかった。かれは年に2度、南阿蘇へ一家親類を連れて遊びに来ていたという。

私のことを話しながら「この辺に住んでいるのだろう・・・」と。

男ってなんでこうなんだろう。私も彼が倒れた9月水俣の叔母の家に野菜を持って行った。帰りに立ち寄る時間はたっぷり作れたのにー

職場で一番お世話になった先輩の死も葬儀の後で知った。酒を飲みながら文学の魅力を熱く語り、難しい文芸評論の話を聞いた。亡くなって家に伺うと自分の本は後輩の私に上げてくれと奥様に伝えてあった。

彼にも退職後一度も会っていない。そう死ぬまでー

またしばらくは「死」を見つめる時間が長くなるだろう。