おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

私のボンビー話

2013年11月27日 07時30分21秒 | 日記
俵山の山野草

昨夜、「さんま御殿」を見た

テレビタレントの面白おかしい貧乏時代の話。

確かにインパクトのある昔話もあった。だけど、同じようなこと自分も経験あるって昔を思い起こしていた。



中学の1年。親の体調不良で仕事がままならず、とうとう工場のある大きな家を売り払い、近くに新たな家を求め引き移った。

その家がーだ!

見るからに古ーい家で、茅屋まさに廃家で風呂はあるにはあったが「五右衛門ふろ」それも焚口が屋内にあるためにお湯を沸かすと家の中は煙が充満して皆目に泪

確かに五右衛門は強烈な思い出。テレビの話の通り。

テレビと違う話。その我が家、天井板が葺いていなくて、梁(はり)にベニヤ板を乗せていた。風が吹く屋根裏から接着剤代わりに使った赤土=粘土がざーっとベニヤに落ちてきてこれが傾いているので寝ている布団に落ちてきた。

それから家に入るために襖紙を張り替えようと破いていった。
ところが・・・

襖の下張りに「古文書」が貼り付けてあったのだ。和紙に墨字でそれも連綿体でさらさらと書いてある。中一の私には古文書の価値なんてまったくわからないし、その解読なんてとんでもなかった

結局皆破り捨ててしまったのだけど、今思うとそれがどんなもの(公文、私文、覚書、手紙・・・)であったにしても、それなりの価値はある筈。今更だがもったいなくてー

こういう風にして文化財が民間から誰知らずして消えていくのだろう。

いろいろあるが、日本は豊かになったものだ。道歩く人も運転中の者も下を向いていると思うと皆スマホをしている。
どこかの知事さんが選挙に出るのに(自分は否定しているがダレの目にも裏は読める)無利子で印鑑もない借用書一枚で5000万円を借りたという。

豊かであることと人間が本当に心ゆたかに生きていくということとは異質なことだ。貧乏時代にも生きた輝きというものがあった。