おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

坂本龍馬と横井小楠

2010年07月26日 10時23分10秒 | 日記
昨日の午後3時過ぎだったろうか。そら一面に雲が張り出してきたと思ったら、ポツリポツリと降り出して来て、ついには激しいにわか雨になった。TVで高校野球県予選の実況中継を観ていたところで、球場はまったくその気配がないようだから、局地的なもの。しかし、速報で県内の一部に大雨警報が発令されたと出ている。夏の雨って、低気圧の停滞で広域を天気が支配するのではなくて、局地的なのが特徴なのだろう。

この何日か、天気が続き、夕方には畑や庭への水撒きを行っていたので、作物も雨を待っていた。まさに干天の慈雨か・・・と思いきや、雷が鳴り出し、雷鳴と雷光が眼前で光りと音のショウを始めた。

阿蘇南外輪山中腹にあるわが家、天気も激変する。雷は地響きがするくらいの激しさ。書斎で堤克彦先生(熊本の県立高校の社会科教諭)の書いた「『公』の思想家 横井小楠」(熊本出版文化会館)を読んでいたのだが、あまりの雷鳴と豪雨に恐れをなして、母屋に走った。妻は女の身、心細く一人泣き震えているのではとここ一番「男気」を見せようと意気込んだ。しかし、呼んでも返事がない。寝室を見るとそのか弱き細君、ベッドで平然と寝ているではないか御見それしました、やはり女は年を取ると豪傑になる。 

さて、今日は「龍馬伝」だ。毎度面白く拝見している。ところで横井小楠は私の若き日、卒業論文のテーマに選んだ肥後藩幕末の一大思想家。いろいろと縁があって、大学を出て、就職した学校の所在地が横井の生誕地であり、校門を入るとすぐ横に記念碑があった。卒論でお世話になった横井先生のまさにお導きであった。彼は多くの弟子達を育成したのだが、死んでからでも彼を慕う学徒(但しあまり勉強しない不勉強な学徒だがー)?の世話までしてくれる。

今読んでいる11章、12章が小楠と春嶽、海舟、龍馬との関係。龍馬とは文久二年から慶応元年までの間に都合六回会見している。その多くは海舟の使いに会いにきているのだが、最初に会う文久二年、小楠が尊王攘夷論から開国論へ転換した頃、肥後で彼のあまりの鋭才と舌鋒の激しさ故に疎外され続けていた小楠を越前藩松平春嶽登用しブレーンに抜擢され活躍を始めていた頃に当たる。竜馬も土佐勤王党、ばりばりの攘夷派だったころ横井の存在を聞きつけて岡本健三郎と斬りに来た。ところが、龍馬と海舟との出会いの如く、小楠の話を聞いて「旧知の如き『断金の交わり』」(第10章133ページ)となったのです。

海舟の横井評は有名だが、「氷川清話」にこうある。「おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人見た。それは横井小楠と西郷南洲だ。・・・横井の思想を、西郷の手で行われたら、もはやそれまでだと心配していたら、はたして出てきたわい」

海舟は頭の切れる幕末を代表する開明派、若い頃剣の道で練り上げられた魂胆故に西郷との必至の攻防によって、江戸城の無血開城を成し遂げた人物。荒れる太平洋を咸臨丸の艦長として、実は船酔いでほうほうの体ではあったもののアメリカに渡っている。その先見性は当代随一だと思う。この海舟に同じような経過で出会い、深く感銘した龍馬は海舟をずっと師と仰いでいる。そして肥後の横井にも私淑し、三度沼山津の四時軒を訪れている。
しかし、慶応元年、この四時軒で長州問題で意見が対立して、決別する。
小楠は幕府の征長政策を支持するも、龍馬はこの時既に幕府に見切りをつけ、倒幕のための大連立(どこかで聞いたような・・・)すなわち薩長連合を目論んでいたので、対立したというのだ。
ついに龍馬は口にする。
「世人皆子(小楠)を称して海内の大家とす。我も亦常に渇仰敬慕せり、然るに今日の論説の如き雇人にても望まざるところなり。」
そして小楠、怒髪天を衝き、「汝再び我を訪うこと勿れ」と言わしめる。

但し、流石に度量の大きさが違う。龍馬はその後も小楠の存在を忘れず、倒幕後の新政府構想において参議候補として推挙している。

こういう視点で「龍馬伝」を見ていると、実に面白い。

小さな「のん(飲み)方」

2010年07月25日 07時53分06秒 | 日記
薄い靄がかかっている。しかし、その向こうに太陽が昇っている。
昨夜は知り合いとしこたま飲んだので、眼が覚めたのが6時過ぎ、それから浅田次郎の小説を読み始めたので、少し読んでから離れに移った。


近所に住んで居られるUさんの夕方の電話。

「今から飲みに来ませんか。娘の旦那のご両親を呼んで3時から飲んでいたんですが、早く帰られたので、飲み足りなくて寂しい思いをしているのでよかったら今から家に来てくれませんか、何にもありませんけどー」

このUさん、大好きな方で、一人で4年かけて豪邸を建築された。今月号の宝島社発刊「田舎暮らし」(?)という本に写真と詳しい説明が掲載された。定年され、ここ南阿蘇の地に土地を購入され、木工が好きな彼は自分で家を建ててみようと思い立ち、知り合いの大工のKさんに助言を貰いながらとうとうついこの前完成した。古民家風というかまるで人気旅館の面構えをしている。大きな梁を使い、天井も高く、囲炉裏も自分で作って、お手製の自在鉤まで下がっている。何しろ私の家がオモチャに見えるほど豪邸だ。
今は市内の家と行ったり来たりで、今週は一人で3日泊まられている。

私が土地を決め、工務店を探している時に、彼がKさんを紹介してくれて、彼の属する工務店に依頼したのだ。もちろんKさんを棟梁に指名した。Uさんを通じて、Kさんとの2年来の付き合いで、先日も家の内装の補填工事と濡れ縁を取り付けてもらったばかり。今では飲み仲間でもある。

家に行ってみると見知ったご家族が集まっておられた。奥様、娘二人、そのご主人、赤ちゃん、大人数だ。彼の長男は先週鹿児島から手伝いに呼び寄せられて、石組み(駐車場入り口の脇ののり面に石壁を作っている)をやらされていた。夫婦と子どもを連れて私の家に挨拶に来られたばかり。二姫一太郎の家族で、孫2人。二人の孫を語る時の彼の目は途端に優しくなる。白髪で長く伸ばした白髭、まるで仙人のようで、初めて会ったときには知らない人はちょっと引く。豪快な人で、弱きを助け強気を挫くという性質の正義漢。話はストレートでわかりやすい。厳しいけれど説得力がある。

知り合ったばかりの頃、まだ高校の校長をしていた頃だ。母が急逝した。それは彼の知るところではないはずなのに、新聞に掲載された小さな記事を見つけて、葬儀場の広い会場の一番前に座っている彼の姿を見た時の感激は言語に尽くせない。そういう人なのだ。県内古豪の高校野球の球児であった。付き合いも広い。

昨日は夕方、妻と口喧嘩しながら庭いじりの共同作業をしていて、終わったのが7時過ぎていたので、夕飯の準備はまったく何もしていない状態だったので、お誘いは「渡りに舟」であった。取ってあった鉢盛りのご馳走で、随分たくさん飲んだ。
酒は気持ちよく飲むと酔ってもあまり翌日に残らない。

夜遅くまで飲んで、真っ暗な山道をまむしに注意しながら懐中電灯を頼りに歩いて帰った。2軒先なのだが、その間にはクヌギ林があり、ダダ広い売り地が空き地のままあったりして結構離れているのだ。それでも下り坂、家に着くまでの所要時間3分ほどかー。

時代は変わる・・・か

2010年07月24日 07時15分41秒 | 日記
外輪山中腹のここですら、朝から日の当たる場所は暑い。空気は冷ややかではあるけれど、日中になると、たいへんな暑さが予想される。

海は大賑わいだろうな、土曜日だしー。

釣りに行きたいけど、新車買っちゃったので、さらに「ゴムボート」とは言えなくなってしまった。岸からの「投げ」でがまんするっきゃないのかな・・・

キュウリが採れ始めた。昨日はまるまる太ったやつ二本を採り入れた。無際限に生るミニトマトとレタスにキュウリでサラダを作ってもらい夕食で食べた。

南瓜(かぼちゃ)が拳大まで育ってはいるのだが、それからが太らない。肥料不足かもしれないので今朝、追肥してみよう。牛牧場からいただいた完熟牛糞がある

さて、主題に移ろう。昨日プロ野球のオールスターが開催された。しかし、TVではやらないのだ。CSではやってるというが、BSとかCSとかワイワイ違うかっワウワウか、そんなの別料金だして見ないしー  

昔、オールスターというと興奮したものだ。長嶋、王、金田正一、稲尾、藤田、そうそうバルボンっていたな黒人選手。中西太も好きだったなあ。失礼だが私に似て醜男の坂崎、逆にスマートでいい男の広岡達郎、あの頃の巨人大好きだった。横手投げの杉浦も好きで、少年野球のおやまくん真似をしてアンダーで投げていた。
江夏が3回、9者連続三振を取った時には、内心「ほんまかいな」と思わぬでもなかったが、興奮した。

サッカーのワールドカップでは意想外(失礼)の活躍で、日本中でその期間中一種狂騒状態であった。そしてTVの視聴率も記録的だったとかー。
サッカーは中高生にとって、競技の面白さもあるだろうが、髪型などのファッションで「カッコいい」と感じているのではないか。
高校の生活指導を担当していた頃、サッカーが流行り始めて、髪形服装が途端に崩れだしたということがある。茶髪、、ロンゲ、一つ結び、髪留め、ピアスまでしているのもいる・・・性の境がまるでなくなってしまったかのようだ。
釜本とか杉山とか(もう誰も知らねえだろうな、メキシコオリンピックの頃さ、あの時日本は大活躍で確か3位銅メダル取ったんじゃなかったかな?うろ覚えになるほど古い話だがー)あの頃は選手達競技一本で一途だった。
しかし、今回Wカップのキャプテン長谷部、長友、今野、駒野など「いぶし銀」=仕事人ってやつで、古い人間には好ましいな。
サッカー人気で野球隅っこに追いやられたのかなー。WBCの時にはあんなに興奮したくせに
相撲は語るに足らず

送迎附き居酒屋

2010年07月23日 13時23分06秒 | 日記
猛烈な暑さだ。「うだるような」という表現があるけれど、体がぐったりしてしまいそうだ。

一昨日、熊本市役所に行って転出届けを提出し、昨日南阿蘇村役場で転入の手続きを済ませた。これで正式に南阿蘇村の村人になった。一つの区切りがついたという感じがする。

それで、記念に飲みに行こうと妻を誘うとサインが出た。飲みに行くたって、二人とも飲むので車ではいけないし、歩いていけるようなところには飲み屋はない。お隣の高森町に送迎してくれるところがあるというので、電話をしてみた。この居酒屋といっても20kmくらい離れている。するとやはり田舎独特の商法で客を集めるために送迎まで考えてくれる。

ここは馬の牧場を経営されているところで、昼間は乗馬教室とかも行っているという。一度行ってみたかった。時間通りに店の娘さんが迎えに来てくれた。なかなかおしゃべり上手で、店の営業を一手に引き受けているのだろう。店の紹介に止まらず、町の案内も詳しくしてくれた。町には若い人がいない、殆ど都市(まち)へ出て行ってしまう。過疎の現状がここにある。若者の足を止める産業=雇用がないという。なるほど、そうだよな・・・

焼肉食べ放題、飲み放題3000円也を申し込んで、生ビールガンガンやった。但し、肉は食べ放題といってももうそんなに食えない。地鶏は硬いし、ホルモンも噛み切れないので、牛肉だけを1人前追加しただけで、予定時間2時間の半分で帰った。帰りも店の車で送ってくれた。送迎附きはなかなかいい。街でも一つの商法としてこれをやったら、受けるんじゃないだろうか無理かな?

「ゲゲゲの女房」と「龍馬伝」

2010年07月22日 07時44分18秒 | 日記
真っ白い霧が掛かっている。太陽はその向こう。しかし、霧の向こうでも眩い。今日も暑い一日になりそう。

昨日、街に降りた際、わが家に立ち寄って、植木のバラの整理をしてきた。もう20年近くになるバラがある。これを棚に這わせているので、見事なまでにアーチ状に伸びて、可憐な白い花を咲かせるので、近所でも愛好されていたのだが、引っ越したのだから世話ができないので、止むを得ず伐ることにした。転出届けを出してからの作業で丁度一等暑い1時頃から始めた。鋸と植木バサミで片付けていくのだが、綺麗なバラには棘がある。これが用心しないと怪我をする。完全装備で厚手のゴム手袋をして長袖シャツを着てやったけれど、それでも時々布を突き破って皮膚に食い込み痛いのなんのって・・・
しかし、30分程で作業は終わった。育てるのに20年、壊すのに30分。幹も根元付近では直径7,8cmにはなっている。りっぱな「木(ぼく)」である。用意していたダンボール、コンテナに短く切り刻んだバラの枝を押し込んで、トランク仕舞った。

阿蘇に帰って、夕立が来る前に畑の端に据えているドラム缶で、このバラをすべて燃やしてしまった。燃え上がる炎と煙になって消えてしまった丁度その頃合に、可愛がって育てたバラを無情にも処分されてしまった悲しみと哀憐と怨恨の涙雨が降ってきた。ごめんね

閑話休題。いまTVで楽しみなのは、「龍馬伝」、福山最高。西郷はミスキャスト!岩崎弥太郎役の香川照之はオーバーアクション。濃(こ)過ぎる!この弥太郎の妻喜勢役のマイコという女性がいい!透明感があって、清楚でどぶ沼の蓮のことを「泥中の花」というがまさにそういう美しさ。岩崎家の中で少し浮いているのだが・・・

それから、「チャングム」何度も放映されているのだが、見たり見なかったりで第二の人生、時間だけはたっぷりあるのでじっくり見ている。心を掴み取られてドラマに引きずり込まれてしまっている。熊本では今土曜の正午に放映されているが、特別番組とやらでやたらカットされる。
がっかりすることが多いけれど、この度大発見した。ネットで無料で見れるのだ。全編。パソコンでドラマを観るのもちょっと変な気がするが・・・

テレビ朝日のアナウンサーで天気を報じている加藤眞輝子は美人だなあー。あの人こそ、「ゲゲゲの女房」役にいいのではないかと思うのだがー。昭和の「ゲゲゲの女房」を平成の松下が演じるのはちょっと無理がある。

あと松岡修三が若い人たちのチャレンジを応援する番組があるが、あれはおもしろく見ている。プロの応援人が指導して、少しずつ上達していくのだが、流石にプロ(専門的にやって来た選手)は違う教え方が上手いし、実に説得力があり、子ども達がそれでどんどん変わっていく。毎回涙涙だ。
「田舎に泊まろう」がなくなって、がっかり
今、チャンネルのあちこちに島田紳助が出ているが、どうも鼻につく。
「驕れる者久しからず」