おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

士は節義を嗜み申すべくそろ

2011年01月05日 09時33分23秒 | 日記
今朝、花谷幸比古の書いた『幕末入門書』(展転社)を読了した。

明治維新の重要人物のうち草莽の志士達の思想的バックボーンになった人のことを集めて書き表わしている。
吉田松陰、橋本景岳、真木和泉、西郷隆盛、高杉晋作、平野國臣、藤田東湖、選択した視点は著者が神社の宮司であり、皇学館出身の神職家であることから発していると思う。みな徹底した尊王思想家である。

何を学んだかというと、ひとつは学問に賭ける情熱。そして『大義』に殉じたパトス。
平野國臣という福岡藩(筑前)=黒田藩出身の尊王思想家であり、国学を学んだ尚古主義者で、普段から烏帽子、直垂、毛鞘のついた太刀を身に帯び、横笛を吹きながら歩いたというから江戸時代とはいえ一風変わった人物であったらしい。

西郷と月照が相抱いて錦江湾に身を投げた時に一緒に舟に乗っていてその最期を見届けた人物でもある。(西郷だけが跡で息を吹き返す)

有名な「わが胸のもゆる思いにくらぶれば 煙はうすし桜島山」を残した。

福岡藩の因循固陋な当局から弾圧され、不当な刑を受けていた1年間の獄中生活は至難の極地で読書をすることも字を書く事すら許されなかったという。
そのなかで國臣は、ちり紙でこよりを作って、それを文字の形にして飯粒で別の紙に貼り付けて著述をものにしたという。

その時に作った歌。

年老いしおやのなげきやいかならん 身は世のためと思いかへても

よみがへりきえかへりても尽くさばや  七たび八たび大和魂

吉田松陰、横井小楠とも交流のあった藤田東湖、御三家の一つ水戸藩の出身だが、烈々たる尊王思想家で斉昭のもとで藩政改革を断行したり、斉昭の幕政参与していく中で国体の変革を助言していく。
しかし、頑迷な幕府首脳が突出する水戸藩を弾圧、斉昭を隠居謹慎にし、東湖を蟄居処分する。蟄居は厳重な監視下、部屋の襖を全て板で被って釘付けにしていた。この中で、意気阻喪することなく 文天祥の『正気歌』を常に愛唱しながらという。身を支えた。この境遇のなかで作った漢詩の文中に次のような文句がある。

邦家の隆替偶然に非ず、人生の得失あに徒爾(とじ)ならんや
自ら驚く塵垢の皮膚に盈(み)つるを、猶余りの忠義骨髄をうずむ
いやしくも大義を明らかにして人心を正さば 皇道なんぞ興起せざるを憂えん
この心奮発して神明に誓う 古人云ふあり 斃れて後已むと


國臣も東湖も大義に殉じた。大義に生き、東湖は公に命を捧げただけでなく、最期は江戸の大地震で被災した時、崩れかかる家屋の中に母親を求めて飛び込んで命を落としている。忠孝の情厚き人物でもあった。

本を読んでいて思い出すのは、卒業した鹿児島県立出水高等学校で常に暗証させられた出水兵児修養掟のことである。
薩摩が全国に先駆けて維新の大業を成し遂げたのは何といっても青少年の教育に力を注いでいたからだ。その武士の教育の一環で郷中教育があり、北薩出水にも徹底した兵児教育が行われていた。それが修養の掟として今も語り伝えられている。
たしかに時代と齟齬するところはある。しかし、そのエトスを学ぶことは決してアナクロではないと確信する。

士ハ節義を嗜み申すべく候。     

節義の嗜みと申すものは口に偽りを言ハず身に私を構へず、

心直にして作法乱れず、礼儀正しくして上に諂らハず

下を侮どらず人の患難を見捨てず、己が約諾を違ヘず、

甲斐かいしく頼母しく、苟且にも下様の賤しき物語り悪口など話の端にも出さず、

譬恥を知りて首刎ねらるゝとも、己が為すまじき事をせず、

死すべき場を一足も引かず、其心鐵石の如く、又温和慈愛

にして、物の哀れを知り人に情あるを以て節義の嗜みと申すもの也。



現代の若者に「死して後已む」というその大義というものがどこにあるだろうか?楠木正成の「七世報国」の七度生まれ変わっても「国」のために尽忠奉公するというその「国」が現代、七世報国に値するものであるのかどうか。菅さん、もう少し考えなければいかんぞ

国家、天皇、政治権力、会社、郷土・・・命を賭けられるか?ここをもう一度しっかり考えていかなければ国は道を過つのではないか。若者は経済の前に生きる指標を見失うのではないか?
学ぶ=教育がいまや「いい大学に入って、いいところ(会社、役人、医者・・・)に就職する」ためのものにすりかわっている。教育から節義が失われてしまっていることを嘆く。

飲んだ、喰った正月!そのツケはー

2011年01月04日 10時41分37秒 | 日記
4日の朝。寝すぎて初めて「てっぱん」を見過ごしてしまった。

まっいいかっ昼があるさー

5時半から6時にかけてベッドで本を読んで、7時になって書斎に移りブログを書いて、8時から朝食と「てっぱん」。これが毎朝のリーティンなのだが、正月三が日は特別。はめが外れてしまって、今朝は変則的な事態になってしまった。

夜中4時前、突然妻が怒り出した。「イビキでまったく寝られないわ」と起き出して部屋を出て行った。

こうなるとこちらとしても安閑と寝ていられない。酒を飲んで寝るし、最近デブ復活の私なので、いびきがひどいらしい。

横を向いても、上を向いても一緒。

仕方ないから読みかけの重松清の本をずーっと読んでいた。カイムという不死の青年の話なのだが、軽いので1時間100ページほど読んだ所でまた眠くなり、「ご就寝」

慣性の法則で7時にはまた目が覚めた。妻は年賀状を書いていたらしく終わってまた横で寝ている。もうイビキで起こすわけにはいかない。また読書。

しかし、30分ほど読んでいたらいつしか眠りに落ちていた。

はっと思って飛び起きたが時計を見ると8時15分

だめだこりゃちょうど「てっぱん」終わったところ。「すっかたなかんべさ

この正月、御節はすべて妻の手料理。手前味噌ではあるがどれも美味しかった。とくに我が家の慣例であるコノシロの姿寿司は最高だった。



この他に生カキを少し焙って醤油をちょっと落として食べたけどこれもうまかった。

二人っきりの正月なので作り過ぎると、畑の肥料にしかならない。それではもったいない

だから覚悟を決めて美味しい内に全部食い尽くそうと頑張った。
煮豆2種類を残してほぼ完食

お腹の出っ張りが凄いことになっている。昨日は妻の実家から帰りに、友人の神社に初詣行こうと着物を着たのだが、義母曰く、「お腹にはタオル入れているんでしょ・・・」とその貫禄?を誉められた。
「はい、二、三枚入れました」
ごめんなさい、本当は何も入れていませんでした。これが初嘘でありました。

積雪で今日も車出せそうにないので、また引き篭もりだ。年末からウォーキングもできない。体は動かさないし、喰って飲んで23週間は体重計に乗れないな

謹賀新年

2011年01月02日 10時04分56秒 | 日記
雪に閉ざされた阿蘇南郷谷です。

今朝は明るい太陽が昇って、気持ちのいい日差しを送ってくれていますが、相変わらず雪は融けそうにありません。

雪国の皆さんは慣れていることだと思いますが、あまり経験のない私にとってこの雪、後始末もいろいろ大変だろうなと不安に感じています。すべてが雪に覆われていますので、これから融け始めた時に予想外の事態が出てくるのではないかと思います。
屋根のあるデッキまで雪が吹き込んで積もっていますので、これが融けるとべちゃべちゃになるし、雑巾で吹き上げる必要が出てくるのではないかと思います。畑の方も雪に埋まっています。雪の下には大根、白菜、ねぎ、冬菜、からし菜、キャベツ、玉葱、ニンニク・・・冬野菜とはいえどうなるのか?そういえば里芋は収穫後、穴を掘って藁を厚く敷いて保存しているのですが、まだ開けていないのでどうなっていることか・・・

五岳が日差しに照らされて輝いています。あちこちスキーゲレンデのようになっています。中岳は見えませんが煙は上っていないようです。火山の活動状況も安定しているようです。

箱根を聞きながら、年賀状を墨で書いています。

今年も皆様にとって健康で、幸せな一年でありますようにお祈り申し上げます。


雪化粧の元旦

2011年01月01日 12時23分40秒 | 日記
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

ここ南阿蘇大変な雪降りで、昨日積もっていた雪の上にさらに新雪が重なって、積雪25cmはあろうかと思います。

30日から大晦日にかけてしようと思っていた大掃除もほんの一部分しかやっていません。汚れは真っ白な雪がすべて包み隠してくれたようで、「これもありかなー(?)」納得しています。

お隣さんは朝から水道が凍ったと水をもらいに来られました。そこで新年のご挨拶。我が家は水源が違うので大丈夫なのですが、お隣さんは組み上げるポンプが凍っているらしく大晦日から全然水が出ない状態だそうです。熊本というところは日本全体から見れば南の方に位置しているのですが、ここ阿蘇は高地にありますので、気温が低いし山地特有の気象があるようです。風が1年中強いし、雷も鳴るだけではなくて時々落ちるし・・・寒さは半端ではない

何しろこの雪、生まれてはじめての経験です。昨日は所用で車で出かけたのですが、案の定スリップしたりしてたいへんな思いをしました。今日はいつもの正月元旦であれば、お宮参りに出かけるのですが、行けません。仕様がないから朝からお雑煮・御節を食べて、屠蘇を酌み交わしてさらにビール飲んで今とてもいいころ加減になっています。

いよいよ一年の始まりです。決意表明しなければ

もう第二の人生スタートしていますので、より充実した一年であればいいのではないかと思います。若干不安なスタートでしたが、無職生活にも幾分慣れて作物栽培も少しずつ上手になってきたのではないかと思います。もちろん先輩諸氏からみると噴飯物と言われそうですが、一歩一歩進んで行きたいと思います。

大きな課題。健康について。
今月に予定している右目白内障手術がうまくいくこと。

それから体重オーバーを何とかしなければー10キロ減量が理想ですがそううまくはいかないでしょうから、少しずつでも落とせたらいいなと甘い軟弱な思いを持っています。・・・ダメだなこりゃ



冒頭の我が家の玄関の写真に飾っている「門松」はお手製です。毎年作っています。