とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

ドキュメンタリー映画『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』を見ました。

2023-04-26 17:42:24 | 映画
デヴィッドボウイの音楽人生をたどるドキュメンタリー映画『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』を見ました。私が最も聞いたミュージシャンの一人、デヴィッドボウイの人生を改めて見つめなおすことができました。

デヴィッドボウイは最初、グラムロックの旗手として表舞台に出ました。自分を宇宙人と見立てたアルバムを制作し、ステージも「ジギー」という宇宙人になりきっていました。演劇的でありミュージカル的な要素を含んだコンサートでした。彼はその時から自分の真の姿を隠していました。

次にアメリカにわたり、ロカビリー風の音楽を作った時代に移ります。この変化から彼の異常さが表れ始めます。彼の真の姿が見えなくなってきます。

そして私の一番好きなベルリン時代が来ます。ブライアンイーノとともにノイジーであり、アンビエントな音楽を作り上げます。ストイックに自分の内面と向き合っている姿が見えてきます。その前後の派手なボウイを好む世代の人には一番退屈な時代だったのかもしれませんが、ボウイが真の自分を見つめた時代だったのではないかと私には感じられます。

そしてスーパースターの時代がやってきます。『レッツダンス』です。この時代、古くからのボウイファンは、スーパースターを演じているボウイに違和感を覚えます。だからなのでしょう。かれの黄金時代は長く続きませんでした。ボウイはスーパースターにも飽きてしまうのです。

ボウイは自分の人生を演じ続けました。ロックスターを演じたのです。それは時代が彼に要求したものだったかもしれませんし、彼自身が変化する時代に挑んだのかもしれません。しかし自分の人生を演じるのは無理が生じます。そこに彼の悲劇があったのではないでしょうか。だからこそボウイの真の姿はスーパースターの座を降りてからにあったのかもしれません。しかしその頃は、私もボウイから離れてしまいました。

もう一度ボウイを振り返りたいと思いました。彼は何を目指していたのか気になります。

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映画『小さき麦の花』を見ました。

2023-04-19 05:13:49 | 映画
映画『小さき麦の花』を見ました。人間が生きることの意味を考えさせる、静かだが強い作品でした。感動しました。

舞台になっている時代はほぼ現代なのだと思われます。しかし中国の貧しい農村は何十年も前と同じような生活をしています。テレビもありません。時々描かれる都会とのギャップから貧富の差の大きさを感じます。

主人公は農家の息子ヨウティエと、その男と政略的に結婚させられた女クイイン。ヨウティエは兄にいいように使われていますが、文句も言わずに兄に命じられたままの生活をします。クイインは障害をもっているのか、歩き方がたどたどしく、時々失禁してしまいます。しかし自分では失禁していることに気が付きません。

そんな夫婦ですが、お互いがお互いを理解しはじめ、静かに愛が深まっていきます。彼らはお互いのために真面目に生きます。家を作り、麦やトウモロコシを育てます。鶏を育て卵を食べることができるようになります。彼らの真面目さが実り、小さな幸せを手に入れます。静かな感動があふれてきます。

しかしその幸せは突然終わります。クイインが急死してしまうのです。

この映画でロバが重要な役割をしています。荷物を運ぶときロバが荷車を引くのです。穀物を運ぶとき、引っ越しをするときなど、様々な場面でロバがでてきます。クイインが死んだあと、ヨウティエはロバを大地に放してしまいます。彼の失望感が痛く伝わってくる場面です。ロバはどうしていいのかわからずにうろうろしています。しかしヨウティエの作った家を取り壊すとき、一瞬だけですがロバが出てきます。これはあのロバだったのではないでしょうか。この時、言葉にならない感動が押し寄せてきます。

切ない一瞬が見事に切り取られ、小さな幸せを求め愚直に生きた人たちの人生が迫ってきます。涙なくして見られない映画でした。
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映画『AIR エア』を見ました。

2023-04-15 05:29:28 | 映画
NBAのスーパースター、マイケル・ジョーダンと契約するためにナイキがどういう努力をしたのかを描く映画『AIRエア』を見ました。現代的な攻めのビジネスが刺激を与えてくれる映画です。

当時のナイキは陸上のシューズには強いがバスケットシューズに関しては3流企業でした。コンバースやバスケットに関しては新興のアディダスに後れをとっています。そんなナイキがバスケットシューズでシェアを獲得するために、新人の一流選手と契約しようとします。まずはそこでマイケル・ジョーダンを選ぶ目を持っていたことが成功の第一歩でした。

次にナイキを快く思っていなかったジョーダンと契約するために、シューズの色のルールを逸脱し、違反してもその罰則金をナイキが支払うという手にでます。これには賛否両論あるだろうと思われます。日本人ならばルールはルールだと非難轟轟でしょう。しかしこれをやってしまうのがアメリカです。ルールを変えても前に進もうとするビジネスの力を感じます。北海道の新球場の問題もこれに近いもののようにも思えます。

最後に大きなハードルが待っています。マイケルの母親からシューズの売り上げの一部をマイケルの収入にするような提案がなされます。当時はそういう契約はありえなかったのです。しかしそれを認める決断をします。これによってそれ以降の超一流アスリートはビジネスの主人公となり、莫大な収入を得ることができるようになります。スポーツが巨大ビジネスへと変貌したのです。この歴史的な変革をどうとらえるかは人それぞれです。しかし現代のスポーツビジネスの巨大化はここにあったことがよくわかります。

ナイキの宣伝映画のようにも感じますが、攻めの生き方を学び、今後の自分の生き方を考えさせられる映画でした。
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映画『ワース 命の値段』を見ました。

2023-04-09 10:15:30 | 映画
9.11アメリカ同時多発テロの被害者遺族への補償金を分配するという仕事を引き受けた弁護士を描く映画『ワース 命の値段』を見ました。苦しい仕事であるのは予想がつく。しかしそれは大きな価値のある仕事です。それを成し遂げる人間の苦悩がいたいほどわかる映画でした。

弁護士のケンは、同時多発事故の被害者遺族への補償金を分配する困難だとわかっている仕事を引き受けます。対象者は約7000人。ケンはこの困難な仕事をできるだけ公平におこなうために、例外を認めないという方法に固執します。私がそういう仕事をするとしてもそうしているでしょう。例外はひいきです。そんなひいきをしてはいけないと考えるからです。

しかしうまくいきません。被害者遺族は納得しません。自分の個別の事情を訴えます。ケンは最初はそれを無視しようと努力していたのですが、補償金の申し込み者が少ないことによって追い詰められていきます。自分のやり方のなにがいけなかったのか、苦しい日々を過ごすことになります。

ケンのやり方は正当なものです。しかし遺族の主張も正当なものなのです。遺族によりそった解決策を見つけるのが本来のケンの仕事だったということに気が付きます。遺族の主張には聞けないものもあります。しかしその主張を政府や自治体に伝え、交渉することはできるはずです。

ケンの努力を人々は認め、補償金の申し込みは締め切りまじかになって9割を超えます。

人の命に値段はつけられないのは当たり前です。しかしそれでは前に進めません。とは言え機械的に人の命を扱うわけにもいきません。だからこそ人間の力が必要なのです。AIの時代だからこそ人間の力を信じなければいけません。

仕事の意義を見つめなおすきっかけになる、いい映画でした。
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映画『オットーという男』を見ました

2023-04-08 02:22:14 | 映画
 トムハンクス主演映画『オットーという男』を見ました。老後の孤独への向き合い方を導いてくれる、感動的な名作です。

 この作品は2015年のスウェーデン映画『幸せなひとりぼっち』のハリウッドリメイク作品だそうです。『幸せなひとりぼっち』は見たことがないのですが、リメイクであろうがなかろうが、すばらしい作品に仕上がっています。

 オットーは頑固者で嫌われています。仕事も首になり、いよいよ頑固も本物になります。しかしオットーが頑固になっていったのは、死んだ妻との歴史があったからだったことがわかります。妻との出会い、そして結婚、妊娠、幸せな生活がバスの事故で崩れてしまいます。妻は一命は取り留めるものの、お腹の中の子供は失ってしまいます。年老いて妻はなくなり、孤独になったオットーは自殺を試みます。

 私も気が付いたら年をとってしまい、死を意識する世代となってきました。自殺する勇気はないのですが、さらに何年かして孤独に苦しめられ、さらに病気で苦しめられたらどうなってしまうのだろうと考えてしまいます。自分を通して生きてきた人間は、他人から嫌われているという思いにどうしてもなってしまいます。そしていつしか他人を信じられなくなり、孤独の罠にはまってしまいます。いつの間にかオットーは私そのものだと思ってしまいました。

 しかしそんなオットーも近所の人たちのつながりが生まれます。オットーにとってはおしつけがましいつながりだったのですが、それがオットーを救ってくれたのです。他人が自分を必要としていることに気がついたオットーは生活が潤い始め、自殺する気持ちもなくなります。

 高齢化社会になり、現代人は否が応でも孤独と向き合う必要があります。しかし孤独をあきらめてはいけません。孤独だからこそ他者を求め、他者に優しくならなければいけないのです。

 人とのつながりが大切なのだということを教えてくれるすばらしい映画でした。
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