4月24日の「折々のことば」より。
あの人、「伝える」言葉を「伝わる」かたちにする名人でした。(井上一夫)
伝えたつもりが伝わっていないことがある。放送作家・作詞家の永六輔は、とくに思いをこめること、市井で耳にした大事なことを伝える時は、逆に丁寧に「笑いをまぶして」いたと、彼の本を手がけた元編集者は言う。教育もきっと同じ。教え育てることよりも、そこにいれば子供が勝手に育つような大(おお)らかな場所を用意しておくことが先だろう。『伝える人、永六輔』から。(鷲田清一)
前回のブログの続きのような「ことば」である。
私たちは伝えたいことがあるから「ことば」を使う。そして自分が言いたいことは伝わるものと思いがちである。しかしそう簡単にはいかない。だから「ことば」を解釈する訓練をする。問題は現在の国語教育は解釈することばかり学ぶ。しかし本当はいいたいことをわかりやすく伝える技術も同じくらい大切なのだ。それなのにそれは教えない。
「伝える」言葉を「伝わる」かたちにする教育が必要なのだ。
あの人、「伝える」言葉を「伝わる」かたちにする名人でした。(井上一夫)
伝えたつもりが伝わっていないことがある。放送作家・作詞家の永六輔は、とくに思いをこめること、市井で耳にした大事なことを伝える時は、逆に丁寧に「笑いをまぶして」いたと、彼の本を手がけた元編集者は言う。教育もきっと同じ。教え育てることよりも、そこにいれば子供が勝手に育つような大(おお)らかな場所を用意しておくことが先だろう。『伝える人、永六輔』から。(鷲田清一)
前回のブログの続きのような「ことば」である。
私たちは伝えたいことがあるから「ことば」を使う。そして自分が言いたいことは伝わるものと思いがちである。しかしそう簡単にはいかない。だから「ことば」を解釈する訓練をする。問題は現在の国語教育は解釈することばかり学ぶ。しかし本当はいいたいことをわかりやすく伝える技術も同じくらい大切なのだ。それなのにそれは教えない。
「伝える」言葉を「伝わる」かたちにする教育が必要なのだ。