2-2 「鏡」の読解
以上のことを念頭において「鏡」を読んでみる。(ここから先の説明は「鏡」を読んでいないとまったくわからなくなるので、先にお読みいただきたい。)
当然のごとくこの小説の「語り手」の「僕」に焦点をあてることになる。そしてこの「僕」は誰なのかを考えることになる。
仮説を立てる。
この小説における「僕」は実在の人物ではなく、鏡の中の虚像である。つまり、鏡を見ている「僕」の元存在こそが存在しているのであり、この小説の「僕」は「僕」の現存在が鏡に映されたものである。
この仮説の一番の根拠となるのは次の記述である
僕はそこにしばらくのあいだ呆然として立ちすくんでいた。煙草が指のあいだから床に落ちた。鏡の中の煙草も床に落ちた。我々は同じようにお互いの姿を眺めていた。僕の体は金しばりになったみたいに動かなかった。
やがて奴のほうの手が動き出した。右手の指先がゆっくりと顎に触れ、それから少しずつ、まるで虫みたいに顔を這いあがっていた。気がつくと僕も同じことをしていた。まるで僕のほうが鏡の中の像であるみたいにさ。つまり奴のほうが僕を支配しようとしていたんだね。(傍線は筆者)
この傍線部で明確に「僕」が鏡に映された「僕」であることを示唆している。
また、ここに出てくる「金しばり」という言葉も示唆的である。金しばりは経験したことがある人ならばわかるだろうが、意識ははっきりしているのに意識通りに動きがとれずに体中が固まったように感じる状態だ。自分の意識通りに自分の意志通りに動けないような状態である。これは鏡の中の存在であることを暗示している。
「相手が心の底から僕を憎んでいる」という記述もこれで説明できる。鏡をみている「僕」は「僕」に対する感情を持つことができる。しかし鏡の中の「僕」、つまりこの小説の語り手の「僕」は、鏡を見ている「僕」に対する感情を持ちえないのである。
鏡の中の「僕」、つまりこの小説の語り手である「僕」は、鏡を見ている「僕」の存在を認めた瞬間、直感的に自分は実在しない存在なのではないという真実に接し、自分が実在しないということに恐怖を感じたのである。自分が存在しないということは恐怖に違いあるまい。