<続き>
〇出雲・弥生の森博物館
博物館は出雲市大津町西谷で四隅突出墳丘墓の麓に在る。この四隅突出墳丘墓は、弥生時代後期から古墳時代前期にかけての2世紀末から3世紀に築造されたと考えられている。
西谷3号墳は方形部は東西40メートル×南北30メートル、高さ4.5メートル、突出部の付け根の幅7~8メートル、長さ6~7メートルの幅広大形であり、この突出部上面が墳頂への墓道と考えられている。つまり卑弥呼の時代に大きな墳丘墓が築かれ、大きな権力が存在していたことを思い出させる。墳丘頂部には4つの柱穴が存在していた。博物館内部にはそのジオラマが展示されている。
何かの祭祀が行われていたか? それとも北タイのラック・ムアン(クニの祖柱)と同様な意味をもつのであろうか?
(島根大学考古学資料室蔵品)
これらは、上の写真で示した西谷3号墳から出土した勾玉である。魏志倭人伝(南宋・紹熙本)によれば、次の一文がある。
壹(臺)与遣倭大夫率善中郎将掖邪狗等二十人送政等還因臺献上男女生口三十人貢白珠五千孔青大句珠二枚異文雑錦二十匹・・・とある。ここで孔青大句珠二枚をどうとらえるか?これを翡翠と推測するか、それとも上の青色の勾玉と捉えるか? 当時も翡翠の緑を青と呼んだであろうか? ここは写真の青色の勾玉二枚と考えたい。弥生の勾玉と云えば出雲の玉作工房である。噺は飛躍するが、台与(とよ:壹(臺)与)は孔青大句珠二枚を古代出雲から調達したのであろうか。
空想を掻き立てる展示物が並んでいる。一度訪れられてはどうであろうか。
<続く>